存在しない存在(1)
心地よい朝。響き渡る小鳥の囀りは、忠則の頭を覚醒させる。何気なく起き上がろうとする。しかし、身体は動かなかった。不思議に思い、頭を動かしてみる。しかし、それすらもできなかった。
『あれ?』
焦りを感じ始める忠則。懸命に、必死に動かそうとするが、指一つビクともしない。何が起きた、と叫ぶ。するとそれに碧が答えた。
「もー、朝からうるさいわね」
その声と共に動き出す身体。忠則は様々なことに違和感を覚えつつ、碧に状況を訊ねてみる。
『おい、何が起きたんだよ? というか、何かおかしいんだけど!』
「おかしい? ああ、そういえばあなたが寝ている間に支配権を取ったんだったわね」
『はあ? どういうことだよ』
「説明するの面倒臭い。とにかく、今はあなたがこの身体を動かすことはできないの」
何気に鏡に写った姿を見る。するとそこには、寝癖のついた白い髪と翡翠色の瞳を持つ少女の姿があった。見慣れているシャツと柄パン。男が着ているからこそ気にする必要はないが、少女がそんな姿をしていると思わず意識をしてしまう。
僅かに膨らみ、見えそうで見えない胸。忠則はそれについつい反応してしまう。
「えっち」
『うるせぇ! 男なんだから仕方ないだろ!』
「こんなケダモノと同化しちゃったなんて、悲しいわ。私に近づかないでね」
『一心同体なんだろ、俺達は……』
ひとまず鏡から離れる碧。適当にタンスを開け、自分が着れそうな服を探していく。
『うわ、ちょっと!』
荒らされていく光景を見て、忠則は叫んだ。投げ飛ばされていく服はゴミ箱に直撃し、中身をぶちまける。散らかっていく部屋に絶叫する忠則だが、身体の支配権を奪われてしまっているためにどうすることもできない。
「この半ズボン、よさそうかな?」
散らかしながらも服を物色していく碧。一通りそろえたところで着替えを始める。ひとまず汗をたっぷりと吸い込んだシャツを脱ごうとする。だが、胸が見えるかどうかまで裾を上げた時に、悲劇が訪れてしまう。
「ただちゃーん、迎えに――」
現れた友人の武光がニッコニコとしながら顔を覗き込んでくる。だが目に入ってきたのは、シャツを脱ごうとしている見知らぬ少女の姿だった。
目を丸くし、パチクリとする武光。だんだんと状況を理解してきた碧は、頬を紅潮に染めていき、眉を吊り上げていく。武光も状況を理解したのか、笑いながら冷や汗を滝のように垂れ流していた。
「出ていけー!」
胸を押さえ、近くにあった目覚まし時計を投げる緑。武光はそれを避けることができずに、頭に直撃する。クラクラとしながら逃げていく武光。乱れた呼吸を整えながら、碧はもう一度着替えようとした。
『お前、案外女らしいな』
「どういうことよ、それ!」
怒気を孕んだ低い声で忠則を威圧する碧。だが忠則は答えることはなく、黙り込んだ。碧は少し不機嫌になりながら着替えていく。そして、適当なジャケットを羽織って部屋を出た。
『どこに行くんだよ?』
「お化け桜の丘。地元の人間なら知ってるでしょ?」
『なんであんな所に行かないといけないんだよ……。俺には学校があるんだぞ?』
「どうせサボるんでしょ? なら行っても変わりないじゃない」
忠則は反論することができなかった。身体の支配権を奪われてしまっているため、何もできない。だからことの成り行きを見守るしかなかった。
『っで、あそこにいって何するんだ? あそこはいい噂を聞かないぞ?』
「願いを叶えに行くのよ」
玄関で適度な靴を探す碧。だがどれも合うものがなく、渋々忠則の姉のスニーカーを履くことにした。
「うーん、ちょっと大きいな」
『勝手に使うなよ!』
忠則の怒号を聞くことはなく、スニーカーを履き終えた碧は扉を開いた。そして少しぶかぶかのスニーカーを気にしつつ、碧はお化け桜の丘へと向かっていく。
『なあ』
「何?」
『その願いって、何なんだ?』
忠則は何気なく碧が叶えたい願いについて訊ねた。すると碧は、少しだけ躊躇う。それを感じ取った忠則は、すぐに言葉を付け足す。
『答えたくないなら別にいいぞ』
だが、碧は首を振った。
「どうせいつも一緒なんだから、意味ないわ」
空を見上げる碧。そして忠則に、目的としている願いについて話した。
「私は、フィアを復活させたいの」
『フィア?』
「私の尊敬できる偉大な魔法使い。私なんかとは比べ物にできないほど、すごい人よ」
『復活させるって、そいつ死んだのか?』
「ううん。死んでないわ。でも、いろいろとあってこの世界にはいないの」
意味がわからない忠則。だが碧はそのことを気にせずに語る。
「それに、その人はあいつのせいで、犯罪者にされてる。だから私は、あの日に残されたものを手に入れなきゃいけない。そうすれば、フィアだって復活できるし、全てを取り戻すことができる」
『何を手に入れるんだ?』
碧はその質問に、躊躇いなく答えた。
「詩よ。世界の理を作る一つの詩。私はそれを、手に入れたいの」
忠則はそれがどれほどのものなのかわからない。だが、碧が必死なのだけはわかった。口が悪く、人の心を土足で入ってくる少女だが、それでもこの少女は懸命に戦っているのだ。それを知った忠則は、後ろ髪を掻いた気になりながら、碧に言葉をかける。
『しゃーねーな。付き合ってやるよ』
意外な言葉に碧は驚く。思わず「ホント?」と訊ねてしまった。忠則はそんな碧に対してこんな言葉を言い放つ。
『一心同体。俺達はそうなんだろ? だから、とことん付き合ってやるよ』
その言葉に、碧は少し照れくさく微笑んだ。
「ありがとう、忠則」
初めて名前を呼ばれた忠則。少しだけ嬉しく思いながら、お礼の返事をする。
『ああ。どういたしまして』