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死神と眠り姫

作者: キョン子

一目惚れだった。

あたしの病室の隣はスキーで足を折ったとか言う若い男の人で、彼はそのお見舞いに来ていた友人の一人だった。

優しそうで、銀縁眼鏡がよく似合って、穏やかで理知的で。

出会った瞬間、脊髄に電撃が走った。この人だと思った。彼と出会う為にあたしは今まで生き長らえて来たのだと本能で理解した。

恋とは偉大だ。彼に出会った途端あたしの身体を蝕んでいた病魔に歯止めが掛かったらしい。生きる気力を得たあたしはそれまでサボっていた投薬治療やリハビリも頑張るようになったし、彼にいつ会えるか分からないので今まで構ったことのなかった身なりにも気を遣うようになった。彼に会えた日は背中に羽根が生えたように身体が軽くて、声が聞けた日は心に灯りが灯ったように暖かくて。

彼に恋をして、生まれてはじめてあたしは普通の女の子として生きることが出来たのだ。

名前も年齢も知らないあたしの運命の人。

待ってて下さい。きっと元気になって、いつかあなたに会いに行きます。

それが、いつしかあたしの生きる目標になった。







「で、また失敗した、と」

「……」

「懲りないねェマユコも。いい加減諦めたらいいのにィ」

呑気かつすっかり他人事な物言いに腹が立っても、反論の余地は見当たらない。

だって、どう言い繕ってもあたしは失敗したのだ。今回こそはと綿密な作戦まで練っていったのになんの功も奏さなかった。

悔しさに唇を噛み締めて俯けば、「どんまーい」と気楽な言葉が掛かった。

「今回はいくつに『跳んだ』んだっけ?」

「……十歳」

「となると、お相手は?」

「……二十二歳」

「ワオ、いい具合に犯罪臭がするね」

年の差が絶望的だなんて分かりきっていることだ。正攻法でいって相手にされる訳がない。だから、今度は彼の妹に取り入ることにした。彼女はちょうど真ん中の十五歳だったから、きっといい橋渡しになってくれると踏んだのに。

「すげなく断られた?」

「違う!彼女と仲良くなるのは成功したの!……でも、彼にもう女が居た」

「あらら」

「油断してたわ。女子大生っていう人種が如何にあざといかよく分かった」

「所詮男なんて狼だからねェ。頭が悪くても素直で乳のデカい女に弱いんだよ」

「……それ、あんたの意見?」

「とんでもない。一般論よ一般論」

「…ふん、どうせあたしはひねくれ者よ」

「だーいじょうぶ!ひねくれ者で貧乳でも、オレはマユコ一筋!」

にい、と牙のような犬歯を出して嬉しそうに笑う顔。その横っ面を思いっきり引っ叩いてやりたい衝動に駆られる。

…しかし、どうせそれは叶わないだろう。どうせいつもの通り、あたしの目には留まらない速度で空間を移動して避けられるのがオチ。

――何故ならこいつは、人間ではないのだから。


自分のことを『死神』だと名乗るそいつと出会ったのは、六歳の時だ。

あたしは生まれつき循環器系に厄介な病気を抱えていて、物心付く頃には既に入退院を繰り返す生活を余儀なくされていた。

あれは確か春先のことだったと思う。季節の変わり目で風邪を引いたあたしは当然のようにそれをこじらせて肺炎を併発し、生死の境を三日三晩さまよった。ひどく苦しくて、まるで肺が象に押しつぶされているみたいだった。薄れ行く意識の中、ぼんやりと覚えているのは必死にあたしの名前を呼ぶママとお医者さんの顔。次第に酸素が廻らなくなった頭の片隅でやっぱりパパは来てくれないんだなぁなんて今更な事実を思い知り、あたしは絶望という言葉の意味を実感して、そのまま意識を手放し深い深い闇に落ちて行った――はずたったんだけど。

『やァこんにちは、お嬢さん』

目覚めた場所は三途の川……ではなかった。けれど、この世のどこでもない場所だった。

今まで見たこともないような駄々っ広い真っ白な場所で目を覚ましたあたしは、面白がるように覗き込んでいた若い男と目が合った。

空間を切り取るような真っ黒なローブに、笑うと糸のように細くなる眼差し。一見単なる気の良さそうな青年にしか見えないが、そいつが人間ではないとすぐに判断出来たのは真っ黒な長い髪の毛の隙間から二本の角がにょっきりと生えていたからだ。天を刺すように大きくカーブしたそれはまるで羊の角のようで絵本で読んだことのある悪魔がよく似た容姿だったから、幼かったあたしはああそうかきっとこの人は悪魔なのだと妙に納得した。

『うーん、悪魔とはちょっと違うかなァ。いわゆる人間の言うところの……『死神』って言って分かる?』

しにがみ。

名前からして不吉極まりないのに、表情豊かで人懐っこい瞳をしていたからか、不思議と恐怖心は湧かなかった。一通りの自己紹介とあたしの短い生い立ちを聞いて、奴は爽やかに笑った。

『いやー、でも珍しいこともあるもんだ。こんなところで生きてる人間と会うなんて』

『……ここ、どこなの』

『一口に説明すんの難しいんだけど、オレの固有結界っていうのが一番近いかな?』

『……どうしてあたし、そんなところにいるの』

『今、君は臨死体験真っ最中だから』

背中を支えられ起きあがる。足も感覚もあるのに、自分が今まさに死にかけているとは妙な状況だ。

『ほら、鎌見えるっしょ。これで君の魂の根本をスッパーンって切っちゃうと、君はお陀仏って訳だね』

『ふぅん』

『あら、気のない返事』

『だって、どうせしぬんでしょう』

『まァこの上なく死に直面はしているね』

『……いたく、しないでね』

そそられる台詞だねェ、と死神は笑う。

『でも、それは出来ないんだ』

『……え?』

『死神の仕事はあくまで寿命を終えた人間の魂の回収なのよ』

『……』

『普通死神の固有結界って、死んだ人間しか入れないわけ。いくら臨死体験真っ最中でも寿命の尽きてない人間はここに入る前に弾かれちゃうのね』

『……』

『死んだ人間はここへ来て、決して目を覚まさない。文字通りの意味でね。静かに横たわったってるところにオレたちがお邪魔して、ちょいちょいって作業をしておしまいなんだけど』

『……あたし、めがさめてるわ』

『そう。それはすごく珍しいことなんだ。ここで目を覚ますことの出来る人間は性質としてはオレたちに近い。どういうことか分かる?』

『……わからないわ』

『つまりィ、死神の素質があるってこと』

『そしつ…』

『そう。人ならざるもの、つまりオレたちみたいな存在になれる可能性があるってこと』

そこまで説明して、奴は満足気に微笑んであたしの隣に腰を下ろした。

『ねえ』

鎌を抱えたまま奴はあたしの指を掬う。さすがに体温は感じられなかったけれど、それでも十分優しい仕草に恐ろしさは覚えなかった。そして、思わず耳を疑うような提案をされたのはその後だ。

『一緒においでよ。オレのお嫁さんにしてあげる』。



「もーいい加減なびいてくれても罰は当たらないと思うんだけどなァ」

如何にも不満げなその台詞を、この十年で幾度聞いてきたか分からない。

死神の名に恥じない程度に身体は不健康に細いのに、二メートル近くある上背のおかげで迫られた時の圧迫感たるや無視できないものがある。やめてと突き飛ばしてもビクともしない辺りが、更にあたしの苛立ちを誘った。

「もう十年よ、十年。オレくらい一途な男は居ないと思うぜェ?」

「別に、待っててほしいなんてこれっぽっちも頼んでないんだけど」

十年恋焦がれ、一途に相手を想い続けているというのであれば美談かもしれない。

しかし、こいつの場合はそうとは言い切れない。何を待っているかと言えば、あたしが死ぬその瞬間を。もっと正確に言うなら『人間として生きることを諦めて死神として生まれ変わる瞬間を』、だ。

十年前、六歳のあたしは運良く意識を取り戻した。けれど、病気は完治したわけではなかった。

その後もあたしは人生で何度も生死の境を彷徨い、真っ白な閉塞空間で目を覚ますと必ずこいつがいて、待ってましたとばかりにあたしのことを出迎える。言うまでもなく今回もそうで、今回に至ってはご丁寧なことにドライフラワーの花束まで抱えていた。

「オレそんじょそこらの人間より、絶対マユコのこと幸せに出来るぜェ?」

「あんた、そんなこと言って単にあたしがババァになる前に死んでほしいだけでしょ」

「そんなことないさ、幼ければ幼いほどいいってだけで」

「威張んなロリコン!」

生まれたときから病室が自分の部屋だった。

友達なんて呼べる人は一人も居なかったし、薬は苦いし注射は痛いし検査は辛いしおまけにパパとママは不仲だった。

それなのに、こいつときたら。

「なァ、俺と一緒に行こうぜ。生まれてきて良かったーって思わせてやるから」

馬鹿みたいな笑顔で、十年間ずっとそればっかり。

そのネバーギブアップのしつこさは、うんざりを通り越してむしろ尊敬に値する。

「……あんた、なんであたしなんかに執着すんの」

「えー、愛に理由なんかないっしょ」

「ハッ」

「鼻で笑うなよォ、おまえだって愛されたいからあのメガネ君にアタックしてんだろ」

「……そうよ。なにがいけないの」

「いけなかないけどさ、マユコには俺が居るじゃんって話」

「頭に角生やした彼氏はいらないわ」

「ひでェ、人種差別反対!」



そう、あたしは愛されたい。

人外からのアプローチを除いて、焦げ付くほど願ったあたしの初めての恋は、突然終わりを告げた。

自分が余りに長く病院に居座っているものだから忘れていたのだ。若者のスキー骨折など流行病のようなもので、骨さえくっついてしまえばあっという間に退院してしまう。程なくして空っぽになり誰も尋ねてこなくなった隣の病室の前で、あたしは悲嘆に暮れた。そして、そのまま意識を失った。油断した途端、それまで押さえ込んでいた病魔がこれ幸いとばかりに猛威を振るい、そのまま昏睡状態に陥って……で、気付いたらまたここに居たという訳だ。

「やァマユコ。俺のモノになる決心はついた?」

絶望的な気持ちを抱えながらも、あたしはその暢気な顔を見て思い出した。一筋の希望の光。こいつがあたしを口説く時、戯れのように繰り返していた言葉を。

曰く、『死神は、時間遡行が出来る』。

死神はこの世の理の外にある存在だ。魂を取る対象の人となりを調べたり、他の死神から不正な干渉を受けていないかなどを調査するために過去に赴くこともある。だから、自分と一緒に来れば懐かしい顔に会うことだって可能だと奴は言っていた。

別に会いたい人なんかいなかったから聞き流していたのだが、あたしはその能力にある計画を思いついた。

あたしが死神に近い素質を持っているなら、あたしも過去へ飛べるのではないか?

過去で彼と出会い、彼が現在までずっとあたしのことを忘れずにいてくれたとしたら、あたしの未来は変わるのではないだろうか、と。

「そりゃだめだ、過去を変えるのは御法度なんだぞ」

勿論奴には反対された。

確かに死神は時間遡行の権利が与えられているが、それは個別の楽しみではなく業務の一環であること。そしてなにより時間移動は死神だから耐えられる荒技で、人間のままの体では寿命を大幅に削ってしまうということ。

ありとあらゆる方向の正論で奴はあたしの説得を試みたけれど、頑としてあたしは納得しなかった。

過去に行けば彼と会える。彼と出会って、あたしという存在を知ってもらって、彼が未来で待ってくれているとしたなら、あたしはこの運命に逆らって生きることが出来るかもしれない。そんな砂粒みたいな可能性を信じて、頭を下げ続けた。

「別になにをするって訳じゃないわ。彼に会いに行くだけよ」

「会ってどうすんだよォ」

「賭けるだけよ。彼と出会って、あたしの身体が生きる理由を見つけられるかどうか」

「……」

自分の身体のことだからなんとなく分かる。この昏倒は今までとは訳が違う。おそらく、本当に時間の問題であたしは死ぬだろう。なにをすることなく、彼に好きだと告げることも出来ないままあたしはたった一人死んでいくのだ。

(そんなの、絶対認められない)


規則違反になると渋っていた死神を説得(という名の強要)し、あたしは身体が耐えうるであろう三回だけ過去に送ってもらえることになった。

あくまで死神ではないあたしはこの姿のまま時間移動は出来ない。同じ時間軸に存在出来る『北村マユコ』はたった一人だけ。だから、その年代の自分の中に三時間だけ意識を送り込むことなら出来ると奴は説明してくれた。

一度目は十三歳。

二度目は十歳。

そして三度目は六歳。

非常識な裏技を使うのだから文句は言えないが、いくらなんでも六歳ではお話にならない。どう頑張ったって恋愛に持ち込むのは不可能だ。

だから、勝負を決めるなら一度目。あるいは譲歩して二度だ。そこまでに、彼の心を掴まなくてはならない。

『彼があたしを記憶している間』。

その簡単そうでいて難しい奇跡の前に、あたしは二度撃沈している。

もう既に跳んだ十三歳のあたしも十歳のあたしも、悲しい程にあっさりと彼の記憶から消えて行った。つまり、次の時間遡行が実質上のラストチャンスだ。


「なァ、マユコ」

「なによ」

改まって呼び掛けられ顔を上げると、奴からおちゃらけた表情は消えていた。

黒いローブに黒い髪。そこから除く切れ長の瞳はよく見れば深い赤だ。人外を示す、罪の色。

「オレは死神なんだ。おまえの寿命なら手に取るように分かる。それはさっきも説明したろ?」

「……」

「今すぐ決断してくれれば『死神』になれる。『北村マユコ』という意識を保ったまま、これからも存在することが出来るんだ」

死神になるには、この固有結界の中で魔界との隷属契約を結ぶ必要があるのだと奴は語った。

そのチャンスは――おそらくこれが最後なのだろう。

「予想以上に、おまえの身体は弱ってる。もしもう一度『時間遡行』をすればここに戻る間もなく死に至る可能性だってあるんだ」

「……」

「もし過去に赴いている間に寿命が尽きれば、固有結界には連れ戻せない。死神に回収されない魂は地縛霊になって、往生すら出来ない」

「……」

「なぁ、分かるか?往生出来ないってことは、輪廻の輪から外れることだ。半永久的に過去の亡霊になって彷徨い続け、気が遠くなるくらいの時間を一人で過ごすことになるんだぞ」

「……分かってるわ」

例えるなら、朝日も差さない、誰もお見舞いに来ない病室だ。それがどんなに寂しくつらいことか、他の誰でもないあたしが一番よく分かっている。

生きているうちならまだいい。死んだら終わりだと思える。でも、それは死んだって終わらない地獄だ。

けれど。

「理解はしてる。…納得もしてる。…覚悟も出来てる」

あたしという意識を保ったまま永遠の命を得るか、あの人との未来を夢見て逆転満塁ホームランの可能性に掛けるか。

その二択を目の前に並べられたなら、あたしは何度だって迷わず後者を選ぶだろう。

だって、彼が好きだというこの気持ちだけがあたしをこの世界につなぎ止めているたった一つの証。

あの人と出会えて、真っ暗だったあたしの人生はようやく色をつけ始めた。朝日は眩しくて、四季は美しくて、食べ飽きた病院食ですら美味しいと思うようになって。

この出来損ないの身体で、もっともっと生きたいと、素直にそう思えるようになった。

そこにまだチャンスがあるのなら、決して可能性はゼロじゃない。

「ねぇ、死神」

「……」

「…お願い。あたしが生きているうちに最後にもう一度だけ、あたしを過去に送って」

「……マユコ」

「賭けたいの。彼と過ごす未来があるんだって夢見て、……最後まで足掻きたいの」

「死神になるのは、いやか」

「……」

「永遠の命だぞ。おまえはおまえのまま存在することが出来るし、つらいことも痛いこともない」

「……」

「それでも、いくのか」

視線が交錯して、十秒。

お互いの気持ちをぶつけ合うようにあたしたちは見詰め合う。

「……」

「……」

物言わぬ勝負の結果――先に折れたのは奴の方だった。

なにかを言いかけた唇が真一文字に結ばれて、奴があたしから目を逸らす。

その一連の動作を、瞬きもせずにあたしはただ見つめていた。

「…ったく、仕方ないねェ」

細く長い息が漏れる。

胸元から何かを取り出す仕草をしたかと思ったら、奴はおもむろにそれをあたし差し出した。

「……なにこれ」

「死神時計」

「ダサいネーミングね」

「オレが付けた訳じゃないって」

それはなぜかストップウォッチの形状をしていた。私の両掌くらいの大きさの丸い形のそれは、カチカチと不吉なほど大きく針の音響いている。

鈍い色の光を放つそれは不思議な質感だった。つるりとしているようでざらついてもいて、銀でも真鍮でもプラスチックでもない、この世のものならざる材質。指先でなぞれば、つるりと逃げていく。

「時間、書いてあるだろ」

「…ええ。百八十、五分?」

「それが、マユコのタイムリミット」

「……」

「対象の余命時間を表すんだ。今までマユコにはまったく反応しなかったんだけど」

きちんと表記された時間は刻一刻と減って行く。掌に感じる重み。これが、あたしの――。

「ラストチャンスだ」

「……」

「失敗すれば死神にはなれない。母親と最期の別れも出来ないまま命を終えるだけ」

「……」

「本当にいいんだな?」

奴が、俯いたあたしの顔を覗き込む。

間近で見る顔は角を生えていることを除けばやはり気の良さそうな青年でしかなかった。

笑えばえくぼも出るし、自己申告がなければ死神だなんて思いもしない容姿だ。

死神なんていうのは、こういうものなのだろうか。それとも。

「……いいわ別に。あたしが死んで、ママが安心する顔は見たくないもの」

「まァたそういう可愛くないことを」

「あたしは元々そういう人間よ。あんたも知ってるでしょう」

「まあね」

「嫌味?」

「まさか」

苦笑して、奴はあたしの背後へと廻った。

過去へ向かう儀式は三度目。聞き取れない早さで奴が呪文を唱え始めれば、運命の分かれ道ははすぐそこだ。

「……ねぇ」

「ん?」

「……今まで我侭ばかり言って、悪かったわね」

「……」

「…なんで黙るのよ」

「いや、マユコがオレに謝るなんて珍しくってつい」

思いっきり後ろ足を踏んづけてやれば、背後からは情けない悲鳴が聞こえる。相変わらずこいつは一言多い。

だって、これが最後になる。

今まであたしに幸福なんて与えてくれなかった神様に感謝なんてするつもりはないけれど、今まで散々あたしに構ってきた死神こいつになら、お礼の一つを言っても罰は当たらないと思った。

「…ねえ、あんたの名前は?」

「そんなこと聞いてどうする」

「生まれ変わったら、犬にでもつけるわ」

「ひっでェ」

「嘘よ。ただ、知りたいだけ」

こんな小娘の我侭に付き合ってくれた、酔狂な死神の名を。

「……死神の相棒になってあげられなくて、ごめんね」

「……」

「あんたのこと、嫌いじゃなかったわ。変な奴だったけど優しかったもの」

「……」

「元気で……っていうのもなんか変だけど、でも、他に言葉が思いつかないから」

あんたの道の先に、あんたの望みが待っていますように。そう祈ることくらい、残り短い余命でだって出来る。

そっと目を閉じる。時間遡行の間は目を閉じていなければならないらしい。彼に会う前に、どこともしれない時空の狭間に取り残されるなんて御免だ。


「……」

大きな掌がそっと私の肩を掴む。身を委ねれば身体中の血液が逆流を始めたように粟立った。この感覚ももう三度目だ。

「なァ、マユコ」

「…なに」

「オレさ、マユコって結構性格悪いと思うんだよね」

「…は?」

失礼な言葉に思わず目を開きかけるが、「目ェ開けたらダメ」と囁かれる。

「口悪いし、ネガティブだし、ひねくれてるし、ナマイキだし」

「……」

「自分勝手だし、我侭だし、斜に構えてるふりしてどっかで自分のこと可哀想だと思ってるし」

「……」

もう一回足を踏んづけてやろうとするが今度はうまく避けられる。攻撃がただの地団駄になった。

「でもさ」

「……」

「オレにとっておまえは、特別な女の子だったんだ」

「……」

「なんでだろうな。自分でもわかんないんだ。でも、初めておまえがここに来た時からずっと、おまえはオレの」

「……」

「……いや、いいわ。やっぱやめとく」

「ちょっと」

途中でやめないでよ、と口にしようとしたその瞬間。

なにか、冷たい感触が唇に触れた。

言葉ごと、呼吸ごと。がぶりと食われたような……いや、吸い込まれたような。

押し付けられた柔らかな衝撃に、身体の奥で火花が散った。

今度こそ間違いなく目を開けてしまったのだが、もう目の前は真っ暗だった。大きな掌を押し当てられているのだと、その冷たさで気が付く。

「目ェ、開けたらダメだってば」

「今、あんた、なに」

「んー?ご褒美?」

「ご、ご褒美って……」

「言ってもくれないだろうから、無理やり貰ってやった」

耳元に直接響くその笑い声はいつも通り気のいい死神そのものだった。

指先から質量がなくなる。身体中が溶けた鉄に混ぜられていくような、光に分解され雲散霧消していくような感覚に襲われる。

ああ、あたしはこれから、この世界から溶けて行くのだ。


「じゃあな、達者で」

 待って。待ってよ。

「随分長いこと生きてるが、おまえと過ごした十年間は悪くなかったぜェ」

待ってったら。ねぇ、どうしてあんたがそんなこと言うの。それは、私が。

「いつかババァになったら、また迎えに来てやるよォ。だから精々幸せに生きろ。今までの分もなァ」

 まって、あんたのなまえを、あたしはまだ。

「おまえは笑った顔が一番いい。死神は魂は取るが嘘は吐かない。信じていいぞォ」


 ばか じゃ ないの ねえ そんなことより  あん  たの    なまえ    




なぁ、掴みの台詞は、『あたしのモノになってくれる?』で行けよ。

大丈夫だ。

あのメガネ君はオレとおんなじで絶対ロリコンだ。

――六歳児のおまえは、オレだけのもんにしたいくらい、世界一可愛かったぜェ!

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