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「ああ、姫よ! 私の思いを聞いてほしい!」


 模擬決闘はオーウェンの呼びかけから始まる。一度きっちりかぶった兜も今ははずして、小脇に抱え、旗を持った手をこちらに向かってのばす。


「姫に恋い焦がれて、長い時を過ごし続けたが、もうこの思いを隠し通しはできぬ! 姫が私を望むなら、どこまでも逃げていきましょう!」


 声は朗々と、顔はすがすがしく、潔く。けれども、眼だけは遠くからでもわかるほど、情熱に燃えている。……オーウェン。今年はいつにもまして気合が入っていること。観客の歓声が高まるわけだ。


「姫よ! あなたは知らないだろう、私が今までどのような思いであなたの傍にいたか! 他の男と一緒にいるのを見たくはないのだ!」


 切々と訴えられるも、平然と聞いていられる。もちろん、催しのための戯れであるとわかっているからだが――口説く内容はその場の思いつきであることが大半だ――今年は、「ずっと仕えてきた昔なじみの騎士」という設定でいくらしい。


「もう、いいだろう! 私の気持ちにもいい加減に気づいておくれ! 見知らぬふりをしないで、向き合っておくれ! 他の男を見つめるな!」


 なんと、彼が設定するには相手の姫は、かなり鈍感で、しかも他の男を思っているらしい。……なぜそんな姫に思いを寄せるのか、まったくわからない。いい加減にあきらめてしまえばいいのに。

 模擬決闘で発言する必要はないぶん気は楽だ。女伯の席でただ聞いていればよいだけだ。


「ベラ」


 わたしは別の席にいさせていた侍女を呼び、客人の様子を聞けば、


「大変結構だ、と皆さまおっしゃっておられました」

「あらそう」


 オーウェンのこの設定が気に入ったのだろう。評判は上々。――また、オーウェンの評価があがるではないか。


「本当にあの男は気に入らないわね。さっさと出仕をやめて、婚約者と荘園領主をしていればいいのではないかしら」


 最後は独白のように呟く。


「そこまで、卿がお嫌いなのですか」


 物静かなベラがここまで尋ねるとは珍しい。わたしは、ええ、そうよ――そういって、オーウェンの整った顔立ちに目をやり、彼の瞳を自分の瞳でまっすぐ見据えた。オーウェンははっとした様子でそっとそらす。

 彼の長々しい口説き文句は延々と続いているが、もう頭の中にその内容が入ってくることはなかった。


「わたしがほしいものを全部持っているのがあの男だから」


 実力で地位を取り、騎士で身を立て、民にも人気で、体は頑強、頭はよく、性格は朗らかで勇気に満ち溢れている。そして、女の私のように、結婚でもしないかぎり、後見人から逃れられないなんてことはない。その自由な境遇を。


「嫌いにならないわけがないでしょう」


 最後は独り言に近かったのはよくわかっている。


「あなたに愛を捧げよう!」


 ……わたしはあなたが嫌いなのに?


「きっとあなたと過ごす日々はバラ色だ!」


 ……バラなんてすぐ枯れてしまうじゃない。


「さあ、行こう……イゾルデ!」


 ……ぎょっとして、思わず立ち上がった。テラスの手すりをつかんで取り乱しているのが自分だとは思いたくない。胸が轟き、オーウェンの立ち振る舞いに目が吸い寄せられる。遠くでひときわ大きな歓声が聞こえ、動揺しているわたしに人々の視線が刺さる。

 オーウェンもまた、今度はしっかりとわたしを捉えていた。自信たっぷりなその表情。褐色の髪が気持ちよさそうに揺れている。……対して、わたしはどんな顔でいたのか――見られたくはなかった、この男には、決して!

 じわじわと屈辱感が立ち上ってくる。

 この男――とうとう呼び捨てた! わたしは背後を振り向く。眼光に強い力が入っていたのは否めない。


「ベラ!」


 なんでしょうか、とベラはいつも通り――こんなときでも落ち着き払って尋ねる。


「城のマクスウェルへ伝令を走らせなさい! 今すぐ!」


 マクスウェルにはわたしがいない間の城のことを任せてあった。日ごろの細々した雑務も彼の仕事に入る。そして、騎士の司法についても。


「伝言にはなんと?」

「不敬のオーウェンに模擬決闘後、即刻拘束、家で謹慎させると!」

「……しかし、これは祭りの余興では?」


 そうね、とわたしはにやりと笑う。いつもの年なら駄目だろう。でも、今年だけは。


「客人が『わたしに度の越した求婚』をするオーウェンをどう思うのかしら?」


 そう、あらぬ噂を立てられぬことが今の『女伯』に必要なこと。わずかなスキャンダルを防ぐのは当然のことだろう。夫を選ぶこの時期には。罰を与えるのも当然のことなのだ!

 にわかにざわついたテラスをオーウェンが見ているのに気付き、わたしは視線を返した。

 わたしは見下ろし、相手は見上げる。以前の宿屋でのときのように。


「莫迦な男」


 自ら墓穴を掘った。唇だけでそう紡ぐ。

 オーウェンは……首を縮めたが、目を細め、ほんのわずか、首を振った。

 その意味をわたしは知らない。わからなかった。




 それでも祭りは続いていく。オーウェンの訴えが終わり、次は叔父がわたしに向かって語り掛ける。


「どうか、姫よ! 遠くへお行きなさいますな。我らは姫の誕生から今日この日まで見守ってまいりました。我らの許しもなく、このようなことがあってはならないのです! あなたさまは我らだけでなく、万の民や領地、その高貴な身分さえも捨てていかれるのですか?」


 叔父の声は広場中によく通る。透き通るような金の髪が広場に射し込む陽光に照らされきらきらと光る。顔立ちも整っているものだから、周囲の建物から見ている若い女性の観客たちはうっとりと聞き惚れている。


「その手を我らにお委ねください。我らが導いて差し上げましょう。姫に仕えるのがわが役目、わが喜び。姫――いや、わたしの可愛い姪っ子よ」


 叔父の呼びかけが変わった……。オーウェンの熱を受けて、対抗心でも燃やしたのだろうか。


「君に仕えるのが、私の役目、わが喜び。どうか、ずっとそばで支えさせてくれ」


 その言葉は『役』から逸脱したものだった。この言葉を聞いて皆がどう思うのか……血の気が引いていく。

 やられた、叔父とわたしの関係が取りざたされるのも時間の問題ではないか! 


「しまった。これではすべての縁談が消えてしまう……」


 叔父の目論見を知ってももう遅い。あなたが逃げられるのはここまでだ――叔父の声が耳の底で蘇る。まさか、最初からそのつもりで……。

 叔父様。聖職者としての外聞を捨ててまで、たとえ血は直接つながってはいなくとも仮に叔父と姪であるものを、そこまでして、執着しているのですか――


「女伯様」


 伝言に行ったベラの代わりに傍に来たのはパウルだった。着なれない服に居心地悪そうに身じろぎしながら、遠慮がちに口を開こうとする。


「大丈夫です」


 パウルの言葉に先んじて短く言う。……そう、まだ大丈夫なはずだ。胸に手を当てて、その手を握りこむ。

 ただ、問題は叔父の背後にある教皇の権力だ。この伯領は代々教皇の庇護があって守られている部分があったし、叔父がそもそも修道士になったのだって、教会との関係を少しでも良好に保つためでもあった。そして、余計な争いごとを避けるため、わたしの婿に選ばれる男も教皇派に属しているはずだ。そう、婿は結婚してもわたしの背後にいる叔父を恐れ、叔父はわたしを実質的に手に入れる。……教皇さえも公然と愛人を持っているのだから、わたしがそうならないとは限らない!

 何とかしないと。叔父がこれ以上何かする前に!


「姫をさらうというのなら、我々は血が果てるまでお相手いたそう!」


 すらりと叔父は剣を抜き、まっすぐオーウェンに向ける。

 その瞬間地に留まっていたはずの熱気が地上から天へと膨張していった。

 いいぞ、とはやし立てる声。口笛をぴゅうと吹く男。黄色い歓声をあげる女たち。彼らの熱に息苦しさを覚えそうだ。冷静な思考ができていないのはもはや自明だった。焦るばかりで気が散って、何も考え付かない。

 ここで叔父ははじめてわたしをまともに見た。獲物を見つけた獅子はこのような顔であるのだろうか。その眼を同じだけの力を込めて見つめることはできそうにない。どれだけ情けない顔を晒していたのだろう、わたしは。叔父は唇の端をあげたようだった。

 馬鹿げた劇はまだ続く。


「姫はそれを望んでいない!」

「なぜわかる若く浅慮な騎士よ!」

「ずっと傍で見ていたからだ!」

「では姫の望みとは何だ!」


 ……言葉の応酬が幾度も続く。戦闘の始まりを告げるのはいつも唐突なのだ。極端に長い年もあれば、短い年もある。かけあいをする二人の気分次第。

 「わたし」の望みとは何だろう? オーウェンの言葉で「姫」と「わたし」を重ね合わせてみれば、胸の奥を締め付けられるような切なさを覚える。座った椅子に背中を預け、体を深く沈みこませる。

 自分でもわかっていないものを、どうしてオーウェンが知っているのだというのだろう。ああ、違う。「姫」と「わたし」は別人だ。それなのに……きっとここまで苦しいのは、自分の後ろについて回る影に見入ってしまったからだ。振り返ってしまったあとには、なつかしさと寂寥感しか残らないというのに。


「わたしが願ったのは、花を摘む、無邪気な少女のままでいられること。一日を心穏やかに暮らせることだった」


 口に出してみれば、なんとささやかな望みだろう。それでも誰もそれを許してくれなかった。わたし自身も叶わないことを少女の時分から理解してしまっていた。

 昔のことだ。春の陽光に照らされた花の絨毯に寝そべっていたころのことだ……言葉にして言ったから覚えている。誰か傍にいたような気もするけれど、あれは誰だったのだろう。遠い昔においてきてしまった、あの面影の主は。

 姫の望みは、とオーウェンはいったん口をきったあと、


「真綿にくるまれて眠ることだ。あの方はすました顔をしていても、本当は優しく弱い方だ。一人きりで立つことのさみしさに耐えておられるのをこれ以上見ていられないのだ!」


 わたしは息をつめて、彼を凝視する。この男……。


「姫の安眠を乱すのは、お前だろう、オーウェン!」


 叔父の声がわたしの思考を断絶する。叔父の顔は曇りきり、ほとんど悲痛な叫びとも見える必死さがあった。

 曇ったのは叔父の顔ばかりではなかった。あんなに今まで天は晴れきっていたのに、頭上に重くのしかかってくるような雲が覆わんばかりになっていた。そのうち雨になるかもしれない。

 深く息を吸えば、濃厚な雨の気配が感じられる。観客にもちらほら天を見上げる者もいる。……雨が降ってしまえば、この馬鹿げた茶番につきあうこともない。

 それでも男たちの情熱は雨で覚めるものでもないのだろう。二軍に別れた騎士たちは、今か今かと掛け合いが終わるのを待っているし、前に進もうとする馬を止める姿にも焦りが見える。辛抱強く待つだけ待って、溜め込んだ熱を発散する機会を逃すまいとする。オーウェンと叔父とて、先ほどから落ち着かなさそうに馬上にある体を揺らしている。互いに睨み合う、狼と獅子というところだろうか。

 褐色の毛並みの狼は、青い目をきつく細め、眉にも険があるようだった。この男にもこんな顔をすることがあったのか。

 金色の毛並みの獅子は、顎をあげ、青い目で相手を見下している。抜かれた剣の輝きが不気味だった。いや、そう思っているのは、わたしが目の当たりにしている事態をつくりだしたのがこの人だという状況を理解しているからかもしれない。

 ……普段なら、オーウェンに勝ってほしいとはまったく思わないが、今ばかりは祈りたかった。どうか、叔父に勝って、わたしを追い詰めるその手を払ってほしいと。強固な意志を打ち砕いてほしいと。


「パウル、知っていますか?」


 将二人の会話を食い入るように見ていたパウルが、急に背筋を伸ばして、勢いよくこちらに向き直る。彼に向かってにっこりとほほ笑んで見せた。打算的なほほ笑みを。


「わたしは褐色の狼の方を好んでいるのですよ」


 オーウェン。あなたを利用しましょう。最悪の事態をさけるための布石として。あなたが仕える主人のためですから、理解してくれるでしょう?

 模擬決闘を争う口実とされる「姫」の意志がこの催しの中で反映されることはほとんどない。それで結果が変わるわけでもない。けれど、言葉を話す役目にはなくとも、「姫」の意志がどこにあるのかを示す方法がある。


「は?」


 きょとんと見返すパウルにわたしは頼みごとをする。



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