借りができちゃったな
護衛は、浴室から聞こえた水音に反応して、再び全速力で戻っていった。
影みたいに速い。
その間、完全に無言だ。
俺は、開け放たれたサーシャの私室の棚の中に、ほとんど腰を抜かしてうずくまっていた。
「いたたた…」
タオルを運んできた女中が、腰を押さえながら立ち上がった。
棚の戸が開いているため、俺の姿はほとんど丸見えなのだが、さいわいこの女中は護衛役ほどの注意力はないようで、まったく気づかれなかった。
女中が立ち上がって、タオルをかき集める隙に、急いで棚を出て、裏側から棚の上に登った。
そこに、稲田と美空さんが待っていてくれた。
「危ないとこだったな」
稲田がニヤリと笑いながら、手をさしだしてくれた。
肩には、魔法の矢がかけられている。
「稲田くんが、お風呂のお湯に矢を射ってくれたの」
美空さんも、笑顔だった。
あの水音の正体は、稲田の矢だったのか。
「全部、ウインガーレイ侯の作戦だったんだ。新久保一人じゃ、護衛に見つかるから、そのときは矢で護衛の気をそらせって」
「そうだったのか…」
ウインガーレイ侯が言っていた、稲田の大切な役割というのは、このことだったのだ。
「どうやら、借りができちゃったな」
俺は稲田に礼を言った。
「べつにいいさ。それより、はやく浴室に戻ろう。いよいよ作戦の本番だ。侯は、サーシャの着替えにもぐり込んでいる。彼女が風呂から上がるときが、勝負だ!」