【Wブッキング】
[AM 1:04]
百貨店フロアは午後九時半を持って閉店となり、上階のオフィスに勤める社員もそのほとんどが帰宅した深夜、明かりが消え、静まり返ったビルの狭間に息を潜める影があった。
『――あーあー、テステス、CQCQ、こちら天才マッドサイエンティスト・Dr.レミントン――うお~い、ベルっち~? そっちの状況は~?』
イヤホンから聞えて来る暢気な声に、少女は声を落として答えた。
「こちらチェリーベル――現在、予定の位置にて待機中……」
『おーけーおーけー。ほんなら今のうちに〝お着替え〟も済ましとこうか?』
「了解」
ベルは既に装着していた眼鏡の縁に手をかけ、スイッチを入れた。
小さく駆動音を立てて、即座に音声認識システムが起動する。
「蒸着――……」
〝声紋確認――オールクリア、蒸着システム起動〟
瞬間、眩い閃光が解き放たれ、キラキラと宙に飛散した光の粒子は、Ms.チェリーベルのしなやかなボディーラインに吸い寄せられるかのように集積、瞬く間に結晶を結んで形状を固定する。
『戦闘服の機能に異常はないな?』
「えぇ、まぁ。異常はないけど……」
『ん、なんや?』
ベルは自身の格好を改めて見下ろし、心細そうな声で問い掛ける。
「ねぇ、ドクター。この衣装、どうにかならないの? 毎度の事だけど、なんか、エッチなお店のコスプレみたいですごい恥ずかしいんですけど……」
『あかん! それはウチのこだわりやもん! 戦闘服のデザインに関しては一切の異議申し立てを却下するッ!!』
何故か激怒して噛み付いて来たドクターに、ベルは訝るような表情で、バストトップを隠す薄い布の衣装に指を掛けた。
「大体、何でこんなに露出度が高いのよ。もうほとんど革ビキニじゃん」
『うーん、革ビキニっていうよりは、ビニールテディやな。ちなみに、今ベルっちが着用しとるんはオープンカップのタイプな? カップのアンダー部分に切れ込みが入っとって、隙間からきゅっとおっぱいの肉がはみ出るようになっとるやろ? 他にもクローデットタイプやら、フロント編み上げタイプ、オープンフロントタイプやなんかも各種取り揃えております』
「知らないわよ。そもそも戦闘服って、身を守るためにあるんじゃないの?」
『防刃・防弾のマントを上からバッサリ膝下まで羽織るんや。内側なんて何着とったってええねん』
「それじゃあ、わざわざ着替える意味ないじゃない!?」
――イヤホンから流れて来る二人のやり取りを聞き流しながら、俺は既に目標ポイントとなる十三階・資料室の天井裏に身を伏せていた。
『何をゆうとんねんな、裸にマントやなんて超セクシーやん!? なんか、ときめきトゥナイトのエンディングみたいで、こりゃあ~萌えまっせ!』
まったくこんなときに無駄話とは、緊張感のない奴らだ。
大体ときめきトゥナイトのEDって、いまどき誰が分かるんだよ……。
俺は手元のデジタル時計で時刻を確認し、二人の会話に口を挟んだ。
「おい、そろそろいいか」
『あ、はい……すみません、ミスター』
『こっちは準備オーケーやで?』
……よし。
「作戦開始だ――」
俺の宣言と同時に、秘匿回線の向こうから、ベルが気を引き締める僅かな息遣いと、軽快にキーを叩くドクターの声が耳に届いた。
『ぽちっとな!』
***
警備室前のトイレで、信号を受信した装置が静かに作動する。
シュルシュルと空気が漏れるような音を立て、便器と壁の僅かな隙間にセットされていた装置から噴出する気体。――Dr.レミントン特製の催眠ガス。
無色・無臭の睡眠薬が人知れずトイレ内の空間を満たしてゆく。
そして気体を発生させる装置が徐々に熱を帯び、接着剤としての役割を果していたガム状火薬がそれを感知、化学反応を起こして瞬間、爆発する。
〝!?〟
警備室に詰めていた衛兵達は、間近で起こった爆発音にどよめいた。
「なんだ、今の音は……!?」
確認のため、すぐさま数人が飛び出すと、廊下が水浸しになっていた。
「おわっ! ちょっ、どうなってんだこれ!?」
「水道管の故障か?」
水の流出元がトイレであることに気づいた衛兵の一人が、ノブに手をかけ扉を開ける――。
「っ……」
瞬間、室内に充満していた濃密な催眠ガスが一気に廊下側へと流れ出し、その場に居合わせた数人は瞬く間に昏倒。
「おい、大丈夫か!?」「何があったんだ!」「くッ――……」
異変に気づいて後からやって来た衛兵たちも、次々と気体を吸い込み、気を失って倒れていく。その様子を見て、勘の良い者が気づいた。
「ガスだッ! 息を止めろ! 急いで換気を――」
ヴィィイイ――ン、ヴィィィイ――ン……!!
瞬間、警報が鳴り響き、モニター上に真っ赤なランプが点滅する。
「なっ!?」
「侵入者です!」
「数は!?」
「センサーが探知したのは一名。場所は一階百貨店フロア・Bブロック」
「くそッ、巡回中の兵士を直ちに向かわせろ!」
「了解!!」
***
館内の照明が一斉に点され、二階のテラスに身を潜めていたベルは、腿のホルスターから取り出したミリタリー&ポリスを片手に、ドクターの指示を待っていた。やがてイヤホンから流れ出す声。
『ベルっち、準備はええな?』
「はい、いつでも行けます……!」
『よっしゃあ~! いっちょ派手にやったるかぁ!』
「了解――!!!!」
号令に従って発砲。突き抜けるような銃声が響き渡る。
ベルはガラス張りの壁面を思い切り突き破って館内に侵入した。
***
「――っ!?」
「おい、今の音はなんだ!」
警備室からの指示に従って侵入者の追撃に向かっていた巡回中の衛兵たちは、まるっきり反対方向から聞えてきた数発の銃声とガラスの破砕音に、困惑した様子で本部のオペレーターに問い掛ける。
『わからん。こっちのモニターには何も――いや、待て! これはっ……』
「どうした!?」
無線越しに大慌てでキーボードを操作する音と、オペレータの愕然とした声が耳に届く。
『警備システムが、ハッキングされてるッ……!! これは偽の情報だ!』
「何ィッ!?」
***
長いマントの裾を翻し、指示されたコースを走り抜けるベルの耳に、ドクターからの通信が入った。
『奴さん、どうやらこっちのカラクリに気づいたみたいやな。――ベルっち、そろそろ来るで? 囲まれたらアウトやけん、気ぃ引き締めとき』
「ええ。それは、分かってるんだけど……!」
『なんや、不安か?』
「ううん、そうじゃなくて!」
ベルは走りながら、しきりに胸の辺りを気にしていた。
「この衣装、ホルターネックが緩くて、ちょっと動いただけでカップ取れちゃいそうなんですけどッ……!?」
『えっ、なんだって~?』
耳に手をあてるジェスチャーまで目に浮かぶようなドクターのとぼけっぷりに、ベルは顔を真っ赤にして叫んだ。
「だからッ、おっぱい零れちゃいそうなの!!」
『あははは、どんどん出しなはれ! どうせ相手はむさっ苦しい殿方や、追い詰められてどうにもならんようになったときの最終兵器やで!』
「……ドクター、アンタ帰ったら覚えときなさいよッ!」
『お~っと、そうこうしとる間におでましや。前方十時方向に二人!』
ベルは走りながら指示のあった方角を見据え、銃口を構える。
直後に視界の端を掠め過ぎる人の影。
引鉄にかけた細くしなやかな指に、痺れるような興奮と快感が迸る。
〝!!〟
閃光が瞬き、怒号と共に鼻腔をくすぐる硝煙の香り。
「ぐあっ」「……がはッ!?」
角から飛び出してきた衛兵二人を立て続けに撃ち倒した。
『――続いて後方・二時の方角に三名様・ご来店~!』
ベルは柱の陰に飛び込みながら、振り向き様にミリタリー&ポリスを連射。
二人を倒すも、うち一人を撃ち漏らし、迎撃に遭う。
「ちっ、一人外した!」
『相変わらずへたっぴやなぁ。Dr.レミントン特製の麻酔弾は安くないんやで? 外したぶんだけ、きっちりベルっちの報酬から天引きするけんな?』
「がめついんだから、もう!」
柱を遮蔽物に使ってマシンガンの掃射をやり過ごし、シリンダー(弾倉)から空薬莢を排出。スピードローターで新たな弾丸を補充する。
『モタモタしとると、応援が来て囲まれてしまうで? 行けるか?』
「……うん、余裕!」
手首を振ってシリンダーをフレームに叩き込む。
高鳴る鼓動。きゅっとお腹の奥を締め付けられるような緊張感に、背筋が震えるほどゾクゾクとして唇がとろんと媚薬のように甘くなる。
「はぁ、はぁ、はぁ……ん」
ベルは激しい運動ですっかり弛んでいたブラの紐をするりと解いて、汗の滴るたわわな乳房を露わにすると、つんと上を向いて硬くなった桜色のトップを袖で隠しつつ、柱の陰から反対方向に向かってそれを投げ捨てた。
「――!」
衛兵の注意が逸れる。男が投げ捨てられたブラを見て、反射的にごくりと喉を鳴らしたその瞬間――……
「イカせてあげるっ!」
柱の陰から転がり出ると同時に、すかさず男の体に弾丸を撃ち込んで仕留め、放り捨てたブラを回収しながらベルは再び走り出した。
***
無線越しに交わされる二人のやり取りと激しい銃撃の音を聞きながら、俺はすみやかに天井裏から資料室内へと侵入、目的のファイルを盗み出すとその足で屋上に向かった。
とにかく俺がモタモタしていると、その分だけ囮役のベルが危険になる。
一分一秒でも早くこの場を離脱しなければならなかった。
そうなるとわざわざ一階まで下りるよりも、屋上から隣にある郵便局ビルへと飛び移った方が早い。そのために必要なワイヤー起動装置も予めドクターから借り受けていた。
「蒸着――……」
移動しながら戦闘服への変身も済ませ、屋上へと通じる扉を開く。
屋上の淵にある鉄柵にワイヤーを固定、ロケット型の先端をピストル式の射出装置にセットして、ここより五階ほど頭の低い、隣の郵便局ビル屋上へと狙いを定める。照準を合わせ、トリガーに指を掛けた、次の瞬間――。
〝!?〟
銃声一発。
手のひらからロケット銃が弾き飛ばされ、コンクリートの床を転がった。
「――なッ!!」
〝狙撃された――!?〟
背後の気配を察知して、咄嗟に振り返る。
「……!」
煌々とした月明かりを遮って立つ黒い影。
夜風にはためく、裾の長い黒マント。
禍々しいモーゼルミリタリーの銃口が、こちらを捉えたままギラリと輝く。
出入り口の上に設置された給水タンクの更に上、避雷針と並び立つ格好でそいつは傲然と俺を見下ろしていた。
「フッ、満月の夜は血が騒ぐぜぇ……」
〝――っ!?〟
いやいやいや、ちょっと待て……。
衆道服を着崩したようなデザインのコスチューム。ぷくっと膨らんだ胸元にはロザリオのペンダント、目元を覆うのはアイマスク状の仮面。
カツーンとヒールの底を打ち鳴らし、バサッとマントの裾を翻す。
(シャキーン!)と、バックにSEでも付いてきそうなキラッキラのポージングで、少女は高らかに名乗りを上げた。
「――Sr.アプリコット、見☆参ッ!!」
〝こいつは……〟
「キャー、決まったー! カッコイイ~、私ッ!」
敵であるはずの俺を置き去りにして、少女は小さくガッツポーズを作る。
〝この、馬鹿はッ――!!〟
「――Mr.ノーボディ、あなたの噂は聞いてるわ! だけどお生憎サマね! 獲物のファイルはこの私、〝Sr.アプリコット〟が頂戴するわ!」
ビシッと俺の方を指差し、妙に芝居がかった口調で告げてくる。
おいおい、冗談だろ……。
俺は思わず言葉を失った――。