第2話 ライスフィールド
今回は短めにまとめられました。
戦闘成分は低めです。
ご一読いただければ幸いです。
心地よい日差しと荷馬車の絶妙な振動が、香澄を無意識のうちに微睡みの縁にいざなう。
たまにごとりと大きく揺れるタイミングで、うたた寝をしていた香澄は、はっと目を覚まし、辺りを見回す。
私は寝ていません、警戒していますよ、のポーズだ。
こちらに背を向けている御者台の老人には気づかれていない、そう安堵したのもつかの間のこと。
「ゆっくり寝てたらいいぞ。着いたら起こしてやるからよ」
微笑ましそうに声をかけてくる老人の声に、香澄は赤面しながら目を伏せた。
どうして香澄が老人と二人、山間の道を荷馬車に揺られているかと、それは今朝方黒狼騎士団ウルサズ分遣隊に持ち込まれた依頼のためだ。
老人は、ウルサズの町で技師をしているダラクと名乗った。香澄以外の隊員とは知り合いらしく、気軽に挨拶しながら隊宿舎に入って来た。彼の依頼内容は二つ。町外れにあるスズモリ農園までの護衛と、香澄を農園まで同道して行くこと。
「おっ、ご指名とはやるじゃねぇか。いつの間に営業してたんだ?」
面白そうにジェガンに冷やかされるが、もちろん香澄本人には、なんの意図あってかはさっぱり分からなかった。そのようなわけで、香澄は今、この歩いた方が早いのではないかと思われる荷馬車に小一時間ほど揺られているのである。
「おっ見えてきたぞ」
ダラク老人が前方を指さした。
森の向こうには、きらきら光る水面が広がっていた。その間を、細い緑の筋が格子状に広がる。
「わぁ、田んぼですね!」
香澄は思わず身を乗り出しす。
田んぼなんて、実家のある東京はもちろんのこと、日本にいたころも生で見たことなんてない。
水が張られた表面に、周囲の里山の風景が映りこむ。チチチとなく小鳥が、水際に足をつけて、すぐに飛び去っていく。たまに吹き抜ける爽やかな風が、水面にさざ波を走らせる。カエルの声が断続的に、響いていた。
「おお、アルフェネアで田園風景が見れるなんて、なんか新鮮ですね」
香澄は忙しくなく辺りを見渡す。
ダラク老人がはははっとその姿を面白そうに笑っていた。
「アルフェネアは、ただ観光客を受け入れているだけじゃないんだぞ。外の世界では、今やほとんど行われなくなった農耕手法や文化の保存なんかも行っているんだよ。世界各地から人を呼んで、こうして土地を与えてな」
「ほえぇぇ」
荷馬車が、田んぼの真ん中を走るあぜ道に入る。両側が土手で、すぐそこに田んぼが広がっていた。近くで見ると、まだ何も植えられていない。田植えはこれからだろうか。
ふとそこで香澄は、視界の中に異物を見つけた。
前方、右側の土手に、真っ赤なとんがり帽子が見え隠れする。緑と水が広がる風景の中で、その原色のけばけばしい色は妙に目立っていた。せこせこと前後に動くとんがり帽子。一つ、二つ、三つ、だんだんとその数が増える。
香澄は表情を引き締めると、低速の馬車から身を躍らせた。
「嬢ちゃん、無理すんなよ」
やはり事態に気が付いたダラクは、馬車を停車させる。
香澄は愛刀を抑えながら、12まで増えたとんがり帽子群に向かっていった。
香澄の接近に気が付いたのか、土手からひょっこりと醜悪な鬼面が現れる。連鎖するように、ひょこひょこと顔を表したのは、ゴブリン達の群れだ。
ぎぎぎぎぎぎぎぎぎ!
初めに顔を現したゴブリンが奇声を上げる。その手には、錆びてぼろぼろになったお粗末な剣と盾が握られている。
香澄は戦闘コードを唱え、愛刀昴を抜刀する。戦闘に臨む表情は厳しく、先ほどまで田んぼ田んぼとはしゃいでいた少女の面影はない。
香澄が厳しい表情をするのは、事前にジェガン隊長から最近悪さをするゴブリンが増え、街道筋を行くビジターはもちろんアクター達も困らせていると聞かせれていたからだ。ゴブリン達は、直接身体に傷を負わせるようなことはしないが、馬車や積荷に悪さをしているらしい。ダラク老人の様な非戦闘員が集団のゴブリンに襲われれば、抗うすべがない。
自分が同道を求められたのも、その被害を懸念してだろうと香澄は理解していた。
ならば、ダラクと荷馬車には、指一本触れさせてはいけない。
彼を守るのが騎士たる自分の務めだ。
武器を打ち鳴らせて挑発してくる最初のゴブリンを、香澄は無造作に切り捨てる。
鋭い踏み込みと首筋を狙った一撃で、一刀のもとにゴブリンを戦闘不能に追いやる。
仲間がやられてぽかんとしている後続の中を、黒い軌跡を描いて刀が舞う。
派手なステップはない。
最小の動きで相手の懐に踏み込み、半歩の移動で敵の攻撃を躱す。
回転と武器を振りぬく遠心力で流れるような刃が、ゴブリンを次々と屠っていく。
ゴブリン達の群れを通り抜けた時、後に残ったのは、地に伏して動かなくなったゴブリンだけだ。
未だ土手下に残っていた3体ほどのゴブリンは、その圧倒的な戦闘能力の差を見せつけられ背を見せて逃げ出した。
あぜ道からジャンプした香澄が回り込むようにその前方に着地すると、振り向きざまに先頭の一匹を切り倒した。
道を塞がれた残りのゴブリンは粗末な剣を振り上げるが、その錆びた刃を振り下ろす前に胴を横薙ぎにされ、倒れた。
実際に血肉を切り裂いたわけではないが、香澄は昴を軽く振ると、鞘に納めた。
土手上から、拍手の音が降ってくる。
「おーすごいな、嬢ちゃん。強えー強えー。スカッとしたわ」
「いえいえ、お恥ずかしい限りで…、お粗末さまです」
香澄は少し赤くなって頭を下げる。
剣腕を褒められるのは嬉しいが、褒められるのは正直なれない。背中がむずむずしてしまう。
「嬢ちゃんに来てもらってよかったわ。スズモリの奴も喜ぶぞ」
「スズモリさん、ですか?」
名前からして日本人の様だ。
「おう、この田んぼの持ち主で、ほらよ」ダラクは道の先を指さした。「あそこに住んどる偏屈爺さんだよ」
ダラクが指さした先には、水が張られた田んぼの真ん中に、そこだけこんもりと茂る島の様な場所があった。その木々の間に、瓦葺の和風建築が見えた。
荷馬車はごとごととスズモリ農園に入っていく。
そこは、まさに一昔前の日本の風景が広がっていた。
門の様にそびえる杉の大木をくぐると、左側に様々な機械が見える小屋、右手の奥には馬の姿が見える。厩舎だろうか。真ん中に小さな池がある広場の向こう側には、瓦葺や障子が見える純和風建築の母屋が見えた。社会科の教科書なんかで見たことがある、日本の農村家屋だ。
鎧姿の自分のがひどく場違いな気がした香澄は、思わず肩を竦めた。
「おーい、スズモリさん、ダラクだ。どこだー」
ダラク老人が大声で呼び掛けながら、物置小屋に馬車を寄せる。
すると、母屋の脇にちらりと見えるビニールハウスから、背の低い老人が現れた。
ベージュの作業着に首筋に緑のタオルを巻き、紺の帽子を被っていた。腰はしゃきっと伸びているが、無精髭と頭髪には白いものが目立つ。
「遅いわ、ダラク」
訛りのある言葉を放ちながら、スズモリ老人がやって来た。
「今朝から苗月さんの調子が悪い。エンジンがかからん。見てくれ。仕事にならんわ」
「またか。もう寿命だて。新しいの買うたらどうだ?」
「はんっ、そんな余計な金があるかい!」
気の置けない知り合いの会話に置いてけぼりの香澄は、そっと小屋の方を伺った。開け放たれた扉の中に、白い板に青の細長い車体、径の大きな二輪を装備した機械が置かれていた。胴体に楷書体で「苗月」の文字。
「スズモリさん、それでこっちの嬢ちゃんが、話のあったカスミちゃんだ」
不意にダラクから紹介され、慌てて視線を戻す。
「ふん、騎士だっちゅうからあれかと思ったら、随分細いな。そんなんで務まるんかいな」
スズモリ老人は不愉快そうに鼻を鳴らした。
「大丈夫だよ。なかなかどうして、この嬢ちゃん、強い。ここに来る時もゴブリンどもに襲われたが、あっちゅう間にやっつけたしな」
「ふんっ」
スズモリ老人の視線が腰の刀を捉える。それから、香澄を睨みつけた。
微妙な間に、はっと気がつく。まだこちらから自己紹介していなかった。
香澄は改めて頭を下げた。
「黒狼騎士団ウルサズ分遣隊より参りました保科香澄と申します。微力ながら、ゴブリン討伐の任、果たさせていただきます」
スズモリ老人が怪訝そうに胡麻塩の顎をさする。
「うちらは、そんなこと一言も頼んどらん」
「え?」
疑問符を浮かべて首を傾げる香澄に、スズモリ老人は顎で母屋をさした。
「婆さんが母屋におる。さっさと行って着替えてこい。そんななりじゃ仕事にならん」
「えっと、お仕事の内容というのは…」
「そんなもん田植えに決まっとるやろ。日本人やったらそんぐらい出来ると思てうちらが呼んだんや」
しばらくの沈黙。
「え…えええ!?」
香澄の驚愕をよそに、ダラク老人はほっほっほっと笑いながら、苗月さんの修理に取りかかり始めていた。
母屋に入ると、小柄なおばあちゃんが笑顔出迎えてくれた。
「鈴森晶子と申します。今日はどうぞよろしく」
もともと曲がった背をさらに折って挨拶してくれる。香澄も即座に頭を下げた。
「保科香澄と申します。こちらこそよろしくお願いします。」
「あらあら、ご丁寧にどうも」
晶子おばあちゃんはそういうと、上品に微笑んだ。
その晶子おばあちゃんが差し出してくれた着替えは、ジャージ一式に長靴、タオル、帽子。何故このような事になっているのだろうかとも思いつつ、鎧を脱ぎ、着替え終わった頃には、完璧なる農村の若者が完成していた。
「…あの、あたし何をしたらよいのでしょうか」
香澄が恐る恐るたずなえると、おばあちゃんは優しげな笑みを浮かべた。
「ふふふ、ごめんなさいね。でもちょっとあの人の言う通りに付き合ってくれないかしら」
「はあぁ」
そのおばあちゃんの笑顔に誘われるまま、母屋の裏の田んぼに向かう。せめてもの自己主張とアイデンティティの確保のため、愛刀だけは剣帯ごと肩に引っ掛けて持っていく。
両側に田んぼの広がる畔を進んでいくと、小川に行き当たった。きめの細かい砂の川底がよく見えるほど透明度が高い。田んぼの水は、この小川から引き込んでいるようだった。
スズモリ老人は、田んぼ淵に長方形の苗箱を並べていた。一抱えほどの苗箱に、青々とした苗がふさふさに生えていた。
「機械が治ったら始めるさかいな」
スズモリ老人は、香澄を一瞥すると、短く言う。
「これ、全部手で植えていくんですか?」
香澄はあたり一面に広がる田んぼを見渡す。
何故自分がこんなことに…という思いよりも、好奇心の方が勝ってしまったようだ。
奥の方の何枚かの田んぼは、既に田植えが終わっているようだ。広い田んぼに綺麗に整列した苗が揺れている。一つ一つが驚くほど小さく細い。ちょっと強い風が吹けば、波紋にさらわれて流れて行ってしまいそうだった。
「あほか。こんなん手でやっとったら、何年かかると思とる」老人は口を歪める。「あれでやるんや」
スズモリ老人は、顎で家の方を指した。
ぼぼぼぼという軽いエンジンを上げて、ダラクが小屋にあった菜月さんを押してくる。
待ってるとなかなか接近してこない。
ずいぶんのんびりな機械だなぁ。
その間香澄は、田んぼの淵を泳ぐカエルに目を奪われていた。
やっぱり上手に泳ぐんだな。
鳴かないかな。
あ、跳ねた。
雲が流れる。
風が吹く。
苗箱の苗が、さやさやと揺れる。
「こんな小さな葉っぱが、お米になるんですね」
風が弄ぶ前髪を抑えながら、香澄が呟く。
「そうやね。今は頼んないかもしれへんけど、秋になったら重い穂を垂れた稲でいっぱいになるんよ」
おばあちゃんが、優しく教えてくれた。
「すごい…。春から夏に、秋になって、たったそれだけの時間で、成長していくんですね。今はまだこんなに小さいのに…。それにこうして見ると、稲もそのあたりの草と変わらない気がするし…」
「うちら日本人は、そうやって米を作って生きてきたんや。土の力とか、自然の力をもらって、稲を育てて、な。ありがたいことや」
スズモリ老人が前を見たまま答えてくれる。
「優しいんですね、スズモリさん」
香澄はうーんと背伸びをする。目一杯吸い込んだ空気には、水の匂いと土の匂いが混じっていた。
「あほな事いうな!」
老人は照れくそうに、ぷいっと顔を背ける。
「何かに感謝しながら生きていける人は、きっと優しい人です。あたしはそう思います」
ちょっとした反撃とばかりに、香澄が言葉を重ねる。
「そんな風に思える香澄ちゃんも、優しいよ」
しかしおばあちゃんにそう返され、今度は香澄が赤面してしまう。
無事田植え機「苗月」さんを修理したダラクは、自慢げに香澄にVサインを送って見せた。
スズモリ老人は、それを無視してさっさと田植えの準備を始める。
苗月さんのシステムは簡単だ。苗は根でつながっているので、くるくると巻き取ると簡単に苗箱からとれてしまう。それを、苗月さんの本体の白い板に乗せる。その苗の塊を下からアームが数株とり、田んぼに植えていくのである。
積めるだけ苗を搭載した苗月さんが、スズモリ老人に押されて出陣していった。
「苗月さんで、ほとんどは植えられるんやけど、機械が入れへん隅なんかは、手でやるんよ」
おばあちゃんが、苗を適当な塊にして渡してくれる。
「やってみよか」
おばあちゃんに誘われるように、恐る恐る田んぼの中に歩を進める。
長靴を通して水のひやりとした感触。そして、にゅるっと泥を踏みしめる感覚。
ずぶずぶと足が泥の中に沈み込んでいく。
「おおー」
思わず感嘆の声が漏れる。
「こうするんよ」
おばあちゃんがお手本を見せてくれる。
苗を数株取り、田んぼの泥の中に差し込んでいく。
「あれ…」
しかし、香澄が差し込んだ苗が、しばらくするとぷかりと浮かび上がってくる。
「ふふふ、もっとちゃんと差したらんなんな。ちゃんと根はって、大きくなれるように」
田んぼの中央部は、スズモリ老人と苗月さんが何度も往復することにより、どんどん苗が植えられていく。その脇で、香澄はちょこちょこ手植えを行っていく。
最初はなかなか泥に差し込む事が出来なかったが、だんだんとコツをつかんで来たようだ。
しかし、その分屈み続けていた腰が痛む。
ずっと中腰の姿勢だ、かなり腰に来る。
それに、泥の上は極めて歩きにくい。一歩一歩力を込めて足を引き抜かなくてはならないし、気を抜くと長靴を持って行かれそうになる。
「うーん」
強張り始めた腰をほぐすように、伸びをした。
おばあちゃんは香澄の何倍ものスピードで手直しをし、スズモリ老人は縦横無尽に田んぼの中を動き回っていた。
この二人にかかれば、こんな広い田んぼもあっという間に田植えが終わってしいそうだ。
知識では知っていても、実際体験してみると大変な作業だ。
でもその積み重ねが、お米を作り、自分たちの生活を支えてくれている。
なんだろう、この不思議な気持ち。
包まれている温かさ。
農夫も稲も実りを作り出す大地も。
いろんなものが力を出し合っているのだ。
ああ、だからか。
だから、自然と感謝ができるのだ。
「おい、お嬢ちゃん、休んでばっかだぞ」
スズモリ老人の激が飛ぶ。
「はーい、すみません!」
香澄は再び腰をかがめた。
集中している時間というものは、驚くほど早く過ぎ去っていく。いつの間にかお昼が過ぎた頃、スズモリ老人からお昼休みの声がかかった。
ずっと鳴り続けていた苗月さんのエンジン音が止まると、急に辺りの音が帰って来た気がする。小鳥のさえずり、木々のざわめき、小川のせせらぎ。世界はこんなにも音に溢れていたのだと、改めて実感できる。
手に残っていた苗を田んぼの水に浸すように置いて、それぞれ小川のそばに集合する。
「どうや、疲れたやろ?」
おばあちゃんがビニールシートを広げながら気遣ってくれた。
「腰が…痛いです」
「ふん、こんなんでへばってたら、どうすんねん」
スズモリ老人はシートの上にドサッと座る。
「さあ、香澄ちゃんもお座り。お昼ご飯にしよ」
おばあちゃんが籐製のバスケットを取り出すと、次々に並べていった。
一つにはお握りがぎっしり。海苔に胡麻にバラエティー豊かだ。一つには卵焼きに唐揚げ、たこさんウィンナー。お弁当の定番のおかずたちが詰まっていた。
おずおずと即席の食卓に着いた香澄に、冷えたお茶を手渡して、おばちゃんはにこりと笑う。
「今日は香澄ちゃんが来るって聞いたから、多めに作ったんよ。どんどん食べてな」
「はい、いただきます」
香澄はまず何もついていないプレーンおにぎりを一口かじる。
「!」
驚愕に目を見開く。
お米ってこんなに甘かったの?。
絶妙な塩加減が、米の味を引き立てて、口いっぱいにほんのり甘い風味が広がる。
お弁当なので温かいわけではないが、ほどよく水分が飛んで適度な歯ごたえになったおにぎりは、思わず二口三口とかじりついてしまう。
あっという間におにぎり一つを平らげた香澄は、次の海苔巻きおにぎりを手に取った。
絶妙なご飯の味に、海苔の風味が加味される。お米の水分で海苔が米と一体になり、海苔味がしみ込んだ部分がまた美味しい。
夢中でおにぎりを食べる香澄に、後からやってきたダラクが少し驚いたような顔をする。
「凄いです!美味しいです!こんなおいしいおにぎりは初めて食べました!」
香澄が顔を上げると、その食べっぷりを見つめていたスズモリ老人が、照れたように顔をそらした。
「体を動かした後の飯は何でもうまいんや。さっさと食え。まだ午後の仕事も残っとる」
そう言うと、自分もおにぎりをかじる。
おばあちゃんが楽しそうに笑いながら、お茶のお代わりを注いでくれた。
わいわい言いながらあっという間に昼食を終えると、スズモリ老人とダラクはそれぞれ仕事に戻っていく。ダラクは苗月さん以外の機械の調子も見ているようだ。
香澄は少し食べすぎたかなと反省しつつも、おばあちゃんと一緒に昼食の片づけをした。
「ホントはな」おばあちゃんが、香澄に背を向けながら唐突に口を開いた。「あの人は、香澄ちゃんに田植えさせよと思てここへ呼んだんとちゃうんよ」
「え…?」
香澄は手を止めておばあちゃんを見る。
「あの人は、日本人の香澄ちゃんがウルサズに来たって聞いてな、うちの田の米を食べさせてやりたいって。きっとしばらく米のご飯なんて食べてないだろうからって。日本人やったら、米を食べなきゃならんって言ってな」
おばあちゃんはふふふと笑う。
「うちらも30年前、第二期入植で採用されてここに来たんやけど、周りは外人さんばっかりで苦労したから。同じ日本人が来てくれて嬉しかったんやろな。でも、いきなり呼びつけてご飯を振る舞うっていうのも何か違うやろとも言ってな。だから田植えを手伝わしてから腹いっぱい食わしたろうってな。頑固な人やから、みんなは口に出しては言わんけどな」
愛おしそうにおばあちゃんは語る。
「…ありがとうございます」
香澄は深々と頭を下げる。
偉大な先輩たちの配慮が心に沁みる。確かに米の食事をしたのは久しぶりだ。本当に、身に染みわたるほど美味しかった。
見ず知らずの土地で現代生活とはかけ離れた生活をしていても、どこかで誰かと繋がっている。そして、繋がっていく。そんな実感が、ことりと胸の奥にはまり込んだ気がした。
「あたし、頑張ります!」
「ん?」
香澄は立ち上がり、傍に置いてあった愛刀を手に取り、ギュッと抱きしめる。
「おばあちゃんやおじいちゃんみたいにお米を作ったりはできないけど、騎士として、自分の仕事、頑張っていきます!」
「ん、そやな。それでまたカスミちゃんに後輩なんかできたら、面倒見たってや」
「はい!」
「それじゃ、午後の仕事もがんばろうか。もたもたしてたら、またあの人に怒られるし」
「はい!」
香澄は力強くうなずくと、刀を置いて田んぼに向かった。
茜色の夕焼けが過ぎ去って、夜闇が帳が徐々に世界を覆い始めた頃、香澄は再び鎧姿になり、町に戻るダラクの馬車に揺られていた。先ほどまで手を降ってくれていたスズモリ夫妻の姿は、もう見えなくなっていた。
見上げると、気の早い星々が輝き出していた。
ダラクが荷馬車に吊ったランタンに灯りを灯す。ぽわっとオレンジの光が灯る。
「言葉に甘えて、泊まって来ても良かったんじゃないか」
ダラクが前を見たまま聞いてくる。
お世話になった、ダラクと町に戻ると告げた時、スズモリ老人はそっぽを向きながら、泊まって行けと行ってくれたのだ。
しかし香澄は静かに辞退の旨を告げた。
「ありがとう、おじいちゃん」
「お、おじいちゃん?」
「でも帰ります。おじいちゃんともっと色々お話したいし、おばちゃんの晩ご飯も凄い楽しみだけど…」香澄は天を仰ぎ見る。「今は、ウルサズの町の騎士としての勤めに戻りたいんです。あたしの仕事に力を尽くしたいんです。おばちゃんとおばちゃんの頑張ってる姿を見たら、そう思っちゃいました」
「……そうか」
老人は短く息を吐いた。
ダラクの荷馬車に向かいながら、しかし途中で香澄は振り返る。
「でも、また…来てもいいですか?おじいちゃんのお米を食べに来てもいいですか?」
スズモリ老人は香澄を見つめてにっと笑った。
「来い、来い!いつでも来い!腹一杯食わしてやるわ。ただし、仕事はしてもらうけどな」
「はいっ!よろしいお願いします!」
その時初めて、香澄はスズモリ老人の笑顔を見た気がした。
その笑顔を思い出して、香澄も微笑む。間も無くスズモリ農場が木々の向こうに見えなくなってしまった。
荷馬車は暗い森の中を行く。
ざわざわと道の両側の茂みが揺れた。
「お嬢ちゃん…」
「はい、分かってます」
香澄は刀に手をかけて馬車から飛び降りる。
茂みから顔を出したのは、コボルドだ。直立した犬の形をした亜人種だ。
香澄は刀を抜き放つ。
「さあ、ここからはあたしのお仕事です」
気持ちのいい季節になってきました。
その雰囲気を少しでも物語で表現できたらと思います。
次回は、もう少し戦闘的なお話にしたいです。