『10』
『10』
フガーリオとの謁見に同行を許されたハーネスの言によれば、オッゾントールは特段激することもなく、また一方で必要以上にへり下ることもなく、常と変わらぬ態で神皇帝フガーリオと相対したという。相談役を務める身であれば当然とも言えたが、神皇帝を前に、その淡々とした挙措動作に終始できる胆力がハーネスには瞠目に値したようだ。
ハーネスは見聞きしたオッゾントールとフガーリオの主な遣り取りを可能な限り、持参した紙の束に書き連ねていった。後で読み返した際にはその乱雑な字に一驚したが、記憶も辿りながら清書し直した。ハーネスが、オッゾントールとフガーリオの遣り取りを綺麗で流麗な字体で記した紙が今、デルソフィアの手元にある。デルソフィアが、一枚目の紙に視線を落とした。
『デルソフィア様を居室に幽閉したそうですね?何故でございますか?』
『そうだな。強いて言うならば、侮辱の罪かのう』
『侮辱?それはフガーリオ様を侮辱したということでございますか?』
『我だけではない。義母、義兄、敬って然るべき存在を、あれが理解していなかったようなのでな。まあ、戒めじゃ。あの礼儀知らずも、我が言にさすかに黙りこくっておったわ』
『いけません。すぐに、今すぐに幽閉を解いてください。決断してしまってからでは遅い』
『決断?』
『あっいえ。それよりも、デルソフィア様の民へ向けた苛烈なまでの想いはご存知でございましょう。フガーリオ様もその想いに、そしてその想いを抱けるデルソフィア様の器に、既にお気付きなのではありませぬか?』
『あの戯言か?』
『戯言でありましょうか?』
『ふんっ。確かに、他の皇子や皇女とは少し異なる者じゃと感じることはある。だがそれが、我へ益を為す者とは限らん』
『民へ益を為す者であることは、間違いありません』
『言い切れるか?』
『言い切れます』
『天才オッゾントールに、言い切らせるか』
『始まりは朧ではありますが、いつの頃からか、私はデルソフィア様と定期的に会話する機会を設けてまいりました』
『存じておる。あれが其方を慕っておることもな。遠慮などせずに、ここでも常のデル坊でよいぞ。それにな、始まりは朧?天才オッゾントールに、そのようなことがあろうか。始まりは、あれらの母が出て行ったからであろう。其方は、三人の中で最も若年のデルソフィアを選び、あれらの母が出て行ったという事実に重みを与えぬよう努めてきたのじゃ。そこに其方の思惑があるのは分かる。それが何なのか、我が考えは天才のそれに遥かに及ばぬ故、皆目見当もつかぬがな』
『お戯れを。そのような思惑など皆無でございます。憐憫の情、その一言に尽きます。それに慕っているのはデルソフィア様だけではございません。私もまたデルソフィア様を慕っております。そして、デルソフィア様は必ず、英邁な指導者となりましょう。英邁な後継を生み育むことは、神皇帝の偉大な功績となりましょう』
『なるほどな。我が才は凡であっても、非凡なデルソフィアを盛り立てていくことで、凡なる我の功績も先達と比して見劣りしないで済むということか』
『そうではございませぬ。神皇帝として皇国を治めることは、並大抵の業ではございません。神皇帝である時点で糟粕ではなく、他者には真似することのできない偉業を成していると言えます。ですが、優れた才を有し、かつ同じ行き先を見られる者であるならば、神皇帝の他にも指導者となるべき存在が、この皇国にあっても良いと考えております』
『それが、デルソフィアであると?』
『はい』
(しばし両者沈黙の後、フガーリオ様ご発言)
『其方の想い、確かに聞いた。あとは、神皇帝による沙汰を待て』
読み終えたデルソフィアは、紙の束から視線を外し、瞳を閉じた。大きく息を吐く。父の胸の内は分からなかったが、オッゾントールの言葉によって揺さぶられたという結果が、この身をもって証明されている。
ハーネスが書き連ねてくれたオッゾントールの言葉は、確かにその時は相対したフガーリオに向かっていたのであろうが、同行したハーネスを通じてデルソフィアの耳に入ることは、オッゾントール自身、百も承知であろう。同行を許しておきながら、後で口止めするような小者でもない。どうしても聞かせられない話なら同行を許さないはずだ。つまりこれは、デルソフィアに向けた言葉、あるいは叱咤激励ともいえた。それに、ある一言は、オッゾントールの天才ぶりをデルソフィアに改めて示した。その眼力に戦慄すら覚えた。
今すぐに会って話をしたかった。彼の器の淵に立ち、底知れぬ深遠を感じたかった。天が与えた才能の一端に触れたかった。一人の人として真っ直ぐに生きている温かみに包まれたかった。
その一方で、オッゾントールが自身に向けた言葉たちを咀嚼し飲み抱く時間が欲しいという願いも芽生えていた。二者択一、三者択一などの場面でも即断できることが多いデルソフィアにしては珍しく、決断に至るまで時間を要した。
何がきっかけかは定かではない。拮抗していた天秤が微かに傾いた。デルソフィアはハーネスにこう伝えた。「明日の後刻、オッゾントールと共に俺の部屋へ来てくれ」




