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 暦では春が近いはずなのに、いまだ冷気が城の中を覆っている。木には霜がおり、城の窓から見える山は当分雪化粧が取れないだろう。若葉が繁るころには日の光も優しくなる。厳しい冬がようやく終わる。農民たちは長い巣ごもりから這い出して、生業に精を出す。

 それがわたしの「国」。

 冬の食糧不足に悩まされ、今年も何人もの民が命を落としてしまった。城下町トゥアーがどれだけ商業的に発展してもこればかりはどうにもならないのかもしれない。金は上から下へは流れず、横に流れる。結局のところ、農民たちがつくったものが高くは売れず、安く買いたたかれることや、暴利をむさぼる商人たちがいることで、この領内の財政は必ずしも豊かとは言えないのだ。

 父から受け継いだものは大きく、重い。商業政策においては恐ろしく頭の回転がはやかった人だが、それ以外ではあまり有能だったとは思えない。均衡をとることを知らず、借財は膨れ上がり、叔父につけいる隙を与えてしまった。

 眼下では、叔父の乗った馬車がやっと城から引き上げていく。侍女のベラが体よく追い出せたのだろう。あのしっかり者のことだ、叔父はお世辞を聞いて愉快な気分で帰って行ったに違いない。

 わたしが隣部屋のクローゼットを開け、華美でない毛皮のガウンを身にまとった。フードをかぶってしまえば、顔が見えにくくなる。こうするだけで城下を歩いても、皆からは使いに出された侍女だと思われるのだ。

 人気のない通路を選び、裏口から外に出た。昔裏口の外にある裏庭は刑場だった。戦争時には多くの捕虜の首がこのそばの外壁からさらされたと聞く。首だけの亡霊が出るとか、不吉な噂が絶えない。人の死がまとわりつく場所である以上、誰もここに進んで近づこうという者はなかった。それがわたしには都合がよいのである。

 枯れた芝生の島がまばらにある裏庭を抜けて、城壁へ向かう。

 城壁を伝って、城を囲む塀を一つ越えて少し回り込んだ先に厩舎がある。騎士や滞在中の客人の馬、あるいは伯家で所有する名馬たちが先祖代々の馬番に世話されている。ただし、軍馬は別の場所に留め置かれている。

 馬番たちは叔父の馬車を送り出したばかりで一息ついていた。馬の毛づくろいや飼い葉おけを運ぶ手を休めて、各々気ままに雑談に興じているようだ。年かさの者たちはどこからか酒まで持ち出して、昼間からあおっている。感心な態度ではないが、今日という特別な日に限っては咎めるべきではないだろう。


「ふうう。一仕事あとの一杯は最高だ! 祭りの昼間はたまんねえ!」

「おめえさんの言うとおりだ! 俺なんか昨晩泊まり込みで寝てねえんだぜ。もう飲みたくてしょうがなかった! うむ、うまい!」

「うそつけ、ハンス。お前、泊まりこみながら一晩中酒を飲んでいただろう。厩舎に酒の匂いがぷうんって匂っていたぞ。馬が酔っちまったらどうすんだよお……おおい、パウル! ご主人様の馬に餌をやっといたかあ?」


 一人の男が呼びかけてみれば、厩舎の奥からぱっと顔を出した者がいる。ひょろりとした見習いの少年だ。


「へえい。さっき足りなくなったんで、取りに来たところです」


 眠そうな顔つきの割に、口から出た言葉は歯切れよく、よく聞こえた。

 さて、呼ぼう。

 ぎっしり餌の入った飼い葉おけを抱えた少年は厩舎に戻った、桶を置いて一息ついて顔を上げたところで、ようやくわたしの手招きに気付いた。

少年パウルは不思議そうな顔をしていたが、親方たちの眼を避けるようにして、わたしのもとにやってきた。

 わたしはフードを上げた。


「にょ、にょ、女伯さま……!」


 彼の顔が白くなって、その口や体から敬いが表れる前に、しっと唇に人差し指をあてた。

 パウルはわざわざ自分の手で口を覆って、何度も頷いた。


「ごめんなさいね。少し、お願いがあって来ました」

「もしや内密にお出かけされるから馬を牽いてほしい……とか? それ、怒られるのは僕なのでは……い、いえ私のような者が意見することではないのですが……」


 パウルはしどろもどろになりながら言う。


「あら、パウル。察しがいいわね。そのとおりよ。さあ、馬をひいてきて頂戴」

「お供の方はどちらに?」

「いないわ」


 そう言いながらふと、髪を下ろしたままで来てしまったのはまずかったかもしれないと思う。独身女性が供もつれずに馬に乗るのは、まるで誰でも構わないから口説いてくれと言っているようなものだ。

 ベラは城の中でわたしの不在を器用にごまかしているし、ここまで来て他人に知らせるのもあまりよくない。


「パウル。今日だけでいいから、わたしの供をなさい」


 くっ、とパウルの顔が引きつった。


「じゃ、若輩者である上に、しがない厩舎番の息子には荷が重いので……」

「あなたならできると思うから言っているのよ」


 心からの微笑みを浮かべた。パウルにはわたしに取り入ろうという野心が薄く、自分ができる仕事を正確にやる能力があるし、機敏に動く。言葉も仕草もとても素直だ。どうかこのまま大人になってほしい。何を考えているのかよくわからないオーウェンのようなねじ曲がった大人にはならないでほしい。

 ただ、この場で頼みを断ってもらうのは困る。ゆっくりと核心をつくように囁く。


「あなた、最近、好きな子できたでしょう?」


 パウルの顔がみるみる赤くなって、しまいには胸までおさえて、じりじりと後ずさる。


「女伯さま。そ、そ、そんなわけないですよ。何を急に……」

「名前はエリーゼ」


 彼の胸で大きく鼓動を打ったのは間違いないだろう。あとは最後通牒を突きつけるだけ。


「さあ、どうする?」


 パウルはあっけなく陥落した。




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