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SECRET≠BUDDY  作者: 早見綾太郎
SCENE.03 『華麗なるスパイ大作戦』
14/15

【STAND BY ME】


 [AM 2:59] /中央区・スカイビル、地上二十三階『代表取締役室』

 視界を覆っていた白い霧が薄っすらと晴れてゆく。

 しかし、そこにマスター=ヴォイスの姿はない。

「チッ――」

 Mr.ノーボディの放った銃弾は、大理石の壁面にめり込んでいた。

「クックックッ……!」

 物陰に身を潜め、勝ち誇ったように哄笑するヴォイス。

「貴様は終わりだ、NB!!」

 直後に入り口の扉が開き、銃を抱えた兵士たちが一斉に雪崩れ込んで来た。

〝!!〟

 ノーボディはすかさずソファーの陰に転がり込む。

「撃てぇーッ!!!!」

 堰を切ったように放たれるサブマシンガンの一斉掃射が、ガラス張りの壁面を横一文字に切り裂いた。飛び散る薬莢、湧き上がる粉塵。砕け散った窓ガラスの向こうから突風が吹き込み、机の上に纏められていた書類の束が、ばらばらと風に煽られ宙を舞う。

「何をモタモタしているっ……!? 殺せェ! 殺さんか! 早くしろッ!!」

 逸早く机の下に隠れたヴォイスから部下の男達に激しい野次が飛ぶ。

 室内の遮蔽物と防弾仕様のマントを上手く使って銃弾の雨を防ぎ躱しながら、Mr.ノーボディは敵陣の呼吸が乱れる一瞬の間隙を狙って、物陰から飛び出した。

「――!!」

 白銀に瞬くルガーの残像。

 怒号が轟き、マズルフラッシュの閃光が闇を焼き払う。

「ぐあッ!?」「うっ……」「――ッ」

 銃声の継ぎ目すらもわからない、雷鳴のような三連射。

 目にも留まらぬスピードと卓越したガンプレイで、一瞬のうちに敵の兵士三人をまとめて撃ち倒したNBは、間髪入れずに逆手撃ち、柱の陰に飛び込みながらの回転撃ちで二人を仕留め、振り向き様の一撃で最後の一人も容赦なく床に沈めた。

「…………」

 あがりかけた呼吸を落ち着け、銃把を握り直す。

 激しい銃撃戦で荒れ果てた室内は、不気味な沈黙に満ちていた。

 神経を研ぎ澄ませ、視線を向ける先は、執務用のデスク。

 銃口を構えたまま、ゆっくりと歩み寄り、机の下が見える位置まで、回り込む。

「――っ!?」

 しかし、さっきまでそこに居たはずのヴォイスの姿がない。

 瞬間、背後で動き出す人の気配。ノーボディは、ハッとして振り返り――

〝しまった!!〟

 男の影が舌なめずりをして嗤う。

 闇を照り返して輝く黄金の銃口。

 真っ赤な閃光が、稲妻の如く迸った。

「ぐぅッ……!」

 銃声一発、鋭い衝撃に震える背中。

「かはっ――……」

 被弾したNBはよろよろと後退し、その場にガックリと膝をついた。

「クククッ、あははははは――ッ!! 馬鹿な男だ! 大人しく私の言うことに従っておけば、命までは取られなかったものを!」

 銃撃戦のどさくさに紛れ、観葉植物の陰に場所を移していたヴォイスは、金メッキ加工のワルサーP38を構えながら、してやったりとふてぶてしい笑みを浮かべる。

「……うぅっ」

〝くそッ、防弾マントの継ぎ目の部分を狙われた――!〟

 ヴォイスの撃った弾丸は、NBの右肩に命中。ルガーを握り締めたままだらんと垂れ下がった彼の右腕からは、真っ赤な鮮血がだくだくと滴り落ちている。

「その肩では、得意の射撃ももう使えまい?」

「チッ……!」

 跪き、傷口を押さえたままノーボディは唇を噛んだ。

「ゲームオーバーだよ」

 怖気がするほど低く冷たい声が告げる。

 ヴォイスの握った神々しきワルサーの銃口が、彼の眉間を捉えた。

「っ――……」

 張り詰めた緊張感に、一粒、二粒と、額から滴り落ちる冷や汗。

 彼はそっと左手の腕時計に手を伸ばし、文字盤の上にある黄色のボタンに指をかける。


              ***


〝ピーッ、ピーッ、ピーッ!〟

 中央区のスカイビルへと向かう深夜タクシーの車内で、Dr.レミントンは手持ちのノートパソコンから上がったアラームに、焦りを滲ませた。

「マジか……」

 画面を開いて素早くキーを叩き、信号の発信源を確認する。

「勝手なことしといて、今更SOSやなんて都合良すぎるっちゅうねん、あのアホぅ……」

 そう毒づきながらも、NBの現在地を確認した彼女は運転席に身を乗り出して、ドライバーの男に到着予定時刻を尋ねる。

「運転手さん、あとどんくらい!?」

「五分くらいですかねぇ」

「時間ないねん! もっと飛ばして! う~~んと、チップ弾むけん!!」

「……わかりました。しっかり掴まっててください」

 途端スピードが上がり、高まるエンジン音。

 車内はカーブで激しく揺れる。

「んんっ~~」

 ドクターは隣の席に置いてある大きなリュックサックを倒れないよう手で押さえつけながら、変装用のキャスケットを深く被り直し、一人呟いた。

「――ッたく、アンさんもベルっちも、ウチがおらんとなーんもでけへんのやから! 現場はウチの領分とちゃうねんけどなぁ。出張分の報酬、割り増しで請求しちゃるわぃ!」


              ***


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

 間近で構えられた銃口を見つめ続けるうち、自然と呼吸が乱れ出す。

 体中がカーッと熱くなって、心臓の鼓動がうるさいほどバクバクと耳元で鳴っていた。

 被弾による激痛と失血で、右腕は痺れたように動かない。一か八か、最後の力を振り絞って撃ち返してみることも出来なくはないが、どのみち、俺は死ぬだろう。

 ヴォイスが無言のまま、引鉄に指をかける。

 俺は静かに目蓋を下ろし、唇をわななかせた。

「……信じてたんだ、アンタのことを――」

 掠れて聞き取りづらい声が、荒れ果てた部屋の冷え切った闇に広がる。

「――一人の未熟な諜報員として、アンタの部下として、俺はマスター=ヴォイスを尊敬していた……。直接顔を合わせたことはなかったが、任務ですれ違う裏の世界の住人から、ふとした拍子にアンタの昔話を聞かされたとき、正直痺れたぜ……? 若い頃のアンタは、裏社会じゃちょっとしたスターだったそうじゃないか……。どんな大仕事でも、己の身一つ、拳銃一丁で軽々とこなしてみせる。そして、殺しをやらない、無駄な犠牲を出さないという崇高な矜持を持っていた。倫理や道徳なんて薄っぺらなもんじゃねぇ。そいつは美意識だと――その誇り高い生き様に、俺は内心憧れていたんだ……」

 ヴォイスは俺に銃口を向けたまま、険しい表情で耳を傾けている。

 そのしわがれた瞳のどこかに、深い悲しみがあるような気がして、俺は語りかけた。

「――一人の未熟な人間として、アンタの教え子として、俺は納谷昭二を心から尊敬していた……。母親が死んで、親父も仕事で滅多に帰っては来ない。そんな環境の中でどうしようもない悪ガキに育った俺に、人の道を教えてくれたのはアンタだったよ、先生……。親父が死んで、妹と二人生きていくために、俺はスパイになった。だがもともと臆病で不器用な俺だ。何度も任務で失敗して、何度も何度も死ぬような目に遭って、苦悩の日々だった。それでも弱みは見せられない。誰にも頼れない……。そんな中で、たった一人俺に寄り添ってくれたのはアンタだったんだよ。具体的な事情は何も話せなかったが、それでも構わないと黙って俺の話を聞いてくれた。ホント……アンタには、随分と助けられたもんだ。余計なことを言わず、ただ黙って頷いているだけで、俺にはアンタがすごく大きく見えたよ……。俺は先生に感謝してた……。父親のように思っていたんだ……」

 ヴォイスの瞳はきつく眇められたまま動かない。

 俺は真実を問い掛けた。

「全部、嘘だったのか……? 俺の知るアンタは、すべて偽りの姿だったのか?」

 しばしの沈黙を置いて、納谷昭二は言った。

「――フン、くだらん。何を言い出すかと思えば、そんなことか?」

 俺は心中に押し寄せる大きな落胆に打ちひしがれながら、口を開く。

「マスター=ヴォイスとして。納谷昭二として。アンタにはいつまでも格好良く生きて欲しかったよ……。その背中で、俺の進むべき道を示し続けて欲しかった……!」

「奇麗事を言うな、小僧ッ!!」

 発奮したヴォイスは鬼のような形相で、俺の言葉を遮った。

「キサマは現実を見ていない! 理想など生きるためには足手纏いにしかならん! 矜持など持って何の意味がある!? 泥の中で足掻いたこともない若造が、偉そうに見て知ったふうな口を利くな!!」

 激昂しながら、ふと口元を皮肉に歪めてみせるヴォイス。

「そういえば昔、お前の父も同じようなことを言っておったよ……。まったく親子揃って忌々しいことこの上ない! 信じていただと……? 甘いことを言うなッ! だからこんな結果になるのだ! お前も、お前の親父も!! いくら才能があれど、所詮この世界で生き抜くための真髄も知らぬ、ケツの青いひよっこよ! 無様だなァ、Mr.ノーボディ!?」

 俺は怒りに燃えて、ヴォイスを睨みつける。

「いいか、小僧ッ!? この世界を生き抜くための唯一の方法は、己の野心に従うことだ! そのためにはどんな手だって使う。欺き、裏切り、奪い取り、殺す! 容赦などしない! 形振りなど構っていられるか! そういう奴は真っ先に死ぬ! それが運命だ!」

 欲望と妄執に取りつかれた魔物は、狂った笑いを浮かべて壮大に謳った。

「お前の父を殺したとき、俺はこの真理に辿り着き、そして空っぽの心に〝野望〟を手に入れた! 今度は貴様を殺して、それを実現する! 俺は再びこの世界に返り咲くのだ! Mr.ノーボディの抹殺は、私にとってそのための通過儀礼となる!!」

 激情と共に俺の額へと向けられた銃口が、殺意に満ちて光った。

「――死ねッ!!!!」

 そのとき、廊下の方から凄まじいサブマシンガンの掃射音が聞えてきて――直後に。

〝!?〟

 猛烈な勢いで入り口の扉を突き破り、修羅場と化した一室に土壇場で滑り込んで来る影。

「ミスターっ!!」

 裸の上に、薄い布切れをパレオのように巻きつけた少女。

 その素顔を覆う物は何もない。


「なっ――!?」


 思いも寄らぬ人物の乱入に、俺は状況も忘れて驚嘆した。


〝ベルっ……いや、桜坂鈴音ッ――!?〟


 裸足のまま息せき切って駆け込んできた桜坂は、大慌てで俺とヴォイスの間に割って入り、手負いの俺を背後に庇うような格好で手持ちの拳銃を構えた。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

 銃口をヴォイスへと向けたまま、必死に肩で息をする桜坂。

 何故だ。どうして、お前が此処に……?

 そう問いかけようとして、言葉を飲み込む。

 ……いや――。

 本当はもう、分かっているはずだ。

 ――桜坂、お前が。

「ベル、なのか……?」

 俺のたどたどしい声は、誰に届くことなくその場の雰囲気に掻き消された。

「ミスター、大丈夫ですか!? お怪我は?」

 ベルの声にハッとして、俺は我に返る。

「あ、あぁ……。大したことない。それより、お前の方こそ――」

 監禁され、相当激しい拷問を受けていたのだろう。薄い布越しに透けて見える彼女の白い肌には痛々しい鞭の痣があり、手首には千切れた枷と鎖の末端がぶら下がっていた。

「自力で、逃げ出して来たのか……?」

「はい……。でも、間に合ってよかったです」

 健気にそう言って、彼女は気を引き締めるように目の前のヴォイスを睨んだ。

 一転して互いに銃を向け合う格好となったMs.チェリーベルとマスター=ヴォイス。

 しかし、失った栄光を取り戻さんとする老兵の自信は微塵も揺らいではいなかった。

「フン、死に損ないが二人に増えたところで何だと言うんだ?」

 ――悔しいが、彼奴の言う通りだ。ベルの参入によって、やや好転したように見える状況だが、こちらが優勢に転じたというわけでは決してない。

「多少老いたとはいえ、小娘と撃ちあって負けるほど、俺の腕も衰えてはいないぞ?」

「くっ……!」

 ベルは緊張したように、小さく銃把を握り直す。しかし肩に力が入り過ぎていた。

 俺は彼女の強張った背筋にそっと手を触れ、〝落ち着け〟と念を込めながら優しくさすってやる。深呼吸を繰り返すように彼女の柔らかい背中が大きく起伏し、ベルの体からいくらか余計な力が抜けたところで、俺はヴォイスの位置から死角になっている今のうちにと懐に手を伸ばし、抜き取ったそれを、素早く口の中に放り込んでおいた。

「「――――」」

 一触即発の危険な空気が漂う中、

 正面から向かい合ったまま、相手の隙を窺い、牽制しあう両者。

 じりじりと神経をすり減らしながら対峙したベルとヴォイス。

 その均衡を打ち破ったのは、一発の銃声だった。

〝!?〟

 引鉄を引いたのは、ベルでも、ヴォイスでもない。

 マズルフラッシュの閃光は、明らかに別の方角から瞬いていた。

「がはぁ……っ!?」

 突如として割り込んで来た銃弾によって脇腹を撃たれたヴォイスが、空気の抜けるような呻き声を上げて、どっとその場に倒れ伏す。

「なっ――!」

 続く第二射で、ベルの手元からも拳銃が弾き飛ばされ、状況は完全に覆された。

 こつこつと足音を響かせ、新たな闖入者が薄闇の中から姿を現す。

「フフ、こんな大事なこと、勝手に始めてもらっちゃ困るわよ?」

 俺は半ば呆れるような心境で、その名を呼んだ。

「Ms.コニーレッド……」

 性懲りもなく現れたこの悪女は、場の空気を我が物顔で蹂躙し、手にしたFNブローニングをひけらかしながら妖しく笑う。

「HA~Y? 今からこの場は私が仕切るから、みんなそのつもりでね?」

「……」

 辟易した俺が溜息を吐く一方で、ベルが新鮮な驚きを見せていた。

「――あっ、赤城先生!?」

 そういえば、彼女はまだコニーレッドの正体を知らなかったな。

「え、ちょっと、なんで先生が……!?」

 戸惑うベルに、Ms.コニーレッドこと赤城仁子はニッコリと笑いかける。

「あらあら、桜坂さん。ダメじゃない、こんな時間に外出しちゃ。悪い人に捕まって殺されちゃっても、先生知らないわよぉ~?」

 学園でお馴染みのニコちゃん先生を演じ、優しげに微笑んで見せるコニーレッドだが、細められた瞳の奥で蠢動する悪意と真っ赤なグロスが、いやに不気味な雰囲気を醸し出している。

「……っ――」

 困惑した様子のベルに、俺は声をかけた。

「ベル、あいつがコニーレッドの正体だ」

「嘘っ、そんな……!?」

 腹から血を流して倒れたヴォイスは、苦しげに息を吐きながら彼女を睨みつける。

「コニー、貴様ァ……! 私を、裏切る気かッ!?」

 Ms.コニーレッドは、ちょこんと腰に手を当てながら悪びれたふうもなく冷ややかな目でヴォイスを見下ろし、次の瞬間フッと鼻で嘲笑った。

「踏み台終了――ってことで、あなたは用済みですわ、マスター? 今度の取引に参加するのは私一人。既に先方とは話をつけてありますの。あなたには消えてもらいます」

「さては山岸和夫とかいう、あの男だなッ……!」

「ええ。彼はあなたと違ってまだ若いし、私の言うことを何でも聞いてくれるの。それにどうやら向こうの方々にとってみても、いい歳して野望だのなんだの言ってるみっともないおじいちゃんはお呼びでないみたいですよ? ウフフ、残念でしたわね?」

「くぅッ、おのれぇえ……!!」

「マスター=ヴォイス、最後に一つ。あなたに是非とも伝えておきたいことがあります」

 そう恭しく前置きをしたコニーレッドは、冷酷無比に告げる。

「私は長年、あなたの愛人を務めてきましたけれど、正直、ずっと気持ち悪かったです。――さようなら。死んでください、変態じじい」

 低く顔を伏せたヴォイスの額に、鈍く光った銃口を突きつける。

 そのとき。

「クックックッ……フフフ、あはははははは――――ッ!!!!」

 突如として哄笑を上げ始めたヴォイスに、コニーレッドはふと首を傾げる。

「ショックでおかしくなっちゃったのかしら」

 絶体絶命の中にあって笑うヴォイスを、彼女は痛々しい目で見下していた。

「いま楽にしてあげるわ?」

 しかし、ヴォイスの瞳は狂気に満ちてこそいるが、錯乱の兆候はない。

「馬鹿めッ!! 貴様らは一つ失念している、地の利がこの私にあるということをなァ!?」

 ハッタリとは思えぬ語気の強さに違和感を覚えたコニーレッドが表情を翳らせる。

 拳銃を押し付けたまま、訝るように眉根を寄せて低い声を発した。

「……どういうこと?」

「フン、これが何だか判るかね?」

 ヴォイスが懐から取り出してみせたのは、何かのリモコンのようだが。

 この場に答えられる者がいないことを知って、老人は勝ち誇ったように笑う。

「起爆スイッチさ! ボタン一つで、この部屋の床下・天井、あらゆる場所に仕掛けられた超軽量型・高性能爆雷が一斉に作動する!! 瞬く間にこの階一帯は火の海に包まれるぞ!! 逃げ道はない! 貴様らは既に罠の真っ只中だッ!!」

〝!?〟

 コニーレッドは焦燥感を露わにして、引鉄に指をかけた。

 しかしヴォイスの魔眼は底光りするように、じっと彼女の心を捉えたまま放さない。

「――クククッ、いいのか? たとえ脳天を撃ち抜かれたとしても、私は反射的にこのスイッチを押す。そうなればお前も終わりだぞ、コニぃー?」

「チッ……!」

「いつだって最後に笑うのはこの私なのだ……。さぁ、銃を捨てろ!!」

 逡巡の末、彼女は忌々しげな表情で握った拳銃のグリップを足元の床に放棄した。

「NB、貴様もだッ! データを返して貰おう!」

「……くッ」

 隣でベルが悔しげに唇を噛んだ。

 しかし、俺は口元に笑みを携え、はっきりと言ってやる。

「その必要はない――」

「なんだとッ……? 貴様ァ、まだわからんのか!?」

 これ見よがしにスイッチへと指をかけ、こちらを恫喝するヴォイス。

 ――だが。

「押してみろ」

 俺の一言で、彼の顔色が変わった。

「何っ……?」

「そのボタンを押してみろと言っているんだ」

「ハッ、馬鹿を言え! そんなことをしたら、貴様も一緒に死ぬんだぞ!?」

 明らかな動揺をみせるヴォイスに、俺はやれやれと肩を竦めて言った。

「いいから押せよ。それとも何だ? やっぱり単なる虚勢だったのか?」

「ッ……」

 やけに挑発的な俺の態度を見て何かに気づいたヴォイスは、次の瞬間、握り締めたリモコンのスイッチを思い切って押した。

〝!!〟

「なっ――!?」「~~っ……!」

 怯えたようにビクリと肩を震わせ、石のように硬直するベルとコニー。

 しかし、何も起こらない。

「何だッ!? どういうことだ、これは!!」

 慌てて二度三度、繰り返しボタンを押してみるヴォイスだが、何度やっても一向に爆発など起きる気配はない。くわっと血走った目で振り返り、彼は問いかけた。

「貴様ッ、何をした!?」

「どんな罠が待っているやもれん敵のアジトに、俺が何の対策も講じることなく、のこのこやって来たと思うのか?」

 ごくりと息を呑むように、ヴォイスは沈黙した。

 俺は思い出す。

 目眩ましに食らった、煙幕の中からの射撃。

「……まさか――!?」

 心当たりに行き着いたらしいヴォイスが、ハッと声を上げる。

 そう……。俺は不敵に笑って答えた。

「あのとき、最初に撃った一発は――〝ジャミング弾〟だ」


 開発者であるDr.レミントンから聞いた説明が、脳裏を過ぎる。


〝発射及び着弾の衝撃と共に中の物質が混ざり合って、特定範囲内の空間に一種の強電磁場を作り出すんや。まぁ、詳しい原理は長うなるけん割愛するけど、制限時間のあいだ、効果範囲内に存在するすべての電子機器は一時的に機能を停止するっちゅうわけや〟


『――効果範囲と持続時間は?』 

〝半径十メートル以内、持続時間は、まぁ、五分が限界やろな……〟

〝アンさんのルガーに合わせて、一応9㎜パラペラムと同じ口径サイズに加工しといた。一発しかない試作品やけん、使いどころはよう考えてな?〟


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。


「くそッ――!!!!」

 ヴォイスが役に立たなくなった起爆スイッチを床に投げつける。

 瞬間、傍らのコニーレッドが動いた。

「……!」

 危機が去ったことを知って、再び場の主導権を取り戻すべく、足元に捨てた拳銃へと手を伸ばす。だが、そこはヴォイスの方が一瞬早かった。

「させるか!」

「きゃっ!? うぅっ――」

 パァンと彼女の頬を張り飛ばし、乱暴に髪の毛を掴み上げて羽交い絞めにする。

「けッ、この裏切り女め、ブチ殺してやるッ!!」

 ヴォイスは拾い上げたブローニングの銃口をコニーのこめかみに押し付け、恐怖感を煽り立てるようにぐりぐりと捻じった。

「嫌っ、やめて……!」

 身から出た錆というべきか、一転して絶体絶命の状況に陥ったコニーレッドは、表情に悲痛を湛えた女の顔で、一心に俺の方を見る。

「助けて!! お願いっ!」

「…………」

 彼女を捕らえたまま、興奮したように息を荒げながらヴォイスが俺に向かって言った。

「おい! NBッ、データを渡せ!! さもなくばこの女を殺す!!」

「いやぁあああああああ――――っ!!!!」

 コニーもヴォイスも、己のため、目的のために必死だった。

 そんな二人の姿は、俺の心にある種の哀れみと、嫌気のような感情を誘い込む。

「醜いな……」

「黙れェ!! データをよこせ! この女が死ぬぞ!?」

 俺は黙ったまま、答えない。

「助けてノーボディ! 見殺しにしないで!!」

 コニーレッドが叫ぶ。

「早くしろッ!!」

 ヴォイスが怒鳴る。

「ミスター……」

 ベルが不安げな表情で、マントの裾をきゅっと握った。

「強がりはよせ、お前にはこの女を見殺しに出来ない!」

 ヴォイスの言葉を聞いて、思い出す。

 そうか。そうだったな……。

 きっと、今までの俺なら、そうだったのだろう――。

 俺は胸に深い感慨を覚えながら、ゆっくりと咀嚼する。

 混ざり合う、赤と青。

 クチャクチャとわざと大きな音を立て。傍らのベルが気づいてくれるように。

「……!」

 舌に絡ませ、ぷぅーっと息を吹き込む。

 鮮やかな紫色のフーセンガムが、俺の口元で大きく膨らんだ。

〝!?〟

 瞬間、はっと目を大きくしたベルは、小さく息を呑んだあと、俺の背後に寄り添って控える。意思の疎通を確認した俺は、ヴォイスとコニーに向かって言った。

「わかった」

 懐からデータの入った記録媒体を取り出し、二人の目に留まるよう掲げて見せる。

「そんなに欲しけりゃ、くれてやるよ……!」


 ――俺は、彼女を信じる。

 カウントは――……必要ないな。


 俺は柔らかくしたガム状火薬を記録媒体の裏に素早くなすりつけ、ヴォイスとコニーの視線を逸らすように、大きく放り投げた。

「っ――」

 瞬間、ふわっと体が軽くなる。

 ベルが背中から俺を抱くように、負傷して自由の利かない右腕へと手のひらを添え、一緒に支え上げてくれる。この世界に入ってきた彼女が初めて拳銃を手にしたとき。俺はこうやってベルの腕を後ろから支え、撃ち方を教えた……。しかし、今はその逆だ。俺がベルに支えられ、二人で一つの拳銃を構えている。

「ッ――!!」

 スローモーションのように流れゆく一瞬(とき)の中で、俺は強く思う。

 優しさだけでは人を愛せないと教えてくれたのは、アンタだったな、納谷先生。

 ときには厳しく突き放す選択が必要になることもあると。

 ――今がそのときだ。だから、消えてくれ!

 鈍く光ったルガーの銃口が、放物線を描いて落下する記録媒体の残像を捉えた。

〝あばよ、納谷昭二先生(マスター・ヴォイス)赤城仁子先生(コニーレッド)――……〟

 眼光に力を滾らせ、思いっきり不敵に嗤う。


〝地獄で会おうぜ!〟


 俺は叫んで、トリガーを叩いた。


任務完了ミッション・コンプリート――ッ!!!!」


 閃光が迸り、怒号と共に、鋭い衝撃が肩から後ろに突き抜けていく。

 瞬間、音速を超えて弾き出された銃弾は、真っ直ぐ記録媒体を撃ち砕き、同時に衝撃を感知したガム状火薬が炸裂。室内に仕掛けられていた高性能爆雷を誘爆して、その場は瞬く間に火の海となった。

「ベルっ!」「はい!!」

 間一髪、嵐のような熱気と爆風に背を向けて、俺たちは吹き抜けとなった窓枠から空中にダイブ。炎を巻き上げ、大爆発を起こす最上階を尻目に、運良くビルの壁面に張られていた『創立十周年記念』の垂れ幕に飛びついた。

 だが――。

「ぐッ、うぅっ……!」

 ヴォイスに撃たれた肩の傷が響いていた。俺は上手く自分の体を支えることが出来ず、垂れ幕の布を掴んだまま、ずるずる滑り落ちて行く。

「ミスターっ!?」

 ベルが気づいて、咄嗟に俺の腕を掴む。

 取り溢したルガーが、銀色の尾を引きながら、数十メートル下の地面へと吸い込まれるように落下して行った。

「んん~~っ……!」

 しかし、ベルの細い腕で、俺の体重まで支え続けることはどう考えても不可能だった。

 俺は深呼吸を一つ、覚悟を決めて彼女に告げる。

「ベル、手を離せ」

 彼女は懸命に俺を引っ張り上げようと腕に力を込めながら、首を横に振った。

「お前の力じゃ無理だ。俺のことは諦めろ」

「ダメ……! ゼッタイ、離さないからっ!」

「離すんだ。このままじゃ、お前まで――」

「嫌よッ!!」

 泣き出しそうな声で叫んだベルは、肩を震わせ、潤んだ瞳で俺を見た。

「ねぇ、知ってる? ミスター……」

 目にいっぱい涙を浮かべて、苦しそうに嗚咽をもらしながらも、彼女は微笑む。

「私ね……わたし――っ」

 ほろりと溢れた熱い涙がひとしずく、ベルの頬を流れて、俺の唇を濡らした。

「Mr.ノーボディ、あなたのことが好き。あいしてる!」

 俺は黙って彼女の真剣な眼差しを見つめ返し、その想いに応えていた。

「でも、ごめん……もぅ、限界みたい……っ――」

「……そうか」

「だけど、離すのはアナタの手じゃない。私が離すのは、こっちの方だから――……」

 垂れ幕の縁を握り締めていた彼女の手が、少しずつ緩んでいくのがわかる。

「――死ぬときは一緒よ」

「あぁ……」

 もう時間がないな。

 大きく息をして心を軽くする。

 俺は口元に笑みを湛え、彼女の名を呼んだ。

「来い、ベル」

「うん!」

 互いに身を寄せ、顔を近づけながらゆっくりと目を閉じる。

 細くくすぐったい吐息が、ふわっと鼻の頭にかかり、

 俺たちは記念に、最初で最後のキスを――……。


 ――そのとき。


 ふと、何かが頬を撫でるような気配がして、

 俺は無作法と思いつつも小さく薄目を開け、横を見た。

「……!」

 そして、そのままピタリと硬直する。

「ん……――ぇ、あれ……っ? ミスター?」

 一向に唇が触れあう気配もないため、ベルも目を開けて、俺と同様それに気づく。

〝!?〟

 それはさながら、天から地獄に垂らされた、一本の蜘蛛の糸。

 金具のついたワイヤーの先が、俺とベルのすぐ側で、ぷらぷら風に揺れている。

 ワイヤーの出所を辿って空を見上げれば、屋上の淵から俺たちを見下ろし、月と一緒にニカッと笑う小柄なシルエット。――あれは!!


「イヨッ、ご両人!! おアツイねぇ! ヒュウ~ヒュ~ぅ♪」


「その声っ――。ドクター!?」

 涙も忘れて、ベルが驚いた顔で言った。

 俺は屋上を見上げながら、不敵に笑って呟く。

「やっぱり来てくれたか……」

 駆けつけたDr.レミントンは大きくて手を振って、俺たちに合図を送る。

「お~い、アンさん、ベルっち~! 今助けるけんなぁ! 準備して待っときぃ!」

 ワイヤーの先端についた金具をベルトに引っかけてしっかりと固定し、ベルを肩に掴まらせ、そのまま待機する。ややあって、微細な駆動音と共にワイヤーが巻かれ始め、俺たちはゆるやかに空中を浮上する。そこから見える金恋市の夜景を一望しながら、俺はベルと二人、顔をつきあわせて小さく微笑みあった。

 記念の口づけに邪魔が入ったことは少し残念だったが、それでもまたいつか機会はあるだろう。命あっての物種と思えば悪くない。

 俺がそんなことを考えながら、すっかり気を抜いていたそのときだった。

「――――」

 さらっと亜麻色の髪が顔にかかり、甘いコロンの香りが鼻腔をくすぐる。

 瞬間、頬に〝チュッ〟と柔らかな唇の感触。

 振り返ると、顔をほんのり朱に染めたベルが、悪戯っ子のように笑って言った。

「今日はこのくらいで勘弁してあげます♪」

 刹那、茫然としていた俺の横っ面を、一際強い風が一陣吹き抜けていく。

 パキッと、枯れ枝をへし折るような音が立ち、俺は奇妙な開放感に包まれた。

 激しいアクションの中で、もとより傷み、表面にヒビでも入っていたのだろう。

 俺の目元を覆うアイマスク状の仮面が、真っ二つに割れて、瞬間、外れ落ちる。

 壊れた仮面は、そのまま風に流され、夜の闇の中に消えていった。

「…………」

 素顔を晒した俺の目の前で、ベルの瞳と唇があんぐりに開かれていくのを、やけに遅いと感じる時間の中で、俺は他人事のように見つめていた。

「なっ――!?」

 彼女が驚愕の声を上げ、途端に現実の感覚が戻る。

〝しまったッ……!〟

 慌てて顔を隠す俺に、激しく困惑しながらベルが言った。


「――影村っ!?」


 犯してしまった痛恨の失態に、俺は唇を噛む。

「ぇ……ていうか、何でアンタが。なにこれ? どういうこと?? えっ、エッ――??」

 これはもう誤魔化しきれないだろうと悟った俺は、潔く彼女の前に素顔を晒し、襟を正して、Ms.チェリーベルこと桜坂鈴音に、改めて挨拶をする。

「よぅ。こんなところで会うなんて奇遇だな、桜坂――」

 俺の笑顔にぽかんと沈黙した桜坂は、次の瞬間、大きく息を吸い込んで。



「えぇええええええええええええええぇ~~~~~~~~っ――!!??」



 雲を跳ねのけ、月まで届きそうな叫び声を上げた。

「ごぉうえ!? なっ……なんやァ!?」

 屋上でワイヤーを操作していたドクターはビックリして尻餅をつき、〝ワォーン〟と、彼女の叫びに呼応するが如く、眼下に見える街並みからは、犬の遠吠えが、次々と夜空に向かって響き渡った――。



                          To be continued...


このあと、まだエピローグがあります。

近日中に仕上げてUPしますので、それで終わりです。

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