2話
北瀬洋陸軍大尉(32歳)
池田末男少将の元で5式戦車を駆り、ソ連軍と戦った金田了司元陸軍少将(当時大尉)の孫。
普段は90式戦車を駆る戦車兵米陸軍士官学校への留学経験があり、英語に堪能なので外務省出向経験もある。
2006年5月7日早朝
福岡上空
18機の韓国所属のF-16K戦闘機と6機のF-15Kが博多港上空を通り過ぎ、まだ住民が避難しきれていない同市南部へ向かっていた。
『もうすぐ攻撃態勢に入る!』
そう隊長の金運礼大佐が言うと隊員たちが『了解!』と続く。
続いて隊長機は翼を左右に振って自らに続くように命じる。
やがて攻撃隊は高度を下げ、主翼下に搭載するAGM-65対地ミサイルやペイブウェイ誘導爆弾を市街地へ無差別に発射/投下していく。
そして低空に降下した機は住宅地や路上にいる人々に容赦無い機銃掃射を加え、住民の虐殺を実施するのである。
一方で、今回の作戦に参加した一部の操縦士は無差別攻撃に嫌悪感を抱いていたのではあるが、昨年より金武軍が北の将軍で、首相の金平来の進言によって統一軍に政治将校を導入し、政府の意に反する将兵を弾圧し始めたからであった。
無論、現地指揮官予定者には全員政治将校としての政府へ忠誠を誓わせ、虐殺行為を行うと武軍は決め込んでいたのである。
閑話休題。無差別爆撃を終えた金大佐の攻撃隊は悠々と燃え盛る市街地上空を通り過ぎ、占領下の対馬を経由し、出撃元の本土の空軍基地帰還するのであった。
同日11時過ぎ
爆撃から2時間が経過してもなお摂氏数百度で燃え盛る市街地では国防陸軍の兵士や地元消防団の消防士、警官らが素手で、時には特殊装甲車やそれを改造した救急車に、化学消防車などで逃げ遅れた住民の救出にあたっていた。
「それにしても連中はひどいことをしやがる…………」
燃え盛る市街地を住民収容のために改修された96式兵員救護車に乗り、その車上でそう呟いたのは第12騎兵師団の戦車部隊に所属する俺、北瀬洋陸軍大尉だ。
因みに普段は戦車長だが、所属部隊に救援要請が来て避難誘導の歩兵の一員として俺は福岡市の住民避難に携わっている。
俺は路上で人が倒れているとすぐに市村軍医大尉と96式野戦手術車で待機していた2名の衛生兵と共に愛車から降りて、負傷者のもとへ向かう。
さすがの俺でも防護スーツとその各種関連機器に加えて、重傷の住民を背負って乗ってきた96式兵員救護車に走る事は出来ない。故に衛生兵は96式兵員救急車を誘導し、こちらへ連れてくる。無論、化学消防車も一緒について来てもらう。
しばらくして俺の乗る96式装甲兵員車は住民の避難している熊本県へ向けて走り出し、数時間後に到着した熊本県内の某駐屯地内にある病院へ住民を運び込む。
俺は自分の部隊が収容した6名全員が助かったと聞くと精神的に楽になった。
とは言えこの戦争は始まったばかりなので安心は出来ない。
俺と俺の部下たちにとってもこの戦争はプロローグに入ったばかりだ。
5日遡る事、5月2日
太平洋上空
「で、日本の状況は?」
大統領専用機の執務室でウォルソン大統領は電話口にそう聞くと電話先のかつての上官で、現在、大統領顧問を勤めるジム・タケベはすぐに状況を口頭で説明し、ウォルソンは頭を抱える。
日本訪問を終え、次なる訪問先である豪州のシドニーに向かっている最中に日韓戦争が発生したので大統領は訪問すべきか、それとも帰るべきかで苦悩していたのである。
1時間後……………
「まずハワイを母港とする戦艦デラウェアをシンガポール、空母ニミッツをシドニーへ回港し、嘉手納と千歳の戦闘機隊の増強に加え、グアムにカリフォルニ州空軍のF-16と戦略軍のB-2とB-1、それにB-52を回してくれ」と大統領が言うと電話先の国防長官は『了解しました。あとストライカー旅団及び歩兵隊に各騎兵隊準備完了しております』と伝えると大統領は「そうか。日本から増援要請に備えて彼らはハワイで待機させておけ」と言い、国防長官もそれを了承し、それらの部隊所属は多数のC-5ないしC-17戦略輸送機でハワイへと向かった。
そしてデラウェアとニミッツは指定された港に入港し、シドニーに到着したウォルソンはすぐにニミッツを空港に待機していたヘリを使ってそのまま訪問し、艦長以下、乗員の前で激励し、その足で豪州首相との会談予定地に向かった。
この日の会談後、合同記者会見で米豪両国の首脳は日本に対する支援を表明、統一韓国の金独裁政権を牽制したのである。
そしてこれが韓国の無差別爆撃作戦へ繋がっていくのである。