プロローグ
二十数年前の七月七日。昭和が終わり、平成へとなったこの年にも、天の川が現れた。夜空を彩るそれは、人々の心を魅了する。
「やめて、フィア!」
だが、七夕を迎えた日本のある都市で、ある戦いが起きていた。それは、世界の命運を決めるものだ。フィアと呼ばれた女性は、大きな傷を負いながらも立ち向かっていく。その視線の先に存在する男を倒すために。
だが勝ち目がないのが明白だった。なぜならフィアは、一人の少女を守りながら戦っているからだ。
「甘い、甘い、甘い! そんなので俺に勝てると思うな!」
赤黒い光をまとった男は、腕を振り、ある言葉を並べていく。空間に刻まれていくそれは、不気味な輝きを放つと共に八本の腕を持つ人を模った人形が現れる。まっすぐと突撃していく人形は、容赦なくフィアに襲いかかった。
「叩き潰せ、破壊の傀儡よ!」
迫る腕を払おうとするフィアだが、それをやめて紙一重でそれを避ける。だが、僅かに指が服に触れてしまった。
刹那、触れた部分は蒸発したかのように破け、消滅する。もし、腕で払っていたらもっと悲惨な状況になっていただろうと、安易に想像できた。
「よく避けたな。さすがフィアと言ったところか」
だが、と言葉を紡ぎ、男は笑った。再び言葉を並べていき、光を怪しく煌めかせる。すると同じような化け物が出現した。フィアは、思わず目を大きくしてしまう。
「いくらでも増やせるんだぜ? お前は、避けきれるかな?」
危険な化け物は、男と同じように笑みを浮かべている。劣勢に立たされるフィア。しかし、どこか諦めたかのように大きなため息を吐き出した。
「もう、やめましょう」
「何をやめにするんだ?」
「この戦いをよ」
男は思わず顔をしかめた。言葉の意図を捉えることができない男は、警戒心を高める。するとフィアは、そんな男に対してこんな言葉を放った。
「なぜ、あなたは魔法使いとして生きる道を選んだの?」
男にとってその問いかけは思いもしないもの。そしてあまりにも愚直で、だからこそ言葉が詰まってしまう。フィアはまっすぐな目で、男の答えを待つ。男はその濁りのない瞳に耐え切れなくなり、思わず怒鳴った。
「どうでもいいだろ!」
破壊の傀儡に命令を下し、フィアを殺しにかかる。フィアはその行動を見て、諦めたように首を振った。
「あなたが魔法を恨んでいる理由を、知りたかった」
悲しそうに、だけど笑顔でフィアはトリガーを引く。直後、白い光が広がり、一瞬にして弾け飛んだ。光はその場にいた少女と男を飲み込んでいく。そして、男だけを残してフィアと少女は消えていった。
「クソが! 逃げられた!」
視界が眩む中、男は毒づいていた。男にとって、願いを叶えるにはフィアの力が必要なのだ。だからこそ、千載一遇のチャンスを逃したのが悔やまれる。
「どこに行きやがった! 出てこい、フィア!」
懸命にフィアを探す男。しかし、当然のように返事はない。男は眩んだ視界が元に戻っても怒鳴りながらフィアを探していた。しかし、どんなに探してもフィアは見つかることはない。
男にとってその時間は、ただ無駄になる。
◆◆◆◆◆
――ここはどこ?
気がつくと少女は、幻想的な箱庭にいた。澄み渡った青空の下、見渡すと美しい花が咲き誇っており、それを取り囲む草の柵が存在する。世話をする異形な形をした魔物は、みなが楽しげに、そして幸せそうだった。少女は立ち上がり、そこをただ呆然としながら足を進ませていく。
ふと、ある物を見つける。それは真っ白なテーブルと取り囲むように置かれた椅子だ。少女は不思議そうにそれらを見つめていると、一つの声が言葉をかけてきた。
「珍しいわね。こんな所に、人間がやってくるなんて」
声がした方向に顔を向けると、そこには女の子が座っていた。黒いドレスに、金色に染まった長い髪。まるで人形かと思わせる女の子は、少し退屈そうに言葉を放つ。
「ここに来たのは、何人目かしら。まあ、覚えていてもあまり意味はないけど」
カップを口に運び、紅茶を啜る女の子は、白い髪の少女に、座りなさいと言い放った。少女は言われるがまま、適当な席に座る。
「ふーん、なるほどね」
何も言っていないのに、女の子は感心したような声を上げていた。何かを言おうとする少女だが、女の子はそれを止めた。
「やめておきなさい。その質問は、ここではタブーよ」
ただ女の子の名前を聞こうとした少女。だが、あることに気がつく。それは先ほどまで穏やかに時間を楽しんでいた魔物達が、一斉に少女を睨みつけていることだ。
もし、女の子の名前を聞いていたら。少女は安易に起きるだろう悲劇を想像し、言葉を飲み込んだ。
「でも、私がどんな存在なのかは教えてあげる」
女の子は見た目とは似合わない妖艶な笑みを浮かべて、正体を明かす。その言葉を聞いた少女は、思わず立ち上がった。
「世界を見守る吸血鬼。もう一つの名前は〈傍観者〉よ」
思わず問いかけたくなる少女。だが、その質問も飲み込む。それを見た傍観者は、優しく微笑んだ。
「お利口さん」
少女はゆっくりと腰を下ろす。そして、傍観者が言葉を放つのを待った。
「あなたが置かれている立場を教えるわ。その後は、勝手にやってちょうだい」
頷く少女。それを見た傍観者は、言葉を並べていった。
「あなたは、世界の理を破壊し、作ることができる魔法を手に入れた。詳細は面倒だから省くけど、誰からもらったのかはわかるでしょ?」
少女は何も反応を示さない。いや、少しだけ驚いているような表情をしていた。
そんな表情を見つめながら、傍観者は紅茶を一度啜って、言葉を再び並べていく。
「彼女の願い。それは彼女自身ではできなかった。だからあなたに託したの。そしてあなたを敵から守るために、彼女は細工した」
傍観者は立ち上がる。そして少女に近づき、顔を覗き込んだ。
「細工に関しては自分で確かめなさい。これ以上は、体感しないとわからないから」
少女は頷く。それを見た傍観者は、ニッコリと笑った。
「あなたに幸あらんことを」
指が鳴ると共に、少女の足元が光り出す。光に飲み込まれていく少女を見送る傍観者。少女は状況に戸惑いながらも、傍観者にある言葉を発した。
「ありがとう!」
傍観者は、思いもしなかった言葉だったのか、目を丸くする。だがすぐに笑顔を作り、言葉を返した。
「どういたしまして、碧」
気がつくと碧は、澄み渡った青空を見つめていた。身体を起こし、公園を見渡す。そこにはフィアが戦っていた男の姿はなかった。
一九八九年七月八日、碧は世界を変える魔法を手に入れる。それは同時に、フィアが戦っていた男との戦いになることを意味していた。