あの夏、僕らは。
一年三百六十五日。
喧嘩をせえへん日なんて数えるほどしかなかった。
そやのにいつのまにか、あんたはうちの背をこして、そしたらあたしが蹴っても叩いても、手を出さへんくなった。
「姉ちゃん相手に殴ってもしゃーないし」
ぶっきらぼうな口調で。
うん、そやね。
阿呆な姉ちゃんでごめんな。
いつのまにか靴のサイズも体重も、手のひらの大きさも足の太さも。
抜かれてた。
三つも年下で小学生やったあんたに身長越されたときは、どないしよかと思ってんけど。
「次はコッペリアでスワニルダ役になってん!」
意気揚揚と、あたしは習っていたバレエで初めてもらった大役を報告した。
一年に一度の発表会は、あんたとおとんとおかんとおねえ、皆で見に来てくれたから。
おとんがビデオカメラ回して。
おかんがあたしのどぎつい舞台メイク見て吹き出して。
おねえが手振ってあたしの名前を呼んで。
あんたは途中で寝こけていっつも幕切れ位で起き出して。
ずっとそれが続くような気ぃしてたわ。
ほんま阿呆やね。
永遠なんて、どこにもないんは知ってたはずやのに。
「あ、ごめん。俺その日試合やわ」
あの頃から、あたしらは少しずつ仲良くなってったな。
変な話やけど、喧嘩もだんだん減って。
テレビのリモコン争いはせんようになって、同じもんを一緒に見て。
あたしがなかなか開けらへんジャムの蓋を、あんたは軽々開けれるようになって。
「ホームラン打った!」
「トウ・シューズもろた!」
道は少しずつ分かれて、そして二度とは重ならへんかった。
家族で出掛ける日はなくなっていった。
「結婚するから」
始めに家族という確かなようで薄い、やわらかな殻を破ったのはおねえやった。
ドラマみたいに泣いて反対するおとんとおかん。
「子供おるんよ」
それが決定打。
真っ白なおねえのウエディングドレス見ながら。
あぁもうすぐあたしらはばらばらになるんや。
何故かあたしは確信してた。
「大学、家出るわ。遠いし。でも月一位なら帰って来れんねん」
あたしはいつのまにか高三になって、阿呆みたいに中間期末のテストのみを頑張った甲斐あって、早々と夏休みに大学はほぼ確定してた。
「あ、ごめん。俺も家出んねん。野球部の寮入るわ」
あんたまだ中三やんか。
喉まで出とった言葉を飲み下すんは、結構大変やった。
じゃああたしが戻って来ても、二段ベッドの下にあんたが腹出して寝てる事はもうないんか。
風呂の順番でジャンケンする事もなくなるんか。
嘘やろ。
「じゃあ後一緒に暮らせるんも半年ないなぁ」
出て来た言葉は結構冷静やったけど。
おとんとおかんのがむしろ、涙ぐんどったけど。
まだ半年あんのに。
……もう半年しかないんか。
「遊ぼか、ひさびさに」
数年ぶりに帰ったばあちゃんちの、緑の日本海で泳いだ。
水しぶきで涙はわからへんかったと思う。
最後の夏休み。
あたしとあんたの。
「甲子園出たら見に来てや」
砂浜っていうよりは、岩でごつごつした場所に座ってあんたはぼそっと言った。
二人で捕まえたクラゲを、岩にのせて溶かす、昔からの遊びをしながら。
「負けたらしばくで」
あんたはぽかんとして、それから坊主頭をかいて笑った。
「姉貴にしばかれても痛ないわ」
いつのまに姉貴って呼ぶようになったん?
あたしは笑った。
とうの昔に辞めたバレエの先生の顔が何故か、頭に浮かんだ。
「またやろかな」
何を?とはあんたは聞かんかった。
そしてあたしは大学進学と共に一人暮らしをする事を決め、
あんたは私立の野球部強豪校への進学を決めた。
今年の夏は、いつもよりたくさん甲子園を見た。
おとんとおかんとあたしとあんた。
嫁に行ったお姉と旦那まで家呼んで。
このメンツも来年の三月までか。
「あの人らがあんたの先輩になんねんなぁ」
まぶしい白球を追いかけてる、あんたが行く学校の、野球部員達の顔を見ながら。
「姉ちゃん、ほんま見に来てや」
姉ちゃんなんか姉貴なんか統一しいや。
阿呆やなぁ。
うん、大丈夫。
また家族引き連れて行ったるから。
心置きなく投げて打って走っとき。
あたしは離れても、あんたのお姉ちゃんやから。
何があってもそれだけは変わらへんよ。
去年の今ごろ書いた作品です。たった一人の弟に。――健太。明日は二回戦やね♪約束どおり応援行くから待っててや?