7話
2006年5月12日
午前5時00分
この日も俺、野木原武雄少佐はCAP任務に就き、宮崎県及び豊後水道の上空にあった。もっとも俺の乗機は飛行教導隊のソ連機そっくりだった鮮やかな塗装から国防空軍の制空迷彩色に塗り替えられていたが。
「それにしても今日も美しい青空が広がってい………」とその時だった無線が突如鳴り響き『スノークラウドより本空域に展開中の全ての邀撃機に告ぐ。福岡方面より複数の敵性航空機を感知した。繰り返す福岡方面より複数の敵性航空機を感知した!』とスノークラウドと名乗るE-3早期警戒管制機の管制官がそう無線越しに言う。するとリンク16を通じてそのE-3AWACSが捉えた敵情がこちらへ送られてくる。
そして俺はAN/APG-70を動かし、J/APG-1へと敵情報を与える。
「アロー1!フォックス1!」
俺がそう言うと主翼の左右に備わる短射程用AAM用パイロン下に備わる増槽を捨ててから胴体側面部に装備されたAIM-7Mの後継で、欧米の空軍で使われるAIM-120Bを性能的に軽く凌駕する99式空対空誘導弾が放たれる。
そして僚機からも次々にAAM-4が放たれ、目標へと向かう。
相手も気が付いたのか、こちらへ向けてAIM-120を放つ。
そして俺はすぐに僚機に対して回避運動へと移る様に命じる。
と、同時にミサイル管制装置をつかさどるレバーを中射程モード、すなわちAAM-4から短射程モード、すなわちAAM-3の管制へと切り替え、格闘戦へと備える。確かに99式AAMは百発百中、いや一撃必中の命中精度を誇り運動性も初期のサイドワインダーより遥かに高い。
だがそれは開発時のQF-106J 標的機に対する実的試験の話だ。
故にその命中精度が実戦において維持されるかは別問題だ。
とは言え99式空対空誘導弾は順調に目標へ向かい、多数の対地装備KF-16を主翼と胴体の間から切り裂き、空挺隊を乗せたC-130輸送機を木っ端微塵に砕き、機体は地上へ叩き落とされる。護衛のF-15KはAAM-4を感知した時点でアフターバーナーを焚き急旋回してなんとか9機中4機が被害を免れ、発射母機である俺らに対してAMRAAMを放ってきたのである。
「…………来るぞ!」
俺はそう言うと胴体下部に残る最後の増槽を捨て、25tの重量とテニスコートと証される翼面積56㎡を誇る巨体を支えるGE/F-110ターボ・ファンに備わるアフターバーナーを焚き、チャフをばら撒きながら機体を加速させながら旋回させる。
そして旋回して敵機に近付き、照準装置の照準線へ納めると俺はトリガーを放つ。それに感付いたF-15Kもほとんど同じタイミングでAIM-9L/Mを放つ。
ほとんど同じタイミングで、しかも同じ射程のミサイルで、それを回避すべく同じ様に閃光弾を放つ。だが気が付くと俺の機体はうまく交わしており敵のミサイルは明後日の方角へ飛んでいき、俺はすぐにハイGバレルロールと呼ばれる空戦機動を実施して急激に旋回などをするとあっという間に火を噴く敵機の上に移動していた。俺が戦後知った情報によるとあちらさんのAIM-9Lはアメリカさんがモンキースペックにして輸出していたそうで、こちらの被害はF-15DJ1機が撃墜されたにとどまった。それに対し完全国産品で、R-73の初期型に匹敵する命中精度を誇るAAM-3は見事に命中しており、相手の被害は3機撃墜確実と1機の不確定撃墜、すなわち敵側全滅となった。そして確実撃墜の1機は俺のスコアとして公式記録となった。
だが、この戦いで戦闘機撃退を最優先にした結果、もっとも重要な目標であった敵輸送機の撃墜を逃してしまう痛恨のミスを犯し、空挺部隊を乗せた輸送機の日向市上空への侵入を許してしまったのである。
だが、陸軍の防空システムがこの時稼働していたとは俺は予想だにしなかった。
同日6時前、日向市内
82式指揮車車内
「目標感知!!12時の方角!!高度500!!」
レーダー通信装置から読み取った情報をレーダー員が報告すると宮崎県軍第1高射隊隊長である宮瀬孝三大佐がある命令を下す。
「05試防空システム、射撃用意!!………ってぇえー!!」
彼がそう叫ぶと05式自走高射砲の57㎜速射砲の背面部に装備してある斜式発射装置からガス圧によって91式地対空誘導弾が放たれたのである。
やがて30秒もするとミサイルは輸送機へ向けて緩上昇していく。そしてその数秒後、輸送機の胴体を切り裂くように”05式防空システム”の肝である02式地対空誘導弾が効果を発揮したのである。
そしてそれが号砲だったかのように02式地対空誘導弾と57㎜砲弾が韓国軍の空挺部隊を乗せたC-130輸送機20機に対して襲い掛かる。
無論、すぐにSEAD任務のF-16Kが駆け付けるもこちらのF-2戦闘機がすでにAAM-4によって狙いを定めており、アフターバーナーを炊いて加速した次の瞬間には撃墜されていたのである。
そして輸送機はミサイルをかわそうとして僚機と衝突したり、ミサイルで撃墜されるなど散々な目にあい、全滅。韓国側は暫くの間、本土から補充のF-16ないしはF/A-50もしくはMiG-23が到着するまで対馬上空から戦闘機を出さないようになったのである。
帝国は何とか宮崎北部の制空権を取り戻し、大分南部の防衛を確実なものに出来そうであったが、制空権を握ったとしても地上部隊の進行を食い止める事は出来ず、韓国軍は地上においては快進撃をいまだに続けていた。