柔らかい感覚
廊下の向こうからやってきたのは、数学の佐藤先生だった。
佐藤先生は、学年主任も務めている、とても厳格なベテラン教師だ。ふだんは、三つ揃いのスーツに、ポマードをたっぷり付けた髪をきちんと七三に分けている。
その佐藤先生が、髪をふり乱して、全力で走ってくる。
俺は咄嗟に、
「あの、なにがあったんですか?」
と声をかけた。
しかし、佐藤先生は、俺たちをちらりと見やると、そのまま走り去ってしまった。
え?
思わず、俺は美空と顔を見合わせた。
あの先生の様子は、ただ事ではない。
いったい、この廊下の奥で、何が起きているというのか。
俺たちは、うなずきあって、再び進みはじめた。
暗い廊下を少し進むと、なんだか嫌な臭いが漂ってきた。
なにか生臭い、獣がいるような臭いだ。
俺の手を握る美空の手に、力が入るのがわかった。
俺も、強く握り返す。
さらに何歩か進むと、足に何か当たった。
ぼすっという、柔らかい感覚だ。
俺は、嫌な予感とともに、携帯の明かりを足元に近づけた。
そこには、音楽教師の安達由美香が倒れていた。
安達先生は、二十代半ばの新人教師で、美人のため生徒に絶大な人気があった。
だが…
「きゃあああああ!」
美空が、思い切り叫び声をあげた。
携帯に照らされた安達先生の顔は、半分しかなかったのだ。
ちょうど頭の真ん中から鼻の真横まで、巨大なオノで一刀両断されたみたいに、ざっくりと斬られていた。
片目だけが、どこか虚空をにらんでいる。
不思議なことに、そんな姿になっても、安達先生は美しかった。
それが、彼女の死に顔を、一層凄惨なものに変えていた。
「ああああああ…」
美空が、今度は泣き声のような、うめき声のような声をだして、その場にすわりこんでしまった。