第1話 白い花(4)
今回は早めに仕上げることができました。
長々と引っ張った白い花編もこれで終わりです。
うまくまとめられたかはわかりませんが、ご一読いただければ幸いです。
アルジェルと馬達を岩山の陰に隠し、3騎士はそれぞれの配置についた。香澄は左側、ジェガンは右側からグランドドラゴンに接近する。ジュリアは正面の木陰に隠れ狙撃のタイミングを図っていた。
遮蔽物のあるギリギリまで接近する。グランドドラゴンは何かを感知しているのか、巨大な頭部を持ち上げて辺りを見回しているが、まだ発見されたわけではないようだ。
右を見ると、香澄と同じ位の位置で岩陰に隠れているジェガンが見えた。
ジェガンも香澄の方を見ると、先に出るとハンドサインを送ってくる。香澄は二番手だ。後方のジュリアにもサインが送られる。
無限かと思える静寂の後、外套を翻してジェガンが身を踊らせる。
「うおおおおぉぉぉ!」
ジェガンの気合いの雄叫びが響く。同時に彼の剣と鎧が戦闘モードの輝きを放つ。
敵を認識したグランドドラゴンがゆっくりとした動作で立ち上がった。その巨体のせいで目の前で大地が隆起したような錯覚を覚える。
巨大な咢が開き、ジェガンに向けられる。次の瞬間、猛烈な音圧が襲い掛かった。
岩陰に隠れていた香澄にさえ、音の壁で押されたかのような圧力がかかる。
突然の大音声に、耳が一瞬機能を失う。
その爆音が何なのか、咄嗟に理解が出来なかった。
続いて遠雷のような重低音が大地に響く。そこで初めて、それがグランドドラゴンの咆哮だったと分かった。
命を失うことはないとわかっていても、本能的に生命の危機を感じてしまうような恐怖が、ふつふつと心の底に沈殿していく。香澄をそれを、刀の柄を握りしめることでどうにか抑え込んだ。
その圧倒的な咆哮の直撃を受けただろうジェガンは、さすがに突撃の勢いを殺され、片膝をついて頭を振っていた。
その隙をカバーするため、意を決して香澄も飛び出す。
コードを唱え、戦闘モードへ。
まだ抜刀はしない。
鍔元を抑え、姿勢を低くし、全力疾走でグランドドラゴンに向かう。
「隊長ぉぉぉぉ!」
ジェガンに自分の突撃を伝える。
狙いは左前足。
グランドドラゴンの動きは緩慢だ。
間合いに入った瞬間、踏切り、突撃のスピードを殺さずに高速の居合抜きを放つ。
空気を切る音と岩を切るような手ごたえ。
しかし香澄は止まらない。
刀を振りぬいた姿勢まま、その遠心力に身を任せ、くるりと一回転すると、今度は逆袈裟にやはり左足に斬撃を浴びせる。
網膜ディスプレイ上のグランドドラゴンの耐久値が、僅かに減少する。
必殺の、渾身の力を込めた連撃で、耐久値バーが減ったかどうか辛うじてわかる程度のダメージ…。
香澄は顔をしかめながら後ろ飛び、その場を離脱する。
間一髪のタイミングで、その場所にグランドドラゴンの頭の一薙ぎが通過する。自動車ほどの質量が眼前を通過していく。
「くそぉぉぉぉぉ!」
今度は入れ替わるように、衝撃から復活したジェガンが襲い掛かる。大剣の幅広の刀身を、力任せの横薙ぎで振るう。
その刃がドラゴンの左前脚に直撃した瞬間、「ライトニング・チャージ!」とジェガンが咆哮する。
所有者のキーワードに答え、大剣とグランドドラゴンの前足に雷撃のエフェクトが走った。
ドラゴンが苦痛か、怒りなのか、低い呻き声を漏らした。
その隙に、ジェガンと香澄は同時にジュリアの待機している方向に走り出す。
ドラゴンの首がその二人を追跡し、角を前方に向けると、突撃体制に入った。
地響きが辺りを襲う。
小山ほどもあるグランドドラゴンが、凶悪な角を振りかざし猛然と突撃を始めた。
あんなものに跳ね飛ばされれば、人間程度などひとたまりもない。
香澄とジェガンは、ドラゴンがスピードに乗るまで平行に走り、十分に引き付けたと判断すると、互いの進路を交差させ、それぞれ左右に離脱した。すれ違う瞬間、アイコンタクトを交わす。
灌木をなぎ倒し、轟然とグランドドラゴンが進む。
「ジュリア!」
隊長の叫び。
香澄は咄嗟に目を伏せる。
風切り音とともに、閃光矢が放たれる。
直視しなくてもわかるほどの光量が一瞬、周囲を満たした。
視界を失ったグランドドラゴンは、つんのめるように転倒し、岩に激突した。
その機を見逃さず、香澄とジェガンが再度突撃する。
ばたばたと振り回される左前足に狙いをつけ、ひたすらに斬撃を放つ。
ジェガンのライトニング・チャージが数度浴びせられたところで、混乱から復活したグランドドラゴンは再びのそりと巨体を起き上がらせた。
その目は、小細工を弄する小さき人間二匹に向けられる。怒り心頭のように、唸り声を上げる口腔から炎がちろちろとあふれ出していた。
「いかん!カスミ、散会しろ!ファイヤブレスが来る!」
そういうとジェガンは全力でドラゴンの後方に回り込むべく駆けだした。香澄もそれに習い、逆サイドに駆ける。
その後を追うように、炎の塊が放射された。
されが魔法などと同じように只の炎エフェクトだとわかっていても、本物の炎と見分けはつかない。生物的な恐怖が迫る。
どうにかブレスの範囲から離脱できたと思った瞬間、眼前から禍々しい棘を生やした尾が迫る。
回避する方向は…!
咄嗟の判断で、グランドドラゴンの体側に転がり尾を躱す。頭上を巨大な塊が通過していく。しかし安堵したのもつかの間、目の前にあった巨大な後ろ脚が跳ね上げられる。咄嗟に両腕でガードするが、壁に突撃したかのような重い衝撃の後、香澄は遥か後方に跳ね飛ばされた。
自分の耐久値が大きく減少する。緩和し切れなかった衝撃で、腕がずきずき痛み出した。
刀を杖に立ち上がるが、前方ではジェガンが前足と顎の三連撃を何とか捌いている状態だった。
遠方から、ジュリアの雷撃矢が突き刺さる。頭部を狙ったそれは、違わずドラゴンの頭に突き刺さるが、ひるませることはできない。
「ふぅぅぅぅっ…」
香澄は深く息をつくと、刀を一度鞘に納める。そして、ジェガンを援護すべく再度駆けだした。
戦況は不利だ。
前足の爪と頭部の攻撃を捌きながら、ジェガンはそう分析する。
香澄の動きもいいし、ジュリアの援護も的確だ。しかし、如何せん敵が固すぎる。それに一撃の重さが半端ではない。すでにジェガンの耐久値も五割だ。直撃を受ければ、後二度ほどで沈んでしまうだろう。
「くそっ」
そうなる前に撤退しなくてはならない。デスペナルティも怖いが、最低アルジェルの身は守らなければならない。後は、頼んでおいた助っ人が間に合えば…。
視界の隅で、香澄が駆け寄ってくる。どこで感知しているのか、ドラゴンは香澄の方に尾を振るう。と、香澄は信じられないことに、跳躍し、ふり払われる尾に合わせると、その棘に掴まってしまった。
「ふん、やるじゃねえか」
ジェガンはその身のこなしに、自身の闘争心を煽られる。
若いもんに負けてはいられない。
両腕の攻撃をかいくぐり、顎の下に抜けると、突き上げるように大剣を振り上げ、今日何度目かのライトニング・チャージを放つ。感電したかの様にドラゴンは唸りを上げて顔を振る。グランドドラゴンの耐久値は、まだ七割以上健在だ。
一度間合いをとるジェガン。その視線の先で、怯むドラゴンの背の上を、香澄が疾走していた。
ごつごつした、ましては激しく揺れるドラゴンの背を、黒い疾風となっうて駆け抜ける。そして、未だに雷撃ダメージを受けている頭部に取りつくと、その顔面をめった斬りにし始めた。さすがにドラゴンも黙って斬られてはいない。激しく頭を振り、頭部の異物を排除しにかかる。
しばらく角に取りついて耐えていた香澄だが、とうとう大きく吹き飛ばされた。
おもちゃの様に飛ばされた香澄だが、空中でくるりと姿勢を変えると、木の幹を蹴って勢いを殺し、たんっと着地した。
「おいおい、あいつは猫かなんかか…?」
ジェガンは思わず呟く。
「隊長どうします?埒があきませんよ、あれ」
その間に駆け寄って来たジュリアが訊いてくる。
「隊長、向こうに」香澄がこちらに走り寄りながら、左前方を指さす。「あちらに崖が見えました。さっき吹き飛ばされたとき、見えました」
崖か。ならば…。
今回の戦闘では、グランドドラゴンを倒すのが目的ではない。行動不能にしてしまえばいいだけだ。
ジェガンは二人に指示を飛ばす。
部下二人は、無言でうなずくと、持ち場に走って行った。
「こういう時、日ごろの行いがいいと、部下に信頼されるわけだ」
ジェガンは一人呟くと、不敵な笑みとともに大剣を構えなおした。
再びジェガンとタイミングを合わせて突撃を掛ける。ふり払われる前足をかいくぐり、今度は仰角をつけた居合抜きを下あごにお見舞いする。勢いで空中に浮かんだ体を、真横から掴みにかかるドラゴンの前足。それを香澄は刀で捌き、その勢いを利用して後方に着地した。入れ替わる様に、真正面からの刺突を放つジェガン。そして、鼻づらへの電撃の一撃。その背を狙う前足を、再び飛び込んだ香澄が、高速の連続斬でけん制する。
ちらりと視線を送る。
木立の向こうで、ジュリアが配置についてのが見えた。
ジェガンのほうを向く。
巨大な爪の一撃を大剣で受けたジェガンは、後退しながら、香澄に頷きかけた。
香澄は渾身の一撃で、グランドドラゴンの前足を払うと、その回転を利用してきんっと納刀し、そして、ドラゴンに背を見せて全力で走り出した。ジェガンも同様に、同じ方向に走り出す。
案の定、つられたドラゴンが、突撃の体制に入る。
そして、猛然と巨体を走らせ始めた。
香澄とジェガンは振り向かない。
全力で走る。
地響きが迫る。
前方に、不意に大地が切れている場所が見える。
背後から迫る凄まじいプレッシャー。
崖だ。
ジェガンと香澄は視線を交わす。
そして、同時に左右に飛ぶと、木に手をかけて強引に方向を変えた。
その瞬間、離れた樹上に陣取っていたジュリアが、閃光矢を放つ。
爆発的な光量が溢れ出した。
前回と同様に、視界を奪われ足をもつれさせたグランドドラゴンは、盛大に転倒すると、その勢いのまま地面を抉り、そして、崖を超えて行く。
巨体が中空に消える。
一瞬。
世界が静止したかのような沈黙。
その静寂の後、地震のような地響きと振動が響き渡った。
肩で息をしていたジェガンと香澄は、恐る恐るがけ下を覗き込んだ。
数十メートルほどあるだろうか。荒涼とした岩が転がるだけのがけ下に、グランドドラゴンが横たわっていた。
しばらく観察するが、ピクリとも動かない。
「…倒した、んでしょうか」
香澄が呟く。
「いや…」ジェガンが目を凝らす。「気絶しているだけだろうな。奴の耐久値はまだ残っている」
「そうですか…」
香澄は、ふっと息をつくと、尻もちをついた。
ジェガンも思わず座り込む。
「残念だったな。竜殺しにはなり損ねたな。それとも、この下に降りて、止めをさすか?」
ジェガンが疲労の濃い顔をしながらも、冗談めかしに口を開いた。
「いえ、もうおなか一杯です…」
ジェガンに、もううんざりだという風に香澄は首を振った。
遠くから、ジュリアとアルジェルが手を振りながら近づいて来るのが見えた。
赤茶けた石造りの城の中を、上へ上へと進む。狭く暗い尖塔をの中を登る階段を、ブーツの音を響かせながら進む。階段の上に堆積した埃が、ここしばらくは誰もこの場に足を踏み入れてはいない事を物語っていた。
5階分ほど登っただろうか。
薄暗い室内に眩い外光の光が差し込んでいた。
疲れ始めたアルジェルを励まし、自身も先ほどの戦闘で疲労した体を押して階段を登りきる。
そこは、まさに空中庭園という言葉が相応しい場所だった。
今しがた自分たちが出てきた階段口が黒々とした口を開けている以外、見渡す限り360度の花畑が広がっていた。尖塔の上に、十数メートル四方のの板が乗っていて、その上に庭園が形成されているのだろうか。手すりなどもなく、花畑以外に視界をさえぎるものは何もなかった。
空と、色とりどりの花々と。
庭園が空中を漂っているような錯覚を覚える。
涼やかな風が駆け抜けていく。
その度に、花たちがさらさらと揺れる。
アルジェルも香澄も、その現実離れした光景に、しばらく言葉を失っていた。
後から登ってきたジェガンとジュリアも、周囲の風景に感嘆の声をもらした。
「あそこだ、嬢ちゃん」
ジェガンが、庭園の隅を指さす。
その一角だけ、白い花が群生していた。
アルジェルの写真の花と同じだ。
「テミスの、花…」
香澄が呟く。
アルジェルは、ギュッと香澄の外套の端を握りしめた。
「俺たちはここに居る。行って来い」
そういうと、ジェガンはどかりとその場に腰を下ろした。その横にジュリアが座る。香澄をを見て、ひらひらと手を振っていた。
香澄は、アルジェルの手を取って、花畑の中に踏み出した。
テミスの花は、意外に小さかった。
白い花弁が六枚開いた、可憐な花だった。
香澄は花を凝視する。網膜ディスプレイに、アイテム表示が点灯したあとその効能が表記された。
「デスペナルティで戦闘不能となったものの復活…」
香澄の説明を聞いて、アルジェルがギュッと強く手を握って来る。
確かに、蘇生のアイテムだ。
この、アルフェネアのシステムの上で、での。
「アルジェ…」
アルジェルは香澄の手を離し、しゃがみ込むと、その白い花を撫でた。
その後ろ姿は、やはり寂しそうに小さく揺れているように見える。
しかし、以前の様な嗚咽は聞こえない。アルジェルは、決して泣いてはいなかった。
「チーコは、公園で、草や花の上で走り回るのが好きでした。ごろごろ転げまわって、体を汚して、お母さんに起こられて、しょんぼりして…。でも、公園に行こうって言うと、耳をぴんっと立てて、尻尾をぶんぶん振るんです。早く行こうって言ってるみたいに…」
声は少し震えている。
「うん…」
香澄は静かに返す。
「もし、チーコがここに来てたら、凄い喜んだと思うんです。こんなきれいな場所、外には見たことなかったから…」
「うん…」
「だから、ここにチーコのお墓を作ってもいいですか?本当のお墓は、うちの近くにあるけれど、ここにも…。この、綺麗な場所にも…」
「うん、そうしてあげようか…」
香澄が答えると、アルジェルは勢いよく振り返り、香澄に抱きついた。
アルジェルは何も言わない。
香澄は、優しくその頭を撫でてやる。
風が、二人を優しく包み込んでいく。
風の音だけが辺りを満たす。
しばらくそうしていた後、アルジェルは顔を離した。やはり、その頬には涙の後はない。
「これを、埋めて上げようと思うんです」
アルジェルは、自身の小さなポシェットから、亀のぬいぐるみを取り出した。噛み跡や牙に引っかかれたのか、あちこち敗れて中の綿が飛び出している。かなり年紀が入ったものの様だった。
「これ、チーコのお気に入りだったんです。あたしが生まれる前からずっと持ってた…」
アルジェルはそう言うと、テミスの花の近くに、穴を掘り始めた。手が土に汚れるのも構わず、一心に穴を掘る。香澄は、その後ろ姿を静かに見守る。手伝いはしない。それは、アルジェルがチーコのためにしてあげている、アルジェル自身が成さなければいけない行為に思えたから。
穴を掘り、ぬいぐるみを埋め、最期に周囲にあった石を積み上げると、簡単で小さなお墓が完成した。
アルジェルは、土に汚れた手のまま、片膝をつき、祈りを捧げる。
香澄も、手を合わせ、目を瞑る。
チーコちゃん、どうか、あなたの妹を、アルジェルをいつまでも守ってあげて下さい。
祈りを終えたアルジェルは、最期にテミスの花に手を掛けた。
目線で、手折ってもいいかと香澄に問いかけてくる。
香澄がうなずくと、一輪の白い花を手にとったアルジェルはそれを大切そうにポシェットにしまった。
「終わったようだな」
いつの間にか後ろにジェガンとジュリアが立っていた。ジェガンはテミスの花の秘密を知っていたのだろう。結果を問いかけてくるようなことはしない。ジュリアも既に話を聞いたのか、僅かに目を伏せていた。
「はい、みなさん、ありがとうございました!」
アルジェルは、はっきりとした声で言うと、頭を下げた。
そのさっぱりとした様な表情に、ジェガンとジュリアは驚いたように目を丸くしたが、笑顔でうなずき返した。
「さぁ、みんな、ウルサズに帰還しましょう」
香澄が、ぽんと手を打って提案したが、アルジェルは少し気まずげに眼を伏せた。
その瞬間、庭園を影が包み込む。
思わず上空を見上げると、そこに巨大な影が降下して来た。
巨大な翼に長い尾、強靭な四肢や長い角は、まさに物語の中のドラゴンという形状だ。先ほどまで戦っていたグランドドラゴンよりも伝統的なドラゴン然としたモノが、中空から舞い降りてくる。
思わず刀の柄に手を掛け、腰を落とす香澄。ジュリアも弓を取る。
「んーまあ、落ち着け。あれは迎だ」
ジェガンだけが、呑気に腕を組んでその影を見上げていた。
ドラゴンが空中庭園に合わせて滞空する。その羽ばたきが、強烈な突風を巻き起こし、花々を揺らした。ドラゴンは銀色の鱗に包まれていた。赤い瞳が、香澄たちを見つめてくる。その姿に威圧感は覚えるが、不思議と恐怖よりもその美しさに魅了されてしまう。
そして驚いたことに、そのドラゴンの首筋に人が乗っていた。
香澄やジュリア、アルジェルが呆気にとられている内に、その人物はドラゴンの首を伝って庭園に降り立った。
長い金の髪。美しく整った顔に、深い青の瞳の女性だった。銀色の鎧は眩しいほど磨きあげられ、ところどころに入った金の装飾が、美術品のような気品を漂わせていた。
女神様か戦乙女か。どちらにしても、常人離れした雰囲気が漂っていた。
「ようっ、すまないな」
そんな人物に、ジェガンが気楽に手を上げる。
彼女の視線が、一堂の上を通り過ぎる。何故か緊張で、香澄はびくんっと身を震わせた。最後にジェガンを見た彼女は、途端に子供のようにぷっと頬を膨らませた。
「全く、忙しいんですよ、こう見えても。でも…」彼女は再び神々しい笑顔浮かべて、香澄を見る。「まぁいいものも見れましたし、良しとしましょうか」
香澄は思わず直立姿勢をとる。この女性、どこかで見たことがあった。
「紹介しよう。といっても、知ってるか。我らがリーズベル王国騎士団統括にして竜騎士、天騎士の称号も持つレティシア・ルーエンハイトだ。俺らの上司だよ」
「こんにちは、みなさん」
レティシアは優雅に一例する。
「え、えええええぇ!」
思わずジュリアが声を上げる。香澄も目を丸くしたまま声が出ない。
見たこともあるはずだ。騎士任命式で、王城のテラスの上から挨拶をしていた人物、史上最年少で騎士のトップ、天騎士の称号を得た超有名人なのだから。
「実はな、嬢ちゃんの滞在日数がもうない。明日の飛行機で帰国しなくちゃいけない。この旅もぎりぎりだったんだ。だから帰りは、レティの銀竜で直接ポートエレハイムまで送って貰えるよう依頼してたんだよ」
そんな二人にお構いなしに、ジェガンが説明する。
ポートエレハイムは、アルフェネアで唯一空港や港湾施設があり、外界との窓口になっている街である。乗り合い馬車では、ウルサズから王都経由で丸二日ほどの距離にある。
「母親には先に行ってもらってる。銀竜なら一時間だ」
アルジェルは申し訳なさそうに顔を伏せていた。
「そっか〜。じゃあ、しょうがないね」
香澄は努めて明るい声で言う。
「またアルジェと一瞬に馬で旅したかったけど、それじゃ、しょうがない…」
声が震えませんように。そう祈りながら、言葉を続ける。
「アルジェル、顔を上げて。そんな悲しそうな顔をしないで。いつでもまた会えるから」
騎士が弱いところを見せてはいけない。いつも泰然と前を見据え、道を切り開き、仲間を守る。それが香澄が憧れる騎士なのだから。
「あたしは騎士だよ。アルジェの騎士。騎士の仕事は、お姫様を守ること、ね?」
香澄は片膝を付き、頭を下げる。
アルジェルは、その香澄の頭を抱きかかえると、震える声で小さく呟いた。
「ありがとう、ありがとうございました、あたしの騎士さま」
香澄が立ち上がり、今度はこちらからその小さな体を抱きしめた。
「大丈夫、チーコがいつもアルジェを守ってくれる。あたしもね。そのことは忘れないで」
香澄の胸の中で、アルジェルが頷いた。
「おじ様、なかなかいい人材を得た様ですね」
別れの抱擁を交わす姫君と騎士を見つめながら、天騎士は小さく呟いた。
「ふん、まだものになるかは、これからだな。だが、刀の件は恩に着る」
ジェガンも小声で返す。
「おじ様に貸し1だなんて、秘蔵の武器コレクションを差し上げた甲斐がありましたわ」
「ふんっ」
ジェガンは面倒くさそうに返した。
▼
黎明。いつもの朝。
窓から朝日が降り注ぐ頃になると、恒例の朝の散歩を終えた香澄は、手早く鎧を身に着ける。グランドドラゴン戦ですっかり手になじんだ刀、昴を剣帯に通し、身支度を整える。
一通り準備が整うと、書き物机に偽装された端末を起動させる。これは、各個人の部屋に設置された通信用端末だ。アルフェネアの雰囲気を壊さないよう、普段は巧妙に偽装されている。主に、外界との通信や業務通達に利用される。
香澄は、端末を起動し、メールをチェックする。
新着に一件。
開いてみると、短い文面が記されていた。
『ありがとう、あたしの騎士さま。感謝をこめて。アルジェル・シュリーマンより』
そして画像が添付されていた。
静かな笑顔を浮かべるアルジェル、そして母親と眼鏡姿の実直そうな父親。
アルジェルの手には、ボーダーコリーの写真が握られていた。
香澄は胸の奥から湧き上がってくる温かいものに、自然と笑顔を浮かべる。
目を閉じ、今は遠い国にいる自分のお姫様を思う。
「カスミ~!朝練はじめるわよ~!」
階下からジュリアの声が響く。
「はぁい!」
香澄も返事を返す。
ぱたんと端末を閉じて、慌ただしく階下に駆けていく。
そして、今日もまた一日が始まる。
香澄の物語はこれで完結ではない、と思います。
次話は短めに、軽めにまとめたいと思います。
こんな拙い文章を読んで下さった方全てに感謝を。
お気に入り登録してくださったあなたに、至上の感謝を。
では…。