23話
2006年5月28日早朝
空母漢江に沸くなか、熊本港に投錨する原子力戦艦長門を始めとした第二国防艦隊の艦艇は既に弾薬や燃料の積み込みを終え、今まさに錨を上げて出撃しようとしていた。
戦闘指揮所
「いよいよか…………」
長門の艦長である俺、戸村真大佐がそう呟くと「そうですね。そにしてもあの国の大統領は徹底抗戦を主張しているそうですね」と砲雷長の原慎二少佐が続くと俺は「そうみたいだな。確か金武軍は統一後最初の海軍幕僚長で、更には統一時から国防長官を務める金光宗国防長官の弟であり、兄弟共に統一直後に旧北朝鮮軍系の将軍や金正来総書記らの地位確保に尽力、国民に対して失地回復を約束して民主政権を崩壊させたから下手に停戦とか何て呑める筈はない」と言うと原砲雷長は「まさしくヒトラーですね」と呆れた表情でそう続く。
因みにかつて戸村は駐韓日本大使館付駐海軍武官として幕僚長時代の金武軍ともパーティなどで会話を交わしている。
閑話休題
長門が抜錨すると那智が続き、ミサイル巡洋艦天津風にイージス巡洋艦金剛、霧島と汎用巡洋艦村雨、五月雨、雷にその準同型である最新鋭の高波型汎用巡洋艦高波が続き、旗風・雪風型ミサイル駆逐艦沢風が続く。
やがて長崎半島を通り過ぎて外洋に出ると一列の単従陣から輪形陣と言う対空防衛に長けた陣形へと陣形を切り替える。
とは言ってもこの陣形は戦術核による攻撃で艦隊が全滅しないように各艦の距離は目視するのもやっとの距離であり、主に情報伝達はリンク11や16でなされ、更には偵察に向かった原潜黒潮に、九州上空各所に展開する空軍のE-3及びE-767早期警戒管制機や海軍のP-3C対潜哨戒機やEP-3D早期警戒機や統合宇宙軍の人工衛星からの送信された情報を受け取り確実に韓国艦隊の位置を捉えていた。
うん、確実にこれはタコ殴りとしか言いようがない。
だが情報を制したものこそが戦に勝利する。これは第一次世界大戦いや日露戦争の頃からの鉄則である。そう、日本海海戦は偽装貨物船の通報艦からの報告を元に、東郷司令長官、秋山参謀らが作戦を立案して勝利したものであり、更に東シナ海での日ソ艦隊の決戦も西村司令長官の索敵命令あってこその勝利であった。
敵艦隊は鬱陵、済州の2隻に加えKDX2級3隻とフレッチャー及びアレン・サムナー/ギアリング級各4隻に加え、かつて日本で建造された松型フリゲート2隻である。
午前7時前
日本国防海軍の原子力戦艦長門の46cm及び同巡洋戦艦那智の25.4㎝両3連装砲と韓国海軍の鬱陵、済州の27㎝連装砲の咆哮で日韓戦争最後、そして最大の海戦の幕が切って落とされたのである。