『11』
『11』
ゴンコアデール院では院生の試験が近づいており、取り巻く雰囲気の中に気忙しさが増していた。まもなく実施日を迎えるその試験は座学ではなく実技の試験であり、リーガに属するロビージオにとっては、個の武という面ではゴンコアデール院の最終課程となる二演題。一つは武具操作の長槍で、もう一つは、無手による徒手空拳であった。試験はいずれも、型に沿った演舞形式と、実践を模した一騎討ち形式で行われる。一騎討ちの対戦相手は、試験の場になるまで分からない仕組みだ。
リーガに属するロビージオにとって、今回の実技試験が持つ意味合いは非常に大きかった。今回の二演題に合格できれば、個の武に関する課程は全て修了となる。いよいよ、実技および座学とも、集団で戦う訓練に入る。将来の将軍や軍団長、部隊長など集団を率いる者を育成するという、ゴンコアデール院に課された使命のうち最重要の領域へと足を踏み入れることになる。
ゴンコアデール院は、アン、リーガ、プレミアの各学級がそれぞれ二年ずつで合計六年。教育期間の延長という概念は存在せず、各学級の課程を二年間で修了できなければ、その時点で退院となる。最終学級であるプレミアの場合、その課程を二年間で修了できなければ修了証明書が授与されず、ゴンコアデール院卒院・出身といった肩書きを得ることができない。それは皇国において、集団を率いる将に就任する道が閉ざされることに等しかった。
ロビージオにとって、リーガにおける今回の試験は、まさにゴンコアデール院全課程の中間地点といえた。個の武と定められている徒手空拳および各種武器の扱いを全て修めることで、ようやく半人前。残りの半分はこれまでと同じ期間でありながら、学び、身に付けるべき内容は複雑多岐に渡る上、その物量も比較にならないほど多い。
それでも、込み上げてくる想いは、ひたすら熱い。圧倒的な困難が容易に予想されても、怯む気持ちは皆無。その領域へ立ち入る己へ、奮う心が無尽蔵のごとく熱量を生み出し、想いは熱さを倍化していく。
「さあ、まずは試験の突破だ」独りごちたロビージオは、ゴンコアデール院の正門を抜けて中へと入る。身内に充満した熱き想いが、身体のいたる表皮から洩れ出したかのように、ロビージオの背後に朧な像を形造っているようであった。朧な像である。だが、何故であろうか。見ようによってその像は、まるで鎌を振り上げた死神のようにも見えた。
前刻のうちに徒手空拳および長槍の演舞形式の試験は終わった。昼休憩を挟み、後刻には一騎討ち形式の試験が行われる。昼休憩中に、ロビージオは持参した弁当を採ることにした。弁当といっても、塩をまぶした握り飯が二つだけ。
一騎討ち形式だからといって必ずしも演舞形式よりも動き回ることになるか否かは定かではない。相手があること故、睨み合ったまま一歩も動かない時が続くという可能性も大いにある。それでも腹一杯の飯を詰め込む気はさらさら無かった。身内に充満する緊張感が食欲を減退させていることも事実であろう。
院内の食堂で握り飯二つを食した後、ふと辺りを見回すと、多くの者が昼食を採っているものの、リーガとアンに属する者はロビージオ同様、そのほとんどが独りで食事をしているようだった。それは、食事を共にした相手と後の一騎討ちで戦うことになる可能性もあるという理由が大きい。そうなった場合でも臆することなく戦う気概を、特にリーガに属する者たちは備えていたが、敢えてそうする必要が無いこともまた知悉していた。
握り飯二つの昼飯を早々に終えたロビージオは食堂を出ると、すぐ目の前の中庭に設置された長椅子の一つに腰を下ろした。同じような者が既に何人か見受けられる。
改めて前刻の演舞を振り返る。上出来といえた。特に長槍だ。上段、中段、下段と、それぞれの構えから構えへの移行が一本の糸に導かれるように連動した流れの中に収まり、それぞれの構えから発せられる技もまた流麗な繋がりを見せられた。
此処一番で、長槍の理想とも言うべき型を体現できたわけだが、それは自身の実力よりも幸運に依るところが大きいと、ロビージオの心は感じていた。ゴンコアデール院生たちは、その飽くなき向上心ゆえに、現在の自身の力量を過小評価し、自己を叱咤する傾向が強い。ロビージオも、その範疇に入った。
だが、ロビージオは気付いていなかったのだ。長槍の力量に関しては現在、演舞形式でも一騎討ち形式でも、おそらくリーガに属する者の中で三指に数えられた。後刻に実施される一騎討ち形式でも、十中八九勝利することになるだろう。
また長槍ほどではないものの、徒手空拳の演舞形式もリーガの中位には位置する出来だった。他の武具操作においても、中位がロビージオの定位置であり、長槍の力量だけが突出しているといえた。
これまでの日々の鍛錬の中で、特に長槍だけに注力してきたわけではない。全てに同じように取り組んできた結果、ここ最近になって長槍だけが、本人も自覚できない程の上達ぶりを見せていた。才能の開花であろう。
一騎討ち形式の試験にはまだ少し早かったが、ロビージオは試験前に長槍に触れておきたくなった。この点においてもゴンコアデール院の院生は、大きく二つに分かれる。試験の間際まで対象の武具に触れていたいと考える者と、やることはやったと腹をくくり一切触れない者。ロビージオは後者であったが、この時は珍しく、長槍が己の手中に無いという現況に物足りなさのような違和感を抱いた。才能が開花し、急速に練度を上げていく只中にいるロビージオの本能が、それを欲していたのかもしれない。
ロビージオは長椅子から立ち上がった。それとほぼ同時だった。
「試験の出来はどうだった?」
既視感ある、背後からの唐突な問いかけ。姿を確認せずとも、その主が誰だか分かり、ロビージオの気持ちは弾んでいく。振り返ると、オッゾントールが常の笑みを称えて立っていた。
ゴンコアデール院の長であるオッゾントールが、個々の院生の試験に立ち会うことは、ほとんどない。それこそ、気まぐれの類で、ひょっこり顔を見せることはあるらしいが、ロビージオは自身の試験中にオッゾントールの姿を認めたことはなかった。
ただ、オッゾントールは何処からか試験、特に実技試験の一部始終を見ているのではないかという噂があった。それが真実味を帯びる程、各院生への指導や指摘、助言は的確であった。この日の前刻の試験についても、何処かで見ており、その上で本人の自己評価を確認しているのかもしれない。
爽やかな笑みの向こう側に潜む天才の神算鬼謀を計れる筈もなく、ロビージオは「徒手空拳はそれなりの出来でしたが、長槍の演舞は、おそらく今までで最良の出来でありました。大切な試験のおりに良い結果が出せ、とても幸運であったと思います」と、見栄を張らず、また不必要に己を卑下することもなく、感じているままの正直な自己評価を口にした。
「ふむ。この世界において、確かに運という要素は存在しているだろう。それが強く大きい者もいるだろうね。だけど、運だけで、己の持つ最大限の力へと到達できるわけじゃない。己を信じ、今持つ最大限の力を発揮しようと必死に努めることで、自身の中で最上に位置する力へと繋がる道が拓け、そこに光明が差し込み、歩みを進められるのだよ。だからロビージオ、君が最良の出来だったのは、運だけではなく、己を信じる力とこれまでの努力の賜物なのさ」
ロビージオの胸は、じわりと熱くなった。たった今、放たれた言葉を、一言一句違わぬように、心に強く刻みつけるよう努めた。
そして悟った。オッゾントールが院生たちに的確な指摘や助言ができるのは、神算鬼謀などではない。愛だ。院生の成長を願ってやまぬオッゾントールの愛そのものが、全ての院生たちへ等しく注がれており、畢竟、全ての院生たちの現況を把握しているのだ。
ロビージオは下唇を強く噛み、込み上げてくるものを必死に抑え込んだ。ここで涙を見せるのは相応しくない。師へ、いくつものものを与えてくれた師へ、何か一つでも恩返しができたと思えた時まで、涙を見せてはならない。断固たる決意がロビージオの中に芽生えていた。
直立不動の姿勢で動けないロビージオに、「後刻は、一騎討ちだな。演舞同様に、頑張れよ」とだけ告げ、オッゾントールは踵を返した。
師が、振り返ることはないと分かっていた。ロビージオは、遠ざかっていくその背中を凝視し続けた。無限にも思える彼我の差。
それでも、少しでも、近づきたい。無意識に右手を伸ばしていた。どこまでも果てしなく澄んだ純真な願いの表れであった。




