万能翻訳者は、世界のバグを「置換」する
戦闘能力ゼロと見なされ、地下に軟禁されたSE。
しかし、彼が手にしたスキルは、世界の理そのものを書き換える、とんでもないバグ取り能力だった――。
前世の記憶は、ひどく無機質なものだった。
システムエンジニアとして、来る日も来る日もバグの修正とソースコードの書き換えに追われ、最後はデスクの上で泥のように眠った――それが、僕の三十二年の生涯の終わり。
次に目を覚ました時、僕は中世ヨーロッパ風の、しかし明らかに「魔法」が存在する異世界の王宮にいた。
定番の「勇者召喚」というやつだったが、僕に発現した固有スキルは、他の召喚者たちが手に入れた『聖剣術』や『爆炎魔法』のような華々しいものとは程遠かった。
能力名――『万能翻訳』。
「あらゆる言語を解するスキルか。……ふん、我が国の通訳官として終生、馬車馬のように働かせてやろう」
戦闘能力ゼロと見なされた僕は、前世と大して変わらない「書類仕事」の奴隷として、王城の地下資料室に軟禁されることになった。
*
それから三年。
僕は毎日、異世界の古文書や魔法陣の記述を『万能翻訳』で読み解く日々を送っていた。
しかし、この世界で翻訳を続けるうちに、僕は世界の「ある重大な秘密」に気づいてしまった。
この世界の魔法や事象は、すべて一種の「言語」によって制御されている。
つまり、魔法陣とはプログラムのソースコードであり、世界の理そのものが、巨大なシステムなのだ。
そして、僕の『万能翻訳』の真の力は、単に「言葉を理解する」ことではなかった。
言語を理解できるということは、その構造の「書き換え《ちかん》」が可能である、ということに他ならない。
「……なるほど。前世のスキルがこんなところで役に立つとはね」
そんなある日、王都に未曾有の危機が訪れた。
突如として飛来した『伝説の災厄・冥府の黒竜』。
王宮の魔導師たちが放つ最高位の爆炎魔法も、勇者が振るう聖剣の斬撃も、黒竜が身にまとう「絶対崩壊の結界」の前に、すべて無効化されていく。
城壁が崩れ、王宮が炎に包まれる。
かつて僕を嘲笑った王や貴族たちが、腰を抜かして悲鳴を上げているのを、僕は地下資料室の窓から静かに見下ろしていた。
「そろそろ、定時退勤の時間だな」
僕は一本のペンを手に、黒竜の前に立ちはだかるべく城のテラスへと向かった。
*
「愚かな! 戦闘スキルのない通訳風情が何をしに出てきた!」
逃げ惑う魔導師が僕に罵声を浴びせる。
上空では、黒竜がその巨大な顎を開き、城を一撃で消し去るほどの暗黒呼吸を溜め込んでいた。
僕は『万能翻訳』を発動し、視界を「世界のシステムレイヤー」へと切り替える。
すると、黒竜の全身を覆う漆黒のオーラが、複雑な発光する文字の羅列――「世界の記述」として見えてきた。
【事象:冥府の黒竜のブレス】
【属性:絶大なる破壊/暗黒/質量・無限】
【効果:触れた物質の分子結合を完全消滅させる】
前世で何度も見た、凶悪なエラーコードのようなものだ。
まともに戦えば勝てるはずがない。
だから――僕は戦わない。
「『万能翻訳』、展開。対象の記述をスキャン。……よし、構文解析完了。これより、一部の単語を『置換』する」
僕は空中に指を走らせ、黒竜のブレスの定義ファイルを書き換えた。
暗黒ブレスの、「破壊《Destruction》」という記述を、僕が最もよく知るあの単語――「デバッグ《Debug》」へ。
――キィィィィィィン!
世界が耳鳴りのような音を立てた。
黒竜の口から放たれた、世界を滅ぼすはずの暗黒の光線。
それが僕の目の前に到達した瞬間、光線は「ただの透明な文字列」へと変換され、何のエフェクトも持たずに霧散した。
「な……何が起きた!?」
呆然とする勇者と魔導師たち。
「よし、エラーは消去した。次はシステム本体のシャットダウンだ」
僕はさらに黒竜本体のステータス記述を覗き込む。
【個体名:デス・レックス】
【状態:顕現/生存/敵対】
僕はその「生存《Alive》」という文字列を、文字通り『翻訳』し直した。
「お前のようなバグまみれの存在は、我が社《この世界》には必要ない」
――置換《Replace》。
「生存《Alive》」 を ── 「退職《Retired》」へ。
*
ズゥゥゥゥン……!!
攻撃を喰らったわけでもないのに、黒竜は突如としてその巨体を崩し、地面へと頽れた。
魂が抜けたかのように、ただの「動かない肉塊」へと変わる。
世界のシステムから、その存在理由を消去されたのだから当然だった。
静寂が王宮を包み込む。
誰もが、何が起きたのか理解できずにいた。
ただ、書類用のペンをポケットに仕舞う僕の姿を、恐怖と驚愕の目で見つめることしかできない。
「おい、お前……一体、何をした……?」
震える声で尋ねる王に、僕は背を向けたまま、フッと息を吐いて答えた。
「ただの翻訳ですよ。仕様書通りに動かないシステムを、少し修正しただけです」
この日を境に、僕は「最弱の通訳」から「世界を書き換えるコード・ウィザード」として恐れられることになるのだが……それはまた、別の話。
とりあえず、これで厄介な残業《世界の危機》は片付いた。
明日からは、もう少し有給休暇が取りやすくなるといいのだが。




