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SECRET≠BUDDY  作者: 早見綾太郎
SCENE.02 『さらば愛しき天使よ』
8/15

【オレの妹がいつの間にか敵のスパイになっているんだが】


 ――――。

 煌々とした月明かりを遮って立つ黒い影。

 夜風にはためく、裾の長い黒マント。

 禍々しいモーゼルミリタリーの銃口が、こちらを捉えたままギラリと輝く。

 出入り口の上に設置された給水タンクの更に上、避雷針と並び立つ格好でそいつは傲然と俺を見下ろしていた。

「フッ、満月の夜は血が騒ぐぜぇ……」

〝!?〟

 いやいやいや、ちょっと待て……。


 衆道服を着崩したようなデザインのコスチューム。ぷくっと膨らんだ胸元にはロザリオのペンダント、目元を覆うのはアイマスク状の仮面。

 カツーンとヒールの底を打ち鳴らし、バサッとマントの裾を翻す。

(シャキーン!)と、バックにSEでも付いてきそうなキラッキラのポージングで、少女は高らかに名乗りを上げた。


「――Sr.アプリコット、見☆参ッ!!!!」


〝こいつは……〟


「キャー、決まったー! カッコイイ~、私ッ!」

 敵であるはずの俺を置き去りにして、少女は小さくガッツポーズを作る。


〝この、馬鹿はッ――!!〟


「――Mr.ノーボディ、あなたの噂は聞いてるわ! だけどお生憎サマね! 獲物のファイルはこの私、〝Sr.アプリコット〟が頂戴するわ!」

 ビシッと俺の方を指差し、妙に芝居がかった口調で告げてくる。

 おいおい、冗談だろ……。

 俺は思わず言葉を失った――。

 沈黙。

 肌寒い夜風が一陣、ヒューッと屋上を薙いで行く。

「って、えっと、聞いてる? ここはさ、不敵に笑って――〝フッ、悪いがお嬢さん、こいつは渡せねぇぜ?〟って言うところじゃないの?」

「…………」

「おーい、もしもーし? そこのお兄さーん、無視しないでよぅー」

「…………はぁ」

 俺は早くもこいつの正体に確信を持って、頭を抱え込みたくなった。


〝――もうなにやってんだ、この馬鹿……!〟


「チッ!」

 まさか新しく始めたアルバイトってのが、スパイ稼業だったとはな。

 全く、馬鹿ここに至れりってやつだ。

 今すぐ叱り付けてやりたいところだが、恐らく向こうは俺の正体に気づいていない。

 それに、ともかく今は一刻も早くこの場を離脱することの方が先決だ。

 こうしている間にも、陽動を担うベルの身には危険が迫っている。


〝帰ったらたっぷり、お灸を据えてやるからな……!〟


「ッ――」

 俺は不意を突く格好でその場から駆け出し、先の銃撃で弾き飛ばされたワイヤー射出装置を拾いに走った。

「そうはさせないんだからっ!」

 敵の手にしたモーゼルが火を吹く。

 床の上で静止していたピストル型のワイヤー射出装置が、再び弾き飛ばされて大きく俺の手から遠ざかった。

 ……ったく、この暗がりで良く当てる。

 さらに一発、二発と、続けて撃たれ、その度に勢い良く弾き飛ばされた射出装置は、ビリヤードの玉のように床を転がり、やがて吸い込まれるように、屋上の淵から地上数十メートルの暗闇に落ちていく。

「フッ、狂い無し」

 これでどうだいと言わんばかりに、得意げな表情で薄い胸を張る少女。

〝だが、甘い――!〟

 風を切る。

 俺は構わず鉄柵を乗り越え、一息に夜空の渦中へと飛び込んだ。

 これにはさすがのアプリコットも面食らう。

「うえぇっ、ちょっ……!?」

 俺は地上十四階の屋上から紐無しバンジーを敢行しつつ、落下しながらピストル型のワイヤー射出装置を掴み取ると、空中で体を捻って素早く反転。

 隣にある郵便局ビルの屋上目掛けて、トリガーを引いた。

「……!」

 バシュッ――と、高圧ガスによって尖端が発射され、ぐーんと伸びたワイヤーの先が、狙い通り郵便局ビルの壁面に突き刺さる。持ち手にルガーを引っかけ、ビルとビルの間に架けられた細いワイヤーをターザンロープの要領で伝って向こう岸へと渡る。背後ですっかり置いてきぼりを食うアプリコット。俺は小さく振り返り、あいつの好きそうな台詞で答えてやった。

「十年早いぜ、お嬢ちゃん? 良い子はお家に帰ってネンネの時間だ」

 惚けた表情でMr.ノーボディのファインプレーを見届けていたアプリコットは、瞬間、嬉々とした表情で口笛を鳴らした。

「さっすがー! でも、こっちだって負けてないんだから!」

 前面のマントをたくし上げ、ベルト式のジェットパック(飛行装置)を露出させる。リモコン操作で両サイドのロケットブースターから高圧ガスが噴射され、Sr.アプリコットは高々と夜空に舞い上がった。

「きゃっほーぅ!!」

 俺はロープウェイのようにワイヤーを伝って、隣のビルに滑空する。

 郵便局ビルの屋上に着地した俺は、すぐさま無線で指示を伝えた。

「ファイルの奪取及び離脱を完了――ドクター、急いでベルを撤退させろ」

『あいあいさー!』

 これで一安心……って、わけにもいかないらしいな。

 俺は月の綺麗な夜空を見上げる。

 上空を自在に翔ける黒い影。

 鳥か? 飛行機か?

 いやスーパーマンじゃない、ただの(アホ)だ――。

 飛行装置で宙を翔る少女の影が、満月をバックに颯爽と飛び込んで来た。

「勝負よ、ミスター!」

 俺はバッと後退して距離を取り、改めて真っ向から対峙する。

「……悪い子だ」


              ***



 ――Dr.レミントンからのサポートを受け、無事に現場を離脱したチェリーベルは、合流地点に路駐したあった逃走用の軽自動車に乗り込み、ノーボディがやって来るのを待っていた。

 しかし、遅い……。

 本来の予定であれば、もうとっくに現れているはずなのに。

 カーナビの表示を見れば、ノーボディの現在地を示す発信機のカーソルは未だ郵便局ビルの屋上から動いていなかった。

〝どうしたんだろう……〟

 不安に駆られて、問い掛ける。

「ねぇドクター? 何か分かった?」

『……いや、こっちもさっきから呼びかけてんねんけど、無線を切られとるみたいやわ。まぁ、アンさんのことやから別に心配はいらんと思うけど……』

 どことなく自信なさげな彼女の声を聞いて、ベルは意を決したように運転席へと移動。ミラーを調節して、ハンドルを握った。

「あたし、ちょっと近くまで様子見に行ってみる!」

『いや、でも。ベルっちはそこで待機しとった方が――』

 構わずエンジンを掛けてドクターの声を遮り、彼女は言った。

「なんとなくだけど、嫌な予感がするの」

『……せやな』

 一呼吸置いて、無線機越しのドクターも同意を示した。

『けど気ぃつけや? 一度とんずらした現場に戻るんは危険やで?』

「うん。とりあえず近くまで行って待つだけだから、大丈夫」

 サイドブレーキを下ろし、ベルは車を発進させた。


              ***


 深夜の屋上で人知れず繰り広げられる激しい攻防。

 摩天楼の夜闇に紛れて火花を散らす二つの黒い影。

 ――Mr.ノーボディ と Sr.アプリコット。

「ハァアアアアアア――ッ!!!!」

 猛然と襲い掛って来るアプリコットに対して、俺は一定の距離を保ちつつ次々と繰り出される攻撃を、防ぎ、躱し、受け流していた。

「くッ……!」

 だが、こちらは手出しが出来ない。

 防戦一方の俺は次第に追い詰められていた。

 このままじゃ、ジリ貧だ。なんとか振り切って離脱しなければ。

「どうしたの、ミスター! 試合の最中に考え事だなんて、随分と余裕じゃない? 私のこと、女だと思って手加減してると痛い目見るよっ!」

「チッ――」

 素早い身のこなしと曲芸じみた技のコンボに俺は翻弄される。

 くそッ、動きが読めない。なんだこのトリッキーな戦法は。

 こいつが習っていたのは空手の筈だが、これじゃあまるでカポエラだ。

「ふんすっ!」

 フェイントからの深い踏み込み、一瞬の隙を突いて放たれた強烈なハイキックが俺の手首に直撃。

「くぁっ、しまっ……!?」

 衝撃で俺の手を離れたファイルがくるくると回転しながら宙を舞う。

「わふぅー☆ お宝、げっちゅーだぜ!!」

 思い切りジャンプして掴み取ったアプリコットは、にんまり笑ってピースサインをした。

「オ~ッホッホッホ!! ワタクシの勝ちですわね! ミスター!」

 お前、なんかさっきとキャラ変わってんぞ、おい……!

 プシュゥウウ――ッ、と。

 ベルト式のジェットパックから上昇の為の高圧ガスが噴出し始める。

〝まずいッ……!〟

「フン、あばよ。ミスターN!」

 だからキャラを統一しろっての! 色々欲張り過ぎだろ!

「――アイ・キャン・フラ~イ!!」

 ったく、無茶苦茶だな。

 獲物を奪い取ったアプリコットの体が瞬く間に飛翔する。

「させるか!」

 離陸の瞬間、俺は彼女の足元に飛びつき、そのまま一緒に宙を舞った。


              ***


「……ん?」

 車で現場付近まで戻って来たベルは、前方にある郵便局ビルの屋上から、夜空に向かって飛び立つ黒い影を発見した。

「あれは……っ――」

 ダッシュボードから赤外線スコープを取り出して目を凝らす。

 上空で揉み合うような格好の人間が二人、宙に浮いている。

 倍率を上げてその正体を知った彼女は、驚愕の声を上げた。

「ミスター!?」

 無線機越しに声を聞きつけたドクターが、即座に聞き返してくる。

『なっ、なんや、どないしたんや!? ベルっち、なんかあったんか!?』

「ドクター! 大変なの! ミスターが空に!」

『――ほへっ? 空ぁっ? いやいや、どういうことやねん! ウチはそんなガジェット、アンさんに渡した覚えないで?』

「私にも良くわかんないけど、とっ、とにかく後を追うわ!」

『わかった!』

 ベルは思い切りハンドルを切ってUターン。

 上空の影を追って街に走り出した。


              ***


「うえぇっ、わわっ、ちょっ……!?」

 月に向かって上昇するつもりが、緩やかに落下を始める。

 アプリコットは動揺し、俺を振り落とそうと空中で足をばたつかせた。

「いやぁああ、なんで掴まってるの!? これ一人用なんだから! やめて、離してってば! きゃーっ!? ちょっと、変なとこ触ってる! もう最低! ミスターのスケベ! 変態! エッチ・スケッチ・ワンタッチぃ~!」

 うるせぇなぁ。こちとら振り落とされないように必死なんだ。

 まぁ、俺がしがみついているせいでスカートがずり落ち、ストライプのパンツもほとんど脱げかけているわけだが、命あっての物種と考えれば、大都会の夜空にビラビラのついたワレメを晒すことくらいわけないだろう。

「おいコラ、あんまり暴れるな。落ちたら死ぬぞ」

「あっ、ごめん――って、何であたしが謝るの!? 大体こういうときは、夜空に飛び立つ私を屋上で一人見送ったあと、『Sr.アプリコットか……』って、風に吹かれながら意味深に呟くのがミスターの役目でしょ!」

「馬鹿言え。人生は筋書きのないドラマなんだ」

「おぉ、今のはちょっとカッコイイかもっ!」

「そんなことより高度落ちてるぞ。大丈夫なのか?」

「うわ、やばしッ……!」

 慌ててレバーを引き、ブースターの出力を上げる。

「ふッ、んぐっ、ぐぐぐぐぅう~~ッ!!」

 俺の同乗でガクンと下がっていた高度がなんとか持ち直した。

「ふぅ……助かったぁ」

 一難去って安堵の溜息を漏らすアプリコット。

 俺は隙を見て、彼女の手から素早く獲物のファイルを奪い取った。

「あっ、ちょっと!? ずるいよぅ! 今のノーカン!」

「黙れ」

「返して! ねぇ、返してったら~!」

 抗議を申し立てながら手を伸ばして来る。俺はファイルを持った手を背中に回して取れないようにすると、小さく笑いかけた。

「――さぁ、夜のフライトと洒落込もうか?」


              ***


 地上からノーボディを追いかけるベルは、大通りで渋滞に捕まっていた。

 ナビに映る発信機のカーソルはこうしている間にもどんどん遠ざかっている。既に目視では、その影を捉えられなくなっていた。

「くっ……」

 ダメだ。このままでは見失ってしまう。

〝――!〟

 そのとき、窓の外に信号待ちをしているバイクの姿が視界に入った。

 ベルはすぐさま、無線で本部のレミントンに呼びかける。

「ごめんドクター、今すぐSSC(サポートセンター)に連絡して車両を回収させて!」

『はぁっ!? アンタ、そんな勝手な事して、また後で――』

「お願い!」

『んん……もうっ! 費用はベルっちの一人持ちやけんね!?』

「ありがと!」

 列から外れて路肩に乗り上げ、運転席を下りたベルは、すぐさま信号待ちをしているライダーのもとに駆け寄った。

「ごめん、ちょっとそれ貸して!」

「えっ、何だよネエチャン? 貸してって、お、おい……!」

 困惑する男を有無言わさぬ勢いで押し退けて、シートに跨ったベルは目の前の信号が青に変わった途端、ペダルを蹴り上げ、爆音と共にフルスロットルでその場から発進した。

 バゥウウウウ――ン、ギャルルルルルルッ……!!

「……――!!!!」

 轟々と風を切り、弾丸のように走り出す、400CCの大型MT車。

 周囲の景色が物凄い勢いで後方へと吹き飛んでいく。

 派手なカラーリングのアメリカンを思いっきりカッ飛ばし、渋滞の長い列を一直線に引き裂いた。

「おい、待てよー、どこ行くんだよー!」

 背後から追いかけてくる持ち主の制止を振り切って、猛々しいエンジンを響かせながら、Ms.チェリーベルは宝石箱のように輝く市街を爆走する。


              ***


「くっ、んん~ッ、もう、このぉ……はんむっ!」

「ッ――……いででででッ、おいっ! 噛むな!!」

 もつれ合うようにくんずほぐれつ、ファイルを奪い合いながら、よろよろと空中を進んだ俺たちは、高速道路の上空に差し掛かった。

 今や首都・東京を差し置いて日本経済の中枢とまで言われている金恋市の流通量は他県の数十倍。真夜中といえども、ハイウエイは運送用のトラック・トレーラーを始め、ひしめき合う多くの車が奔流のように走っていた。

 脱出の糸口を掴み、俺は嗤う。

「お先に失礼っ――」

 足元に走行中のトラックを見とめた俺は、タイミングをあわせて手を離し一直線に降下。その広く平らな屋根に、ぼんと飛び移った。

「くっそぉ~、逃がさないんだからっ!」

 アプリコットも負けじと、その斜め後方を走っていた大型トレーラーの上に飛び乗り、カーブで二台が横並びになった瞬間こちらに飛び移ってきた。

「チィッ……!」

 吹き荒れる突風。俺は踵を返して走り出し、バッと勢いをつけて踏み切ると、後方を走っていた乗用車の屋根に飛び乗った。

「待てぇ~い!」

 アプリコットも持ち前の運動神経を遺憾なく発揮して、走行中の車の上を次々と飛び移りながら俺を追って来る。

「おいバカやめろ! 危ねぇだろ! もう大人しく諦めろ!」

「そっちこそ! ファイルはゼッタイ渡さないよぉ~だ!」

 言っても無駄か。俺は再び背を向ける。

「卑怯者~ッ! 逃げるのかぁー!?」

 彼女を傷つけることの出来ない俺は、ひたすら逃げに徹するしかない。

 運動技能は奴の方が上でも、スタミナは俺の方がある。

 とにかく動き回って、体力を消耗させる作戦だ。

「食らえ! 必殺・ライダーシューティング!!」

 アクロバティックな跳躍から火を吹く銃口。雷鳴のような三連射。

「――っ!!」

 俺はマントの裾を翻し、防弾加工の布地で撃ち出された弾丸を防いだ。


              ***


 市街地の中央部、百万ドルの夜景を堪能できる時計台の上に立ち、Ms.コニーレッドはハイウエイで展開する二人の闘いを密かに傍観していた。

『Sr.アプリコットの性能はどうだ……?』

 イヤホンから聞えて来る男の声に、彼女は落ち着いた調子で答えた。

「上々です。しかし、恐らくノーボディは彼女の正体に気づいていますね。先ほどから一切攻撃に転じることなく、イタチごっこを続けています」

『やはり、アプリコットの欠点は頭のユルさだったか……』

 嘆きを孕んだ男の言葉に、コニーレッドは苦笑を返した。

「その点、彼女を責められませんわ? もとよりあのアプリコットは、ノーボディと戦わせるために選出された人材。こちらとしても技能教習・戦闘訓練に手一杯で、本来、諜報員として必要な情報管理の鉄則――〝徹底した秘密主義〟の習性までは、教え込む暇がありませんでしたから」

『フン、そうか……』

 イヤホン越しに男が葉巻に火をつけるジッポの音が聞こえてくる。

『それで――当の本人は、ノーボディの正体に気づいているのか?』

「いえ、それはないかと」

『ならばむしろ好都合だ。――二人まとめて始末しろ……』

 通信機の向こうで、男の声がガクッと下がるのを聞いたコニーレッドは、冷たく乾いた夜風にあたりながら寂として応答した。

「……はい、マスター」


              ***


「三嶋流・徒手合戦礼法 内の一つ」

 なにやらぶつぶつと唱え、俺の懐に飛び込んで来るアプリコット。

 くそっ、速い。

「絶招・焔穿拳ッ――!!!!」

 なんだかやたらと長ったらしく、大仰な技のように聞えるが、要は単なる正拳突きである。この中二病め。しかし、その威力は抜群だった。

「ぐはぁ――ッ……!?」

 思いっきり鳩尾に食らった俺は吹き飛ばされて、そのまま荷台から落ちそうになる。その隙にファイルを回収したアプリコットは「フッ、手こずらせやがって」とお約束の台詞をドヤ顔で言ったあと、大事なファイルをごそごそパンツとシャツの内側に入れて、「へへーん、これでもう取れないもんね~!」と自慢げに笑った。

「くそッ……!」

 俺はなんとかトラックの淵から這い上がるも、時既に遅し。

「――任務☆完了ミッション・コンプリート!!」

 華麗なる勝利宣言と同時に、ベルト式のジェットパックが起動し、ロケットブースターから上昇のための高圧ガスが噴き出した。

「それじゃあ今度こそ! しぃ~ゆぅ~!」

 バサッと、大きなマントを翻したアプリコットは空に飛び立つ――。


              ***


「……ごめんね、杏奈ちゃん。あなた、可愛かったわ」

 その光景を、遠く時計台から眺めていたMs.コニーレッドは、その時が来た事を知って、夜闇に一人呟いた。

「さよなら――」

 握ったリモコンのスイッチを、指先でパチッと跳ね上げる。


              ***


〝!?〟

 そのとき、彼女の身に異変が起こった。

「えっ、なにこれ……嘘っ!?」

 突然、空中で動きを止めたアプリコットは、慌てたように手元のコントローラーを操作する。おい……まさか、機械の故障か――!?

 まずいッ。俺は考えるよりも早く駆け出していた。

「おい、こっちに飛び込め! 早くしろッ! 聞えないのか!!」

 俺は必死に声を上げて叫ぶが、予期せぬトラブルにアプリコットは真っ青な顔をして、完全にパニクっていた。

「ちょっと、そんなっ……い、いやッ!」

 アプリコットの足元は既に高速道路の淵から出ている。

 このまま飛行装置が完全に機能を停止してしまえば、十数メートル下の地面に転落する。これまで感じたことのない死への恐怖心が、彼女の頭から冷静な思考回路を奪い去っているのだ。

「バカ野郎ッ……!」

 俺は立ち並んだハードルを次々と飛び越えるように、走る車の屋根を踏み台にしつつ、彼女の許へ急ぐ。風を裂いて祈る。間に合え。

 瞬間、ボンッと、彼女の身につけたジェットパックから火花が散って、黒煙を上げながら、アプリコットは空中で制御を失った。

「きゃあああああああああああああ――――ッ!!!!」

 そして、落下する。奈落の底へと。真っ逆さまに。

 俺は意を決して、生と死の境界に飛び込んだ。

「杏奈ッ――!!!!」

 力の限り叫んで、手を伸ばす。

 アプリコットも何かハッとした表情で、俺に手を伸ばした。

 触れ合う指先。掴み取って、その細い体を抱きしめる。


              ***


 闇を切り裂くエンジン音。流線形に輝く景色。

 真紅のボディが嵐のように走行する。

『ベルっち!』

 ナビゲーターのレミントンが通信機越しに叫んだ。

「――っ!?」

 夜空に尾を引いて降下する影。

 高速道路の高架下を盗んだバイクで疾走していたMs.チェリーベルは、上空から転落する二人の姿に目を見開き、フルスロットルでマシンを加速した。


              ***


 視界が暗転し、天と地がぐるぐると旋回する。

「っ、ぐ……ンッ、がはっ……!」

 ガサガサ、バキッ、ドサッ――と、いくつもの衝撃が全身を襲い、最後に一際大きな衝撃が背骨を揺らすと同時に瞳を開くと、俺は少女を抱き締めたまま地面に倒れていた。目の前には聳え立つ一本の大きな樹木。ところどころの枝が折れて垂れ下がっている。

 どうやら、俺たちはこの木に助けられたようだ。

「痛ッ……ぐぅッ!」

 体を起こそうとすると右肩の当たりに鋭い激痛が走った。

 落下の際、木の枝で切ったのだろう、二の腕の部分がパックリと裂けて血が噴き出している。しかし、それほど深い傷じゃない。むしろ、あの高さから落ちてこの程度の軽傷で済んだとあれば僥倖だろう。

 俺は胸に抱えていたアプリコットをそっと地面に横たえ、呼びかける。

「おい、大丈夫か?」

「ん……ぅ、ん……」

 彼女はぐったりとしたまま、むずかるようにムニャムニャと声を上げた。

 俺は腕を取って、脈拍、呼吸、体温を確かめた後、一通り触診もしてみたが、特に目立った外傷はないようだ。ついでに少女の目元を覆っていたアイマスク状の仮面に手をかけ、そっと外して、その下の素顔を見る。

「ねぇ、ミスター……? さっき、私の名前――」

 なんだか寝惚けたような声で、とろとろと口を開く少女。

 俺は懐から取り出した睡眠薬のスプレーを一噴き。

「おやすみ、マイ・エンジェル」

 杏奈がそのまま眠りにつくのを見守ったあと、俺もようやく人心地ついてその場に座り込む。びちゃっと、尻が濡れて何かと思えば、地面に水溜りが出来ていた。ちょろちょろと聞こえてくる蚊細い水漏れの音。……よっぽど恐かったんだろう。水源は杏奈だった。

「……はぁ」

 周囲を見渡せば、この場にあるのは木と花壇と外灯とベンチ、それから向こうの方には小さな砂場と子供用の遊具が見える。

 公園か……。幸い、辺りに人目はない。

「……!」

 遠くからバイクのエンジン音が近づいて来て、公園の前に一台の派手なアメリカンが停車した。乗っていた女性ライダーがこちらに駆け寄って来る。

「ミスター!」

 ベルか。ちょうどいいところに来た。

「お怪我はありませんか!?」

「ああ、心配ない」

「えっと、その子は……?」

 彼女の視線の先には、服と下着を汚したまま眠っている杏奈が居た。

 俺は質問に答えず、苦戦の末ようやく手に入れたファイルを差し出した。

「悪いがベル、こいつを持って先に帰還してくれ」

「で、でも……」

「頼む。今は何も訊くな」

 まだ何か言いたそうではあったが、彼女も察してくれたらしい。

「わかりました」

「それから、出来れば女物の服を貸して欲しいんだが……」

「私のでよければ、この先にある駅のコインロッカーに一式」

「すまない。今度、新しいのを買って返すよ」

「あっ、それじゃあ。私も一緒に付いて行っていいですか?」

「一緒にって、服を買うのにか?」

「はい」

「ん……まぁ、それは別に構わないが……」

「やったぁ。ミスターとデートの約束しちゃった」

「デートって、おいおい、そんな大層なもんじゃないぞ?」

「フフ、とにかく、楽しみにしてますね?」

 ファイルを手渡し、代わりにロッカーのキーを受け取る。

「今日はもう、そっちに戻れそうにないから、ドクターにもよろしく言っておいてくれ」

「わかりました。それじゃあミスター、お気をつけて」

「うん」

 ベルは来たときと同じく、颯爽とバイクで走り去って行った。

 俺は杏奈の着替えを取りに一度駅まで向かわなければならないのだが、まさか眠っている杏奈を一人、このまま放置して行くわけにはいかない。

 ひとまずこの眠り姫を抱えて、俺は近くの公衆トイレに向かった――。


              ***


「――申し訳ありません、マスター……」

 時計台から事の成り行きを見守っていたコニーレッドは、作戦の失敗を手短に報告した後、粛として謝罪の言葉を述べた。

『……もういい。撤収しろ』

 通信機越しに返って来る男の声は冷たく硬い。

 失態を犯したコニーは媚びた女の声で、とりなすように申し出た。

「せめてアプリコットだけでも、ワタクシの手で始末いたしましょうか」

『わからんのか? これ以上、この件に費やす時間はないと言っているんだ。もとより余計な情報は一切与えてはおるまい?』

「はい、それは勿論……」

『ならば捨て置け。藪をつついて蛇を出したのではそれこそ本末転倒だ。これ以上、あの娘には手を出すな』

「はい。申し訳ありません……」

『その代わり――』

 淡々と耳朶を打つ男の声色が、攻撃的に変わった。

『帰ったら覚悟しておけ……。大仕事を間近に控えたこの時期に、貴重な時間と手間を無駄にした罪は重い。この失敗はお前の肉体(カラダ)で償ってもらうぞ』

 バシッ――と力いっぱい鞭を打ち据える音と、ジャラジャラ鎖の付いた拘束具を用意する音が通信機の向こうから鮮明に聞こえて来る。

 つーっと一粒、女の首筋を滴り落ちる熱い汗。乱れる呼吸。

 今宵、懲罰として与えられる陵辱の悶えるような苦痛を想像しながら、コニーレッドは吐息混じりに答えた。

「イエス、マスター……」


              ***


[AM 2:45]

 人気のない夜道。俺は杏奈を背負って、家路を歩いていた。

 寝静まった住宅街の明かりはひっそりと疎らに瞬いて、外灯の下をゆるやかに風が吹き抜けていく。

「ん……ぁ、ほにゃ――?」

 不意に背中の方でごそごそと動き出す気配。

「ミスター……?」

 寝惚けた声で問い掛ける杏奈に、俺は平生を装って言った。

「お、やっと目が覚めたか?」

「え、あれ……? 良太兄ぃ?」

「大丈夫か、杏奈?」

 俺の背中にしがみついたまま、杏奈はごしごしと目を擦る。

「うん……でも、なんで私、良太兄ぃにおんぶされてるの……?」

「お前の帰りがあんまり遅いもんだから、心配で探しに行ったんだよ。そしたら途中でなんかカッコイイ男の人とすれ違ってさ、それらしい子が公園に居たって言うもんだから、まさかと思って行ってみれば、案の定、お前が公園のベンチで寝てたってわけだ」

「公園?」

「なんだ、何も覚えてないのか?」

「うーん、おっかしいなぁ~……。私は確か……それに、この服も」

「ん……? どうかしたか?」

 俺が何気ないふうを装って訊き返すと、杏奈は慌てて首を振った。

「うぅん、何でもない……」

「お前、さては寝惚けてるな?」

「そんなことないよぅ」

「どうせ、バイトの帰りに疲れて寝ちゃったんだろ?」

「う、ぅん……そうみたい」

「ったく、無用心だな。今度から気をつけろよ?」

「ごめんなさい……」

 珍しく素直に謝った杏奈は、それからむずかるように俺の肩を叩いた。

「ねぇ、良太兄ぃ? 恥ずかしいから、もう降りる……」

 もぞもぞお尻を動かして自分から地面に降りようとする杏奈。

 俺は無理やり背負い直し、前を向いたまま答えた。

「いいよ。どうせこんな夜遅く誰も見てないんだし、お前、疲れてんだろ? 家まで乗せてってやる」

「んっ……でも」

「なんだ、嫌なのか?」

「うぅん……それじゃあ、お言葉に甘えて」

 背中から前に手を回した杏奈は、俺の襟元にぴったりと頬を寄せ、まどろむように薄目を閉じた。

「――なぁ、杏奈?」

 月明かりに照らされた夜道を歩きながら、俺はふと口を開く。

「大変なんだろ、今のバイト。キツかったら辞めていいんだぞ?」

「……どうして、急にそんなこと言うの……?」

 耳元で囁く杏奈の声は、なんだか弱りきっている。

 俺ははっきりとした口調で言った。

「心配なんだ。最近、帰りも遅かったし、今日だってこんな時間まで出歩いて……。もしお前の身に何かあったら、俺は天国の父さんと母さんに会わす顔がないよ。それに、俺たちはたった二人の兄妹じゃないか。大切なんだ、杏奈のことが……お前に居なくなられたら、俺は今度こそ一人になっちまう」

「――」

「だから、な? もう、危ないことはしないでくれよ? 約束だぜ?」

 くしゅんと鼻を啜る音が聞え、小さく嗚咽の声が漏れてきた。

「ぅん、ごめんね。……ごめんなさい……おにいちゃん」

 俺の背中で一頻り泣いたあと、杏奈は清々しい声で言った。

「私ね、今のバイト先、辞めることにする」

「フフ、そうか……。まぁ、また新しく探せよ? 今度はもっと楽で、早めに帰れる仕事を、な?」

「それじゃあ私、良太兄ぃと一緒のバイト先でお世話になろうかな~」

「えっ、い、いや……そっ、それはちょっと、困るかなっ……?」

「えー、どうしてよぅ~? お刺身を作る工場だっけ? 良太兄ぃのアルバイト先――」

「お刺身のパックにタンポポの花を乗せる仕事だ」

「あはは、何それ~、チョー楽そうじゃん~。私もそれがいい!」

「バカ、そんな生易しい仕事じゃないんだぞ?」

「うわ……っていうか、良太兄ぃ、コレどうしたの!? 肩のところ怪我してるじゃん。ちょっと、血ぃ出てるって、消毒しなきゃ!」

「ああ、それはさっき、ちょっと街の不良に絡まれてさ?」

「殴られたの?」

「でも大したことないよ。財布渡して土下座したら許してくれたし……」

「もう、しょうがないなぁ、良太兄ぃは。私が守ってあげるからね?」

「フフ、そいつは頼もしいな――」

 取りとめのないことを話しながら、俺たち兄妹は我が家に帰宅した。



                   To be continued.……

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