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 マクスウェルの手によって早急に召喚状が通達された。早馬で一日以内に在住する騎士たちの中で三名ほどの名がわたしに報告された。知る限り、彼らは皆老年の騎士で、伯家の中枢とは一定の距離を保っている。

 祭り二日目。昨日の出来事は今年の祈年祭の盛況に水を差すものと思われたが、決してそんなことはなく、城に伝わってくる報告は明るいものばかりだ。城下には屋台が多く立ち、他領からも大勢の人々がやってきた。

 ただ、城内でいえばその活気はやや低迷している。叔父の容体は芳しくなく、いまだ峠を越していない。城の貴賓室で寝かされているが、あれから目を覚ましてはいないのだ。

 そんな状況であるから、城内もやはり緊張感が漂う。一旦暇をもらって城下で楽しむ予定だった召使いたちも皆城に留め置かれ、同じく遊興に耽る予定だった客人たちも城に引きこもり、城内にある楽器を手慰みにかき鳴らして無聊を慰めている。

 相手をしないで済む分、わたしも楽なものだ。


「ベラ。気になることでも?」


 廊下を歩く途中で思案気にこちらをみていた彼女に声をかける。ベラは静かにこう切り出した。


「昨夜、オーウェンと何を話されましたか」


 そうね、と溜息を零した。零してしまうのは仕方ない。

わたしはあの男の手で踊らされているような気がしてしまうのだから。あの笑みに、すべてを狂わされているのではないか、と疑っているのだから。


「地獄に糸を垂らしてあげた、ということかしら。しっかりつかんで戻ってくるだろうと確信してしまっているのがしゃくだけれど」


 彼を信頼している自分に苛立ちを覚える。


「オーウェンを信じなさっているのですね」

「ええ。厄介なことに。……それがどうかしたの?」


 ベラはゆっくりと下に向いた視線を上向けた。しきりに彷徨う瞳がわたしのものと通じ合った。


「僭越ながら、ものを申してよろしいですか」


 なに、と問い返す。彼女のドレスのスカートに皺が寄っていた。彼女が、布ごと拳を握りこんでいた。


「どうか、今私がこう申し上げる理由を聞かないでください。私は、イゾルデ様を心からお慕いしています。これからもそれは変わりません。……どうか選ぶべき人をお間違えにならないでください。ご自分の幸せも、顧みてください」

「え?」


 どうか、わけを聞かないでください。ベラは、わたしの疑問の呟きに重ねるように繰り返した。まるで懇願するかのよう。どうしたの、と聞きたくなったけれど、尋ねるのは憚られた。


「私は、イゾルデ様の侍女で、これからもそうありたいと思います。私的なことを排してきた私以上に、イゾルデ様はご自分を削っておられるのは感心いたしません。どうか、イゾルデ様にいつもお仕えしている私の気持ちをお汲み取りください」


 わたしはきっと珍しく素直に虚をつかれたような表情になっていたように思う。やがてじわじわと少しだけ意地の悪い笑みが零れてきた。


「あなたから話を聞く限り、わたしって美しい自己犠牲を払っている可哀想な女みたい。さすがにそこまで殊勝だった覚えはないのだけれど」


 そうでしょう? ベラにわざとらしく話を振ってみると、彼女は……それまで浮かべていた表情を消し去った。あれは、何と名づけたものだろう。あえて言うならば、さみしい、と告げているような、陰のある顔だ。完璧な侍女には相応しからぬ、人間らしい顔なのだ。ああ、惜しい。泡沫のように弾けて消えてしまったその顔には、一見の価値があったのに。

 そんな戯れの感傷は尾を引くことはなかった。行き先があったからだ。

でも、わたしはもっと惜しむべきだった。軽口で応じることなく、嘘でも神妙な顔で頷くべきだったのだ。そうしたら、わずかでも彼女の心も晴れただろう。こうしてわたしの拭い去れぬ思いばかりは降り積もっていく。何気ないきっかけをすべて逃して、もう戻れない道に進んでいくのだ。

 マンドリンやリュートの音が切れ切れに聞こえる中、叔父の病室に向かう。

 手を上げて、警護の兵を下がらせる。後ろにベラを引き連れ、中に入った。

 天蓋付きのベッドの上の叔父は、まるで死人のように胸の上に両手を合わせて眠っている。金色の睫毛がふるりと揺れているように思えたが、それはただ開け放してあった窓から吹き込む風にすぎなかった。

 喉に痛々しく巻かれた布が、いつもの叔父にはいかにも不似合いだった。眠る、という無防備な叔父を見つめるのも初めてのことだった。


「叔父様でも、こうしていると哀れさを誘うわね……」


 容体をみた医者によれば、喉を突かれたせいで、発声のための器官が傷ついたのだそうだ。叔父は二度と声を出すことはできない。馬から落ちたときの打ちどころが悪く、両の足を動かせなくなるだろう、とも。


「事故から一度も目覚めていないのね?」

「はい」


 このまま目覚めない方がよいのかもしれない。叔父が再びその瞳を見せたとき、きっと世界は変わってしまっているだろうから。綺麗な彫像のような眠り姿を留めていれば、わたしはこれ以上何も思わなくても済むから。

 ……そう、今なら叔父に微笑みかけることができる。


「叔父様。できるだけ長く微睡んでいてくださいね――」


 わたしは、冷たい風が吹きこんでくる窓を閉めた。




 日が傾いてきた。廊下を歩き、ふと壁から切り抜かれた窓の外を見た。

 城壁の向こうに広がるこげ茶色の町は、夕方に差し掛かって、暖色を帯びて。道の石畳みは夕日を浴びて、行きかう人々の合間からちらちらとその柔らかな色味を見せている。

 あの町の中に、招集された騎士たちや、オーウェンがいるはずだ。

 彼は夜明け前に内々に釈放され、誰にも知られぬことなく町に下りた。今部屋の外に常駐されている衛兵は、囚人のいない空箱を警備しているに過ぎない。

 すべての報告は、祭りの最終日に直接この耳に聞くことになっている。

 最終日に最終の決断を下す。オーウェンの処分も、教会への態度も。

 教会にも叔父の凶事はこちらが報告する前に伝わっており、昼間に書簡が届いた。教皇の直筆で書かれたところに、叔父の存在の重要さがわかるというものだ。教皇の右腕であり、将来の教皇として期待されていた叔父の「戦線離脱」。それは教会内のさまざまな教派に影響を与えるはずだった。叔父がいなくなったおかげで、助かった者も多いだろう。叔父にあたる光は強すぎた。そのために深い影が付きまとっていたのだ。

 教皇の非公式の使者は、明日到着するとのことだった。その旨を書いた書簡は今この手の中に。どのような男か知らないが、教皇側の人間に違いない。彼は叔父の状態を知り、対面し、事の真相を知りたがる。図らずも実行犯となってしまったオーウェンに対して尋問を加えさせようとするかもしれない。それは教会による「越権行為」。防ぐために、わたしは一刻も早く、事件を収束させなければならなかった。

 ちょうど通りかかったマクスウェルに書簡の保管を頼んでおき、ベラにはわたしの不在を誤魔化すように言っておく。


「……今は動かれない方がよろしいかと存じます」


 どうして、と聞くと、彼女は質素なドレスのスカートを握りしめた。


「お客様がいらっしゃるばかりではなく、司教様の容体は思わしくないために城内が落ち着かないのでございます」


 落ち着かない、というのはわたしも理解していたことだった。伯家の人間の「不慮の事故」、しかも犯人として捕まった男は誰もが敬愛の念を持っているオーウェン。皆動揺しているのもわかる。すでに流れ始めた噂をも、知っている。


「わたしだってもう気づいているのですよ――叔父様は、わたしをものにしようとした。そのためにオーウェンは主を守るために叔父に手をかけようとしたということには」


 わたしは、あなたの勝利を所望いたします――あの行動でさえ、合図と受け取られたかもしれない。わたしが命令したのだと言われるのも時間の問題である。


「けれど、それはあくまで噂なのですよ」


 噂であるからこそ、怖いということもあるが。

 少なくとも、オーウェンは「主」を守るためにあんなことはしないということは知っている。


「落ち着かないのなら、早々に静寂に沈めてしまえばよい。そうは思わない?」


 動くべき時は早急に。それまではひたすら待ち続ける。腰を据えて取り組む問題であろうともとにかく大事なのは、情報である。早く終わらせるべきか否かも情報としておけば、出遅れずに済むだろう。……全く、父の教えというものは色々と応用が利く。


「さあ、パウルに供をさせましょうか。ベラ、祭りのためのドレスを用意して頂戴」


 かしこまりました、と彼女は頭を下げた。




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