存在しない存在(5)
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お化け桜。かつて無念をこの世に残したまま死んだ女性の生まれ変わりだと、それは呼ばれていた。どんなに風が吹こうが、どんなに太陽に照り付けられようが、どれほど雪が積もろうが、その桜は咲き誇る。
どんなことがあっても散ることがない桜ゆえに人々は敬いを覚え、長年に渡って存在しているからこそ親しみを感じるようになる。だからこそ、この桜が存在する丘は知る人ぞ知る観光名所だ。
「すごい。こんなに綺麗な桜があるなんて」
活気溢れるその花は、まるで光っているかのように見える。散っていく花びらは、溶けるように空間に消えていく。そして花びらがなくなるとすぐに新たな蕾が生まれ、儚い桜を咲き誇らせた。
とても奇妙で、奇怪で、だからこそ畏怖を抱かれる桜。しかし、それが生命の神秘を伝え、ゆえに美麗な光景が広がる。
『ここはいろいろと噂が存在するいわくつきの場所だ。夜な夜な白い着物を着た女が徘徊しているとか、この世とは違う世界の入り口が存在するとか、鬼が実は存在して人を食べてるとかな』
「そんな話、あなたは信じているのかしら?」
『信じちゃいないさ。でも、数年前にここで人が死んでいる。それは事実だ』
「ふーん」
興味なさそうに碧は返事をした。咲き誇る桜から視線を外し、その周辺を歩き回ってみる。たくさんの花びらが散っているにも関わらず、緑色に染まった大地が見えるのは、とても奇妙だった。
ふと、金次郎に目を向けてみる。すると金次郎はある物を見つめていた。視線の先を見ると、そこには大きな石が置かれていた。適当に文字が掘られた石には『十帆夏』とあった。一体どこの誰なのかわからないが、金次郎にとってそれは大切な人なのかもしれないと、碧は感じ取る。
『碧、目当てのものは見つかったのか?』
「いえ。そう簡単に見つかったら苦労しないわよ。そもそもここに詩があるって知ったのはつい最近のこと。何年かかったと思っているのよ」
『逆に聞くけど、お前は何年かけて探したんだ?』
「ざっと二十年ぐらいよ。それが何か?」
忠則は黙り込んだ。何となくだが、忠則が何を考えているのかわかる。だからこそ碧はイラつきを覚えた。
ひとまず忠則のことは放っておいて、フィアが残した詩を探す。しかしどんなに探し回っても、それらしいものは見つからない。
「変ね。こんなに探しても見つからないなんて」
『何年も見つかってないんだから、普通に探しても見つからないだろ。そもそもどんな形で詩が存在するかとか、わからないのか?』
「わかってたら苦労しないわよ」
大きなため息を吐く碧。思っている以上に長期戦になりそうなことに、少し肩を落とした。ひとまず腰を下ろして、お化け桜にもたれかかる。粉雪のように散っていく桜は、青い空を彩り、どこか幻想的な光景を作ってくれていた。
とても綺麗であり、だからこそいつまでも見つめていたいと思ってしまう。碧はそんなことを感じながら、何気なく眺めていた。
『――――』
何か呟くような声が聞こえた。思わず後ろに顔を向ける。だがそこに存在するのは、お化け桜と呼ばれる木の幹だ。
『どうした?』
「聞こえた」
『は?』
「確かに何かが聞こえたの。まるで、歌っているような、そんな声が」
碧は幹に耳を当てる。するとそこから穏やかで、温かく、そして力強さが存在する詩が歌われていた。流れてくる詩は、ゆっくりと碧に語りかけてくる。まるで喜んでいるかのような、そんな感覚だ。
「これだ……」
確信した碧は、その詩を覚えるために耳を当てる。だが、ある声が碧の行為を邪魔をした。
「そんな所にあったんだ」
忌々しい声を聞いた瞬間、碧は咄嗟に後ろへと飛んだ。瞬間、存在していたお化け桜は黒い球体に飲み込まれてしまう。
「なんだ?」
騒ぎに気がついた金次郎は、お化け桜の方向に目を向ける。するとそこに存在していた桜が、食べられたかのように消えていた。
「何するのよ!」
大声で邪魔をしてきた存在に文句を放つ碧。するとそれは、こんなことを口にした。
「僕達も探していたんだ。フィアが残した何かを」
金次郎は姿を現したそれを睨みつける。するとパーチェは、少し見下したような顔をして、語り出す。
「まさかそれが、理を作る詩だったなんてね。世紀的な大発見だよ。ま、これもあなたの存在に気づけたことが大きいんだけどね。もし、僕達があなたに気づけなかったら、ここに来ることもできなかった。だから感謝しているよ、存在しない存在さん」
碧は睨みつけた。だが忠則は状況が飲み込まめない。どうして碧はこんなにも憤っているのか、なんで焦っているのか。わからないことばかりで、つい訊ねてしまう。
『何がどうなってるんだよ?』
「あいつに目的のものを取られた。それだけよ」
簡単でわかりやすい説明。だからこそ状況を理解した時には、それが最悪になっていることに気づいてしまう。
「返して! それは、アンタが持っていいものじゃない!」
「それはあなたにも言えるだろ? それとも、あの人に渡るのが怖いのかな?」
「あいつに渡したらそれこそおしまいよ! 何を考えてるの、アンタは!」
パーチェは笑い出した。嘲るような、そんな笑い声は止まらない。しかし、その言葉は怒りに火をつけるトリガーだった。
「こんな世界、あっても意味ないだろ!」
怒気を孕んだ言葉には、力があった。表情も先ほどとは違い、笑顔なんてものは存在しない。あるのは、ただの怒りだ。
「僕という存在を作っておきながら、否定したこんな世界。存在する価値すらないし、だからこそ壊したい。それが、いけないのかな!?」
何があったのかは、碧にもわからない。だが、だからといってフィアが残したものを奪われる訳にはいかなかった。
「返してもらうわ。アンタを殺してでもね」
「やってみろよ。存在しない存在!」
二つの信念がぶつかる。忠則はそれを、見つめるしかできなかった。