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第82話 勇者、商店街に馴染む


 (“自然に距離を詰める”——それは、才能でもあり武器でもある)


 本来なら、店に残ってもらうという選択肢もあった。


 けれど、それは最初から除外されていた。


 まだ、完全に信用しているわけではない。


 口には出さないが、ノクスたちの中にははっきりとした線引きがある。


 一人にはしない。


 それが、今の結論だった。


「全員、乗ったな」


 ノクスの声。


「うん、大丈夫」


 結衣が頷く。


「おじさんによろしくな」


 豊が片手をあげて見送る。


 エンジンがかかり、車がゆっくりと走り出した。


 しばらくして。


 見慣れた街並みが途切れ、視界が開ける。


 田んぼが広がり、空がやけに近く感じられた。


「……のどかだねぇ」


 アイルが窓の外を眺めながら呟く。


「視界が広い分、日差しの影響を受けやすいな」


 キリが淡々と補足する。


「つまり、暑いってこと?」


 エレンが短く返す。


 車が止まる。


 ドアを開けた瞬間。


 むわっとした熱気が、一気にまとわりついた。


「……暑っ」


 結衣が思わず呟く。


 初夏とは思えないほどの陽射し。


 じっとりとした湿気が、肌に絡みつく。


「湿度が高いな」


 キリが眉をひそめる。


「これ、地味にくるやつだよねぇ」


 アイルがのんびりと空を見上げる。


 その横で。


「……なにこれ」


 エレンが、ぽつりと呟いた。


「この地域って、こんなに暑いの?」


「うん……まぁ、夏はこんな感じかな」


 結衣が苦笑する。


「まだこれでもマシな方だけど」


「マシなの?」


 エレンの顔が、ほんの少し引きつる。


「これで?」


 長袖のまま、軽く自分の腕を見下ろす。


 一瞬だけ、遠い目をした。


(……絶対、きついよね)


 結衣は、ちらりと横を見る。


 でも、何も言わない。


 エレンは、何でもないように歩き出した。


「こんにちはー!」


 結衣が声を張ると、奥から人影が現れる。


「ああ、結衣ちゃん」


 昔からの付き合いのある農家の男性だった。


「今日はどうした?」


「ちょっと写真撮らせてもらってもいいですか?」


「写真?」


「ホームページに載せたくて」


「おお、いいねぇ」


 気さくに頷く。


 そして、ふと。


 後ろにいる面々を見て、にやりと笑った。


「……なんか今日はまた、えらい賑やかだな」


 一拍。


「しかも、ずいぶんと華やかなの連れてきたじゃないか」


「えっ、いや、あの……!」


 結衣が慌てる。


「仕事の関係で、その……」


「いいねぇ若いのは」


 楽しそうに笑う農家。


「店もにぎやかになりそうだ」


「もう、おじさん!」


 結衣が少しだけ頬を膨らませる。


 その横で。


「どうも」


 エレンがにこりと笑って軽く頭を下げた。


 その笑顔に、農家が一瞬だけ「おお」と感心したように目を丸くする。


 撮影の準備が進む。


「じゃあ、この辺から撮っていこうか」


 結衣が周囲を見渡す。


「光、いい感じだし」


「角度、もう少しこっちの方がいいかもね」


 アイルがさらっと位置を調整する。


「……確かに、その方が立体感が出る」


 キリが頷く。


 ノクスは黙って全体を見渡していた。


 その少し離れたところで。


 エレンが、ほんのわずかに息を吐く。


「……っ」


 気づかない程度に、呼吸が浅くなる。


 額に、じわりと汗が滲む。


(……やっぱり)


 結衣は、ちらりとその様子を見る。


「エレン、大丈夫?」


 声をかける。


「顔、ちょっと赤いけど」


「ん?」


 エレンはすぐに顔を上げる。


 そして、いつも通りの笑顔。


「大丈夫大丈夫」


 軽く手を振る。


「ちょっと暑いなーって思っただけ」


「いや、絶対暑いでしょその格好……」


 結衣が思わず言う。


「まぁね」


 エレンが苦笑する。


「正直、ちょっとげんなりしてる」


 ぽつりと本音が漏れた。


「だよね……」


 結衣もつられて苦笑する。


「でもまぁ」


 エレンは軽く肩をすくめる。


「これくらいでへばってたら、やってられないしね」


 さらっと言う。


 その声に、どこか慣れているような響きがあった。


 慣れ、というより――慣らしてきた、というような。


(……やっぱり、無理してるよね)


 結衣は、ほんの少しだけ眉を寄せた。


 そのとき。


「結衣」


 ノクスの声が飛ぶ。


「次、あの区画だ」


「あ、うん!」


 呼ばれて、そちらへ向かう。


 その背後で。


 エレンが、ほんの一瞬だけ目を細めた。


 袖の上から、腕を軽く押さえる。


 すぐに手を離して、何事もなかったように歩き出した。


 撮影は、何度かに分けて行われた。


 稲の成長に合わせて、少しずつ素材を集めていくためだ。


 その合間にも、店はいつも通り営業している。


 ――はずだったのだが。


「エレンくん、今日も来てるのかい?」


「いるよー」


 カウンターの奥から、ひょいと顔を出す。


「お、いたいた」


 商店街の常連らしき女性が、にこにこと手を振った。


「この前のお米、美味しかったよ」


「ほんと? よかった」


 エレンが、ぱっと笑う。


「それ、結衣ちゃんに言ってあげて。喜ぶから」


「えー、エレンくんに言いたかったのに」


「じゃあ両方言って」


 軽く肩をすくめる。


 そのやり取りに、店の空気がふっと緩む。


 少し離れたところで、それを見ていた結衣は。


(……え)


 思わず、手を止めていた。


 来てから、まだほんの数日しか経っていない。


 なのに、どこかの常連みたいに馴染んでいる。


(なんで、こんなに自然に……?)


 距離感が、おかしい。


「これ、よかったら持ってきな」


 別の店主が、紙袋を差し出す。


「え、いいの?」


「余りもんだからさ」


「じゃあ遠慮なく」


 にこりと笑って、あっさり受け取る。


 中をちらりと覗いて。


「うわ、これ絶対美味しいやつじゃん」


 素直に喜ぶ。


「今度お礼しないとね」


「いいよいいよ、そんなの」


「いや、それはさすがに」


 軽く言いながらも、距離は詰めすぎない。


 絶妙な線で止めている。


(……すご)


 結衣は、ぽつりと心の中で呟いた。


 作っている感じが、しない。


 なのに、ちゃんと相手の懐に入っている。


 そのとき。


「エレンくん、その格好暑くないの?」


 ふと、別の女性が声をかけた。


「うん、暑いよ」


 あっさりと答える。


「じゃあなんで長袖なの?」


「んー」


 少しだけ考える素振りをして。


「ちょっとね、傷があって」


 さらっと言う。


「見せられるほど綺麗なもんじゃないんだよね」


 軽く笑った。


「へぇ……そうなの」


 それ以上、深くは聞かれない。


 会話は、そのまま流れていく。


 その横で。


(……傷)


 結衣は、ほんの一瞬だけ視線を落とした。


 思い出す。


 あのとき、ふと目に入ったもの。


 布越しに見えた、違和感。


 ほんの一瞬だったのに、妙に引っかかっている。


 農場での、腕を押さえたあの仕草も。


(……あれって)


 口を開きかける。


「エレン――」


「結衣ちゃん?」


 先に名前を呼ばれて、止まる。


「どうしたの?」


 いつも通りの、柔らかい笑顔。


 その顔を見て。


「……ううん」


 小さく首を振る。


「なんでもない」


 それ以上は、踏み込まなかった。


「……馴染みすぎだろ」


 背後で、低い声がした。


 振り返ると、キリが腕を組んでいた。


「初見の相手との距離の詰め方が異常だ」


「え、そうかな?」


 結衣が戸惑う。


「観察してみろ」


 視線だけで示す。


「相手の話を遮らない。だが主導権は握っている」


「……あ」


「視線、間、声のトーン――全て計算されている」


 淡々と分析する。


 その横で。


「でもさぁ」


 アイルが、のんびりと口を挟む。


「嫌な感じしないよね」


「……それが厄介だ」


 キリが短く返す。


「“無意識に見える意図”ほど、厄介なものはない」


 一拍。


「……やはり、注意しておくべき対象だな」


 ぼそりと呟く。


 その言葉に。


 結衣は、もう一度エレンの方を見る。


 楽しそうに笑っている横顔。


 自然で、軽くて、柔らかい。


(……でも)


 ふと、思う。


(あれ、全部――)


 そこまで考えて、やめた。


 分からない。


 ただ。


「結衣ちゃーん」


 エレンが、ひょいとこちらを振り返る。


「これもらった」


 両手いっぱいの袋を掲げる。


「え、ちょっと、もらいすぎじゃない!?」


「いや、向こうがくれたんだって」


 けらけらと笑う。


 その様子に、思わずため息が漏れた。


(……なんか)


 少しだけ、苦笑する。


(ノクスたちより、馴染んでるかも)

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