魔法を知らない不良少年(5)
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青く澄み渡った空に、鈍色の建物。先ほど忠則が見ていた光景は、そこにはなかった。夢かと思ってしまう忠則。教えられた名前を思い出しつつ、濁ったコンクリートの壁を見渡した。
ふと、近くに女物の服が落ちていることに気づいた。脱ぎ捨てられたそれは、どこか見覚えがある。忠則はそれに近づき、確認しようとした。
『拾ってくれるんだ。案外優しいのね』
聞き覚えのある声が脳裏に響く。慌てて周囲を見渡すが、声の主らしき人物は見当たらない。
『それともただの変態なのかしら?』
忠則は少しだけムッとしながら声を探す。しかし、声は無駄だと言い放った。
『どんなに探しても、私はあなたの目には映らない。いえ、一応映すことはできるわ』
「は? 何言ってるんだ。出てこいよ」
『そうねぇ、ちょっと右を見て』
忠則は仕方なく指示に従う。声に従って右をみると、そこには窓ガラスが存在した。綺麗に忠則の姿を映すそれを見て、忠則は顔をしかめる。
「おい、俺しか映ってないぞ?」
『鈍い男ね。まだ気づかないの?』
少女の声は、呆れたように言葉を吐き出していた。ガラスに映る自分の姿を見つめる忠則。そして数秒後、少女の声が何を言いたいのか理解してしまった。
「まさか、お前は俺なのか?」
『ちょっと違うけど、そんな感じよ。今のあなたは私であり、今の私はあなたである』
「ちょっと待て! 何がなんだかわからない! というか、お前誰だ?」
名前を訊ねられた少女は、少しだけ押し黙った。だがこれも運命だと呟き、自身の名を告げる。
『私は水城碧。ちょっとした事情でこの町を訪れていた魔法使いよ』
「まほうつかい?」
忠則はその違和感に包まれた単語に、困惑した。そもそも魔法使いとは、フィクションの物語に出てくる存在だ。そんなものを平然と言い放った碧は、頭が少しおかしいのではないかと考えてしまう。
『人を馬鹿にしないの』
そんな考えを読み取られてしまう忠則。少し苦々しくしていると、碧はこんなことを話し始める。
『あなたと私は一心同体。だからある程度の表層心理はわかるのよ。だから、どんな考えをしているのか、どう感じているのかもわかる』
「プライベートも何もねぇな」
頭を抱える忠則だが、それに碧は一喝した。
『そもそもあなたが変な好奇心を起こさなきゃ、こんなことにはならなかったのよ? ったく、最近の若者はこれだからダメなのよ』
声が若いのに、説教を受けてしまう忠則。どこかおばさん臭いと感じながらも、忠則は碧にあることを聞いた。
「それで、お前はここに何しに来たんだ?」
『それは――』
碧が何かを言いかけた瞬間、忠則の背筋に悪寒が走った。咄嗟に振り向こうとした瞬間、碧が叫ぶ。
『走って!』
忠則は碧の言葉に従った。コンクリートの大地を蹴り、駆け出そうとする。瞬間、立っていた場所に黒い光が現れ、弾け飛んだ。
その爆発の勢いに負け、忠則は思わず転んでしまう。少し痛みに顔を引きつりながらもすぐに起き上がる。何気なく立っていた場所に目を向けると、そこに存在していたコンクリートの大地は、切り取られたかのようになくなっていた。
「なんだ、こりゃ?」
『何驚いてるのよ! 早く逃げて!』
言われて立ち上がる忠則。だが逃げようとした先に、誰かが立っていることに気がついた。そこにいるのは、年端もいかない少年だ。
「こんにちは。それても、さようならと言った方が良いかな?」
褐色の肌に、それを包み込む白いローブ。長く黒い髪を軽く払い上げる少年は、流暢な日本語で不気味な言葉を言い放った。忠則は思わず身構える。ニッコリと笑っているはずなのに、少年からは不気味な寒気を感じ取ったからだ。
『気をつけて。あいつ、怖いから』
「わかってるっての。というか、お前どうにかしてくれないか?」
『残念だけど無理。あなたを助けるために使った魔法の反動で、しばらくは何もできないわ』
「おいおい。俺だけじゃどうにもできないぞ?」
『わかってる。だから魔法のレクチャーをするわ』
「は?」
『言ったでしょ? あなたと私は一心同体だって。つまり、私が使っている魔法をあなたも使えるのよ。問題になってくるのは、心得と代償。それさえクリアできれば、あなたも魔法が使えるわ』
忠則は睨みつけたまま、褐色の少年と距離を保つ。だが褐色の少年は待ってはくれなかった。
「何をブツブツと話しているのかな?」
褐色の少年は、人差し指を忠則に向ける。瞬間、碧が叫んだ。
『飛んで!』
咄嗟に横に飛び、立っていた場所を見る。すると黒い球体が出現し、爆ぜていった。立っていた場所が消える。それを見た忠則は、思わず身体が震えた。
「惜しいな。もう少しで君を、食べられたのに」
ニッコリと笑いながら、褐色の少年はまた人差し指を向けた。忠則はすぐに地面を蹴り、駆け出す。現れる黒い球体は、またコンクリートを切り取って、弾けて消えていった。
そのまま突撃する忠則。だが碧はそれを止めた。
『馬鹿、近づいちゃだめ!』
咄嗟に足を止める忠則。瞬間、褐色の少年を飲み込むかのように、黒い球体が現れる。ネクタイの端が千切れ、消えていく。忠則は尻餅をついてしまう。もし殴りにいっていたら、確実にやられていた。自分の浅はかな行動に、ゾッとしてしまう。
「実に残念。腕一本はいけたと思ったんだけど」
黒い球体から現れる褐色の少年は、冷めたような視線を送っていた。明らかに遊んでいる褐色の少年。忠則は思わず睨みつけてしまうが、褐色の少年は涼しい顔をして笑っていた。
「どうすればいいんだよ? このままだとなぶり殺しだぞ?」
『だから魔法を使いなさいって言ってるでしょ!』
「どうすりゃ使えるんだよ!?」
『とにかくあいつをぶちのめしたいって、念じなさい!』
あまりにも不安すぎるアドバイスに、忠則はすがるしかなかった。言われた通りにそんな感じのことを念じる。すると忠則の足下に、赤黒い光が出現した。
その光は忠則を守るように覆っていく。そして忠則の周辺には円陣が出現し、奇妙な文字が刻まれていく。
「させないよ」
褐色の少年の顔つきが変わる。少し表情が強張った褐色の少年は、咄嗟に黒い球体を出現させた。飲み込まれる忠則だが、すぐにそれは弾け飛ぶ。
「チッ、朱の魔法はこれだから厄介だ」
全ての円陣に文字が刻まれる。同時にそれは、勝手に発動した。
爆発するかのように、赤黒い光が弾け飛ぶ。まるで火山の噴火の如くに勢いよく暴れ始めるそらは、容赦なく空間を支配していった。
「くそ、少し遊びすぎたか」
忌々しく言葉を吐きながら、褐色の少年は空間から逃げる。追いかけてくる光を止めるために黒い球体を置いていく。光はそれに反応して、黒い球体に飛びかかるのだった。
だが、光の暴走は止まらない。どこまでも天を駆け上っていき、ひたすら空を赤黒く染めていく。そして満足したのか、何事もなかったかのように消えていった。
僅か数秒の出来事。だが忠則の世界は、その数秒で変わった。
「なんだ、これ?」
古びた建物は、存在する。無造作に脱ぎ捨てられていた服もある。だが、そこは穴ぼこだらけで、若干だが全てのものが劣化していた。
『これが、魔法よ』
あまりにも現実離れしている力。それを見た忠則は、一つの恐怖心を覚えた。