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『12』

『12』

何と美しい朝焼けであろうか。今日は吉日になると思えるような曙色の鮮やかな空が広がっていた。デルソフィアは圧巻な自然の煌めき、その迫力に厳かな憧憬を禁じ得なかった。だが一方で、この空の曙色に対し、不吉な何かを感じる者もいるだろうとも思った。

自然に対する感じ方や見方は、きっと全てが正しい。例えば自然には四季などが彩りを添えるが、その彩りも四季に限らず千差万別であると考えれば、自然の感じ方や見方は最早無限となる。

人による、ものの見方や感じ方は、人がいるだけ存在して構わないのに、それを画一化しようとするから、様々な歪みが生じるーーかつてオッゾントールが、そう溢していたのをデルソフィアは思い出していた。無限ともいえる、あらゆる側面を見聞き、感じ、それらを内包できる器こそ、オッゾントールの真骨頂であろう。

そんな男に、己の器を称賛された。嬉しくない筈がない。だが、それに足る器であると言うのは峻拒する気持ちもある。人としての器だけをとっても、自身とオッゾントールの間に蟠踞する差は果てしない。先日、ウィジュリナが口にした個性という言葉に縋っても、オッゾントールという人間が備える個性の方が、遥かに魅力的に思えてしまう。

「まさに完敗だ」そう独りごちたデルソフィアだが、言葉とは裏腹にその表情から憐憫の情は一切感じられなかった。

それもそうであろう。標べとなるべき存在がいる。それだけでも重畳であるのに、その存在が自身のすぐ身近にいて、いつでもその知識や教養、経験といったものの一端に触れられ、あわよくば自身へと取り込めるのである。オッゾントールの身近で日々を送ることと、自身の成長は同一であるとさえ感じられた。

だからこそである。オッゾントールによる想像以上の高評価に、少なくない戸惑いが生じてしまうのだ。あるいは、ヌクレシアとの邂逅、そして伝えられた言葉たちがデルソフィアの心を不安定にしていたことも影響しているのかもしれない。あれから数日。未だに、この世界を背負う覚悟が定まったとは断言できない自分がいた。

信念に導かれれば、出来ないことなど無い筈だと思っている。民の支えに応え、民をより良き世界へ導くーーその信念は揺らがない。

だが、世界を救う、世界を背負うということが余りにも遠大すぎて、その全容を掴めず、己の信念と同義たり得るかが分からないのだ。

戸惑いによる心の振動は、デルソフィアを追憶へと誘った。あれは、いつであったろうか……初めてオッゾントールと話をした日は。


神皇帝の第二皇妃が行方知れずとなってから暫くの間、皇国は当然大きな騒動の中にあった。兎にも角にも痕跡といったものが全く無く、皇国の精鋭陣をもってしても、行方に関する手がかりは何も掴めなかった。

神隠し。

時の経過と共に、そうした非現実的な発想が正鵠を得ているかのような雰囲気が漂い始め、「死」という言葉は避けるものの、「第二皇妃は、もう帰ってこない」、そんな囁きが大勢を占めるようになった。

「もうよい。あれは無かったものとする」世論の大勢を知ってか知らずか、畢竟、神皇帝フガーリオの鶴の一声で、騒ぎは沈静化していった。フガーリオの言葉に対して憤慨を表にあらわす者がほとんどいなかったことが、神皇帝とその他との力関係を的確に表していると言えた。ジェレンティーナを筆頭とする第二皇妃の実子三人は、神皇帝の発言に憤慨する態で、その先頭に立つには若年すぎた。

それでもジェレンティーナとウィジュリナからは、母に会えない悲しみが強く滲み出た。二人は敢えて母の話題を一切口にせず、まるで母に対する怒りをもって悲しみを搔き消すかのように振る舞っていたが、その姿は切なく、見る者にその悲しみの大きさを教えた。

美しさだけでなく、知的な面での評価も高かった二人ではあったが、実母が突然姿を消すという非日常の衝撃が否応無く襲いかかっていた。それに耐えられずに、混乱とも言える対応を取った二人を責める者はいなかった。実母を突然失った子、悲しみを必死に隠そうとしている子、とデルソフィアを含めた三人は一括りにされ、相対する者が憐憫の情を催す存在となった。

だが、人を見る目に長けた何人かは、上の二人と末弟の間に蟠踞する違いを感じ取っていた。大きすぎる悲しみが、外に漏れ出さぬように努めている子と、悲しみの大小、或いはその存在も定かではない子。

そして、その何人かにオッゾントールも含まれた。当時のオッゾントールはフガーリオの相談役へ就くことが決まったばかりで、ゴンコアデール院における仕事のうち、部下へ委ねられるものの引き継ぎを行うと同時に、皇宮内の現況を見聞していた。当然、第二皇妃失踪という問題にも関わりを持ったが、オッゾントールをしても解決に導く糸口すら掴めずにいた。

そうした中、当時の政大将軍から請われる形で、第二皇妃の実子三人と面談する機会があった。この人選は、ゴンコアデール院で若年層と数多く接しているオッゾントールに、三人への精神面での後援が期待されてのことだった。

ジェレンティーナ、ウィジュリナの順に、会って話をしたが、事前に聞かされていた通り、悲しみを隠そうとする健気な姿に胸を打たれ、その悲しみの大きさを理解した。そして三人のうちで最後に会ったのがデルソフィアだった。

相対するデルソフィアを前に、オッゾントールは、この子の中で悲しみの感情は然程大きくはない、と感じた。もちろん、怒りの感情もなかった。強いて言えば、覚悟のようなものが伝わってきた。

現実は苦しく辛く、非現実に逃げ込めば楽になるかもしれないが、現実にいるからこそ、そこから逃げずに踏みとどまっているからこそ、見られるもの、得られる真実がある。こうした思いを実践していくのだという覚悟を、無意識下で身内に秘めているように感じた。

恐るべき子だと感嘆した。だが同時に、あまりにも悲しき存在であることを認め、不意に込み上げてくるものがあった。このままではいけない。途轍も無い化物へ成長してしまう危険性を孕んでいる。

見守り続けなければならない。

言葉を交わし合い続けなければならない。

通常の成長曲線を描いていくよう軌道修正し続けなければならない。

愛だ。愛しかない。

愛をもって、デルソフィアに接していくことを決めた瞬間といえた。オッゾントールは相対するデルソフィアを突然抱き抱えて窓際まで進むと、言った。

「デル坊、世界は果てしなく広いのだ。まだ見ぬ地が、民がきっと待っている」


少し早めの昼食を、この日のデルソフィアは自室で摂った。常よりも食欲は減退していたが、残さずに平らげた。緊張していることを自覚する。

オッゾントールの本音を知り、叱咤激励のような形でその期待の大きさも知った。それに応えられるかどうか。昨晩から続く自問自答という混沌。そこに、初代神皇帝ヌクレシアの言葉が輪をかけてのしかかった。未だ、それら全てを咀嚼し、自身の糧にしたとは到底言えない。

約束の時間は迫っていた。

まもなくハーネスがオッゾントールを伴い、この居室を訪れることになっている。まだハーネスにも、左手に現れた星紋およびヌクレシアの魂との邂逅の話はできていなかった。

ハーネスと共にオッゾントールも揃った場で、二人同時に伝えるという考えも浮かぶ。だがすぐに、それでは真っ先に伝えると決めたハーネスへの礼を失することになるのではないかという疑義が差し込んでくる。

何を話し、何を話さない。

誰に話し、誰に話さない。

話す内容に付随する真実の重み、事態の大きさは確かに違えど、これまで即断できていた類のことが適わなくなっている。

「俺も随分、優柔不断になったものだ」独りごちたデルソフィアの顔には苦笑が滲んだ。ただ、言葉を発した出したことで混沌とした反芻から、ふと脱せた。

デルソフィアはオッゾントール、そしてハーネスの顔を思い浮かべた。親兄弟よりも、ある意味では身近な存在といえよう。

それらを思い描いたことで、何を話し、何を話さないかといった惑いは小事となっていく。今の自分自身、その最大限をもって向き合うべき存在がオッゾントールとハーネスだ。

自身の身内にある全てを曝け出す。

そうすることで、どうにか彼の器の一端に自身の存在を示すことが可能となる者、オッゾントール。

そうすることで、何とか応えることのできる苛烈なる忠誠心を持つ者、ハーネス。

オッゾントールの期待、ハーネスの想い、それらに、自身が今、背負おうとしている宿命を加え、為すべき事を、歩むべき道を、共に考えるーー辿り着いた自答だった。

そしてデルソフィアは、今日の後刻をもって、自身を取り巻く事態が大きく動き出すことを予感した。左手の星紋や初代神皇帝との邂逅。それら以上に身内の秘部に押し留めていたものを見抜いていることを、先のフガーリオとの会話の中でオッゾントールは示唆していた。

恐るべき眼力、と舌を巻く他ないが、改めてオッゾントールの口から明確に指摘されれば、もう押し留めてはおけない。暴走、迷走などの誹りを受けようとも、抗い難い推進力が芽生え、四方八方へ拡散する想いが、枠を破砕するだろう。

デルソフィアは窓を開けて、露台へと出た。空は曇天へと変わり、先刻から雷鳴が轟き始めていた。露台からは、皇宮の屋外部分や、その先に広がる皇国の街並みが見えた。当たり前だが、枠が実際にあるわけではない。だが、皇宮の威容を、堅牢な檻のようにも感じていることを自覚する。オッゾントールの示唆を知ったから、余計にそう感じるのかもしれない。

再びデルソフィアの顔が笑みを称えたが、今度は清々しい微笑であった。微笑を浮かべたまま、居室内に戻るために踵を返した時だった。デルソフィアの背後で、けたたましい悲鳴が轟いた。

最初の悲鳴が次の悲鳴を呼び、悲鳴が次々と連呼する。それが、尋常ではない事態の出来を告げていた。

再び踵を返し、露台の先端へ衝突するように駆け寄り、あちこちへと視線を送る。だが、悲鳴は止んでおり、その現場を視界に収めることはできなかった。

居室内に取って返し、勢いそのままに室外へ出た。神皇帝一族の居室が並ぶ廊下には、人っ子ひとりとおらず、不気味なほど静まり返っている。

デルソフィアは胸騒ぎを覚えた。胃が収縮していくような感覚を身内に抱え、暑くもないのに一筋の汗が背を伝った。

全速力で駆け出した。何も考えないように努めるものの、訳の分からぬ不安が身内の中枢に居座っている。取り越し苦労であってくれ、と何度も心の中で叫ぶが、不安はその支配を強めるばかりだ。

デルソフィアは二階にある真正門ではなく、一階の大正門へ向かった。神皇帝一族専用の真正門が大正門と比べて開閉に時間を要するからであり、僅かな時間差も惜しんだ。

一階へと降り立つと、一瞬だけ足を止めて深く呼吸し、再び駆け出した。尋常ならざる挙措動作で突然現れた皇子に、開閉を担う門兵も含め、大正門周辺にいた者たちは一様に驚愕の色を表情に滲ませた。だがそこは皇宮へと通じる門を担う精鋭である。即座に真顔への転換を済ますと、デルソフィアのもとへ駆け寄ろうとした。

そんな門兵たちを右手を広げて制すと、「デルソフィア、出る」と怒鳴り、駆け寄ろうとする者たちの動きを止めた。

幸いにも大正門は開いていた。門兵は、皇子の一括で身体を硬直させており、開いたままの大正門をデルソフィアはあっという間に駆け抜けた。

大正門の前もまた踊り場になっている。その左端、右端にはそれぞれ、真正門前の踊り場へと通じている階段がある。大正門前の踊り場を抜けると、弓張り型の橋が、皇宮を囲う堀を渡すために掛けられている。デルソフィアは橋の中央、最も高さのある場所で立ち止まり、再び辺りを見回した。

現場が、明らかになった。

橋を渡り、少し直進した先の十字路。その十字路において、進行方向で向かって左奥に人垣ができ、騒めきがデルソフィアのもとにまで届いてくる。

あの場所は確か、皇国民のための礼拝堂だった筈だ。早く現場へ赴き、何が起きたのかを知りたい。そう思う反面、足取りが急に重くなった。

行ってはならない。

見てはならない。

そんな声が、身内に響く。

雷鳴が轟いた。今朝はあれほど晴れ渡っていた空が、今は昼日中とは思えぬほどに暗い。暗黒、その表現がしっくりくる空に覆われている。

雨が降り出した。大粒の雨が石畳を染めていく。だが、この驟雨の中、現場を取り囲む群衆が、ほとんどその数を減らさないことが、深刻な、或いは衝撃的な事態であることを、改めてデルソフィアに突き付けてくる。群衆と同様に、デルソフィアも大いに濡れていったが、一歩一歩、現場であろう礼拝堂へと歩を進めていく。

群衆が造る人垣のすぐ傍まで来た。ここそこで会話があるようだが、激しい雨音に遮られ、明瞭に聞こえてこない。

人垣の最後部にいた者が、デルソフィアの存在を認めたが、その正体にまでは気付かないようだ。当然のことと言えた。神皇帝一族の皇子が、共する者もなく街中に突如現れるなど、一般皇国民の想像の遥か埒外だった。

デルソフィアは眼前の人垣を掻き分け、中へと侵入した。突き飛ばされる格好になった者たちが、次々と怒りを露わにしてきたが、何かに取り憑かれたように、デルソフィアは歩を進めた。

そうするうちに、この無法者の如く歩む者の正体が、神皇帝一族の皇子であるという事実に行き着く者が現れた。皇宮内で働く者の中には、神皇帝一族と、その顔が判別できる距離まで近づいたことのある者もいるのだ。この男も、そうした一人であった。

「デルソフィア様!神皇帝一族の皇子、デルソフィア様であるぞ!」

男はありったけの声量で叫んだようで、その声は激しい雨音を突き抜けた。声の届いた者すべてに驚愕の色が滲み、皇子の存在を告げる言葉が次々と伝播していくことで、声が届かなかった者にもデルソフィアの存在が広がっていく。

伝播する波とほぼ同時に、デルソフィアを起点とし、物の見事に人垣が真っ二つに割け、礼拝堂の前まで一本の道が通じた。

デルソフィアは歩いた。人垣を掻き分ける必要がなくなっても、その速度は上がらない。それでも、前に進んでいた。

現場が、目の前となった。

激しい雨が嘘のように止み、光が差し込んでいた。何が起きたのか、その事実が字義通り、白日の下に晒された。

その事実を直視することを峻拒するように、デルソフィアの視界は霞んでいく。とめどない涙が溢れていた。

だが、視界が霞んでいく前、確かにデルソフィアは、それを見た。

迷える者をはじめ、誰もを受け入れるという真っ新な想いを表現した、礼拝堂の白磁の扉。その扉に磔にされたかのように、胸部中央を長槍で貫かれた死体。

オッゾントールが、死んでいた。

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