囮(おとり)の任務
ウインガーレイ侯から囮を命じられた俺は、ただ一人、隣室に身を隠し、護衛役の女中の様子を探った。
が、さすがプロ。
ぜんぜん隙がない…。
動きがとれず、ぐずぐずしているうちに、また別の女中が、部屋に近づいてくる足音が聞こえてきた。
とりあえず身を隠そうと考え、俺はタンスの戸を開けた。
タンスの中には、香油の小瓶が何本も置かれていた。
これは…もしかしたら…ウインガーレイ侯の言うチャンスかも…。
俺は咄嗟に、香油の中身を部屋の床にそっとこぼした。
そして、タンスの中に入り、そっと戸を閉めた。
ほとんど同時に、女中が大量のタオルをかかえて、サーシャの私室に入ってきた。
俺は、戸の隙間から、そっと様子をうかがった。
女中は、タオルをたくさんかかえているせいで、足元がよく見えない。
「きゃあ!」
床の香油で、俺の狙いどおり、思いっきりすべって転んでしまった。
女中が小さく叫んだ瞬間、護衛役の女中は、信じられないほどの素早さで動きだしていた。
女中の腰が床につくかつかないうちに、もう浴室から隣室に入ってきて、鋭い視線をめぐらせていた。
護衛は、倒れている女中を完全に無視して、すばやく床にこぼれた香油を確認すると、即座に香油の瓶が置かれた棚の戸を開けた。
バーンッ!
戸は、大音響で開いた。
俺は、棚のいちばん奥にしゃがみ込んで隠れていた。
もし、護衛が棚の中身をすべて引っ張り出したら、確実に見つかるだろう…。
俺は、息を止めて、気配を消した。
護衛の手が、棚の奥に伸びてくる。
やばい。
香油の小瓶を調べる気なのか?
……そのとき、浴室のほうから、
バシャ、
という小さな水音が聞こえた。
その瞬間、護衛はまた、すさまじいスピードで浴室に駆け戻っていった。
俺は、ほとんど姿をさらしかけた状態で、棚の奥にすわり込んだまま、しばらく立ち上がることさえできなかった。