プロローグ
どうしようか悩んでいます。
2006年5月1日
対馬上空で海軍情報収集機であるYS-11ESがF-20戦闘機による奇襲で撃墜され、その日の内に対馬へ多数の空挺隊が潜入、加えて博多空襲も実施、これに対して国防空軍と福岡県空軍が初動出動に当たるが、この戦闘で
築城基地に所属するF-1軽攻撃機24機とF-4EJ17機を喪失し、福岡県空軍のF-16ADFも大きな被害を被り、残った計15機のF-4とF-16ADFは長崎県空軍と共に既に熊本へ退却を始めていた。
そして海軍も佐世保を捨てて、鹿児島経由で、実験施設のある宿毛泊地へ向かっていた。
同年5月3日大分県上空
新田原基地は既に大分以北の九州の県空軍や築城の国防空軍機が集結し、北海道動乱時の函館や青森の三沢の様に最前線と化していた。加えて飛行教導隊所属機やその隊員ですらCAP任務に駆り出され、普段行われている平時の空戦訓練は行われず、1つの制空部隊としてアグレッサー部隊が扱われていた。そして彼らもまだ制圧されていない大分県の上空でF-15KやKF-16と死闘を繰り広げ、必死の防戦に努めていた。
「ウィング1よりウィング・アロー両隊に告ぐ。敵の数はこちらより多い。こちらが質で勝っているとは言え、決して気を抜くなよ」
そう言ったのは伝説の陸軍エースの血を引き、わずか32にして教導隊の中隊指揮官となったTAC名"デビル"こと俺、野木原武雄大尉だ。
『とは言いましてもウィング1、敵は数が多いですよ』
アロー1こと副隊長の片桐健大尉がそう続くと「確かにそうだ。故に油断は禁物だ…………」と俺は返す。
編隊は5個中隊でF-1とF-4が各1個中隊で、残り3個中隊18機がF-15である。、更にその2個中隊12機が様々な色に塗られたアグレッサー部隊の所属機である。そして残りは制空部隊の通常制空色に塗られていた。
「レーダーに反応あり!」
搭乗機の後部座席に乗る北川新市中尉がそう言うと俺は「そうか………各機、準備は良いか?」と言い僚機の隊員たちは『了解!』と言うと続いて北川が「目標判別完了!目標はF-16級戦闘機及びC-130級輸送機、敵味方識別装置に応答無し!」 と続き、 俺はミサイル発射トリガーに指を翳す。
ビュジュアルIDしたいが、その前に敵機が攻撃してくる可能性があるだろうと思い、電子妨害装置による電波妨害の開始や電波・熱源欺瞞弾の発射を全自動に切り替え、相手の攻撃に備えた。
「ウィング1より全作戦機に告ぐ。現場指揮官権限としてミサイルの発射を許可する!」
俺がそう言うと僚機から次々に『了解!』と通信が入る。
「………ウィング1…………フォックス1!!」
俺がそう叫び、トリガーに指を翳してからそれを強く押す。
すると胴体下部側面についている4つの99式空対空誘導弾の内1つが、斜め下方に叩き出され、下方に広がる燃え盛る大分市の上空を、敵爆撃部隊を撃破すべく飛翔していく。
そしてそのミサイルがレーダーに表示され、画面上で目標へと進んでいく。
互いの距離は80㌔だ。恐らくもうすぐこちらも相手のミサイルの射程圏内に入るだろう。
そう俺は思いつつ、レーダー警報装置やレーダースコープの確認を行う。
と、その時だった。ピーッ!と言う警報音が鳴り響き、俺はミサイルが迫っている事を確信して「全機散開!」と命じ、自らは操縦桿を手前に強く引き、機体を急上昇させる。
他にも右や左に機体を急旋回させたり、俺とは逆に急降下させたりしていた。
だが回避行動の目的は1つのエリアに多量の滞空時間の長いタイプのチャフをばら蒔き、巨大な金属製の厚い雲をつくる事にあった。
そう、ミサイルのシーカーはそれを航空機と勘違いし、自爆する。それによりこちらが生き延びると言う戦術である。
チャフの雲の効が奏し、F-15Jへ向かっていた韓国側のAMRAAMは次々に自爆したものの、推力が低いアードアエンジンを装備し、機動力が低く、さらにチャフ発射機がない回避不能だったF-1が次々に撃墜されていった。
F-1は既に老朽化が進んでいるので仕方ないが、操縦士の養育には果てしない予算と年月がかかる。そして彼らにも家族がいると思うと胸が張り裂けそうになる。
一方、こちらのAAM-4は9機のF-16の5機と輸送機4機を撃墜したが、ミサイルに当たらなかった韓国軍輸送機から空挺隊は降下を開始したのである。
「ウィング1より基地。敵空挺部隊が降下開始した模様です」と俺が伝えると『わかった。陸軍及び県軍歩兵隊にも伝送しておく』と基地のオペレーターが続き、俺も「了解!」と続く。
どうやらまだ始まりに過ぎ無い様だな……………
そして陸軍の歩兵部隊や県兵部隊が新田原へ敵を近づけない為に作戦を開始しようとしていた。
陸軍の主力機甲部隊は74式戦車と89式歩兵戦闘車を中心に大分の大平原を進み、歩兵隊は96式歩兵輸送車に乗り現地へ向かっていた。