第4話 魔王、現地調査をする
(魔王をぬいぐるみにして外に連れ出したら、商店街を分析し始めたんだが)
結衣のバイト休みの日は、基本的に雑務で終わることが多い。
洗濯をして、掃除をして、買い物をして、店の足りない備品を買い足しに行く。
毎日米の張り込み(精米前の準備)と精米をする兄も掃除ぐらいはするのだが、おおらかな性格ゆえ掃除の仕方もだいぶ緩い。
潔癖ではないけれど、いつも掃除出来ないところをちょっと掃除するだけでも気持ちが良い。
もちろん、途中で米の配達を頼まれれば行くし、午前中の時間がいつもより多く取れるぐらいで、あまり変わり映えはしない。
唯一いつもと違うのは、”初めての簿記”と結衣のスマホを持ち、スマホのカメラ機能に読み込ませた分からない文字を教えてもらいながら、うんうんと唸っている黒い生き物ぐらいだ。
初めて触る文明の機器に、なんと便利なのかと感動した魔王はあっという間に使い方をマスターしてしまった。
パタン、と本を閉じた魔王が一言漏らす。
「現地調査が必要だ」
神妙な顔をして座っている魔王は、やけに真剣な声で言った。
「帳簿のつけ方は理解した。しかし、町の様子、人の流れ、そして実際のやりとり……情報が足りぬ。この世界を理解するには、外の様子を見なければ話にならない」
「うーん……いいけど、さ」
結衣は魔王を見下ろし、少し考えてからため息をついた。
「外に出るなら、その姿じゃ目立つから……ぬいぐるみになりきること!」
「……ぬい、ぐるみ?」
「動かない、喋らない、存在感消す。できる?」
「む……承知した」
バッグの中に隠すことも考えたけど、試しに入れてみれば何も見えんと苦情を言われてしまったので、結局自分のフード付きのパーカーのフード部分にちんまりした魔王を突っ込むことになった。黒くて丸くて2等身。サイズ感だけ見れば、確かにぬいぐるみっぽくはある。20歳を超えた女性が持つには、ちょっと子供っぽいかな?ちょっと前まで女子大生だったんだし、良いよね!
けれど……
「おい結衣、あれはなんだ」
「ちょ、静かにして!」
「これはなんだ、動いているぞ!」
「モゾモゾしないで!くすぐったいから!」
首の後がモゾモゾとして、正直言ってこの作戦は失敗だったかもしれない。
喋るなって行ったのに、全然言ってることとやってることが違う。
くすぐったさに身を捩りそうになるのをどうにか堪えて商店街のアーケードを自転車を押して歩いていく。
途中で野菜を買ったりするやりとりを、魔王はジッと観察しているようだった。
現金のやりとりは魔王の世界にもあるらしいから、試しに電子決済の方で払えば、後からあれはなんだったのだとわいわい騒いでうるさかったのは仕方のないことかもしれない。
「結衣ちゃん!」
そんな時、声をかけてきたのは父の代からの常連のおばあちゃんだった。
「お米、またお願いね!手の空いた時で良いから!」
「あ、はい!後で行きますね!」
笑顔で答えながら会釈すると、おばあちゃんは小さく手を振って去っていった。
(まただ……)
魔王の声にならない呟きが伝わってくる
(契約書なし。数量不明。納期も曖昧……なぜこの世界の人間は、これほどまでに”信用”だけで取引を成立させる……)
「今のはね、いつものこと」
結衣は小声で魔王に言った。
「近いところに住んでる人だから。ちゃんと最後は帳尻合うよ」
(信頼を通貨にしていると言うことか………)
ひとしきり商店街を散策して帰り道にコロッケを魔王に買い与えれば、さっきまでわいわいと騒いでいたのが嘘のように静かにコロッケを食べていた。
……案外魔王は食いしん坊なのかもしれない。
もし次にまた現地調査だとか言い始めたら、ずっとお菓子を食べさせるのも良いかもしれない。
一度家に戻って、追加で電話注文の入った伝票をチェックする。
1件は離れているけど、他の2件は近い場所だ。
つい去年とったばかりの免許が、こんなに早く役に立つ時がくるとは思わなかった。中古で買った年季の入った白い軽自動車は、ちょっと見た目が古臭くても、ほとんどペーパードライバーの自分には良い相棒。
だって、ちょっと擦ったりしても、元が古いからそんなに気にならない。
「今日は私が配達行くね」
「分かった!頼んだぞ」
「ほら、配達行くよ。車、乗ってみたいって言ってたでしょ?」
魔王の瞳がキラキラと好奇心に染まっていくのが分かった。
運転席の目の前のダッシュボードに置かれた滑り止めの上に魔王を乗せて、ゆっくりと発進させる。
超初心者の私ではそんなにスピードが出ないから、転げ落ちることはないだろう。
魔王はフロントガラスに顔面をくっつけて、動き出した車に感嘆の声を上げた。
配達が終わる頃にはすっかり夕暮れで、頬を撫でる風もだいぶ冷たくなってきた。
「最後は、今日商店街であったおばあちゃんちだから、自転車でいこっか」
距離にして10分ほど。
車で配達は行けるけど、袋小路の先にあるおばあちゃんちは車1台がやっと通れる道幅しかなく、今の結衣では対向車が来たらどうしようとか、帰りにバックする時も狭すぎて、とても恐ろしくて車では行けない。
魔王が周りを見られるようにゆっくりとしたスピードで自転車を漕いで行けば、おばあちゃんちから戻る時にはすっかり暗くなってしまった。
街灯が一つ、またひとつと足元を照らしていく。
フードの中で、魔王が珍しく焦った様子を見せた。
「もう陽も落ちているのに、若い女子が歩いていて平気なのか?
暴漢に襲われたらどうする。
今の私ではスライム1匹倒すことさえ難しい……結衣、早く戻った方が良いのではないか?」
「平気平気。
たまにそう言う事件もあるけど、日本はすごく治安が良いの。
夜遅くにコンビニにデザート買いに行くことだってあるんだから」
けれど、魔王はむむむと唸って納得していない様子だった。
大体、魔族の長たる魔王がそんな細かいところまで気遣うとは変な話である。
不服そうな魔王の声色が変わったのは、家まで後もう少しというところ。
暗闇の中に煌々と光輝く自販機を見つけた時だった。
「見ろ、結衣!あれはなんだ?
……伝説の宝箱か?あれほどの魔力を放つ筐体、中に何が入っているのだ」
「宝箱じゃなくて自販機。飲み物が買える場所」
さっきから手も冷たくてどうしようもなかったし、ちょうど良いからカイロ代わりに一つ買って行こう。
チャリン、と小銭を入れ、温かい飲み物のボタンを押す。
ココアぐらいだったら、きっと魔王も飲めるだろう。
ガコンッ!と大きい音がして、温かいココアが出てきた。
「攻撃か!? 伏せろ結衣!! 中に刺客(人)が潜んでいるのか!?」
ガシリと背中に小さな爪が当たるのは、魔王が思い切り結衣の背中を掴んでいるからに違いない
「あはは! ちょっと笑わせないでよ、一人でニヤニヤしてたら不審者になっちゃうでしょ」
「はい。お疲れ様、魔王さま」
「……暖かい」
魔王は、缶を両手で抱えたまま動かなくなった。
「魔法も使わず、この極小の金属容器に熱を閉じ込め、即座に提供する……
この世界の兵站は……どうなっている……」
「ふふ」
結衣は歩きながら、少しだけ誇らしげに言った。
「これが、この世界の“当たり前”だよ」
フードの中で、魔王は静かに尻尾を揺らしていた。
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カリカリ、カリカリ、と。
ダイニングテーブルの上で、ボールペンが紙を引っかく乾いた音が、やけに規則正しく響いていた。
夕食を終えた後の静かな時間。換気扇の低い唸りと、壁時計の秒針の音だけが部屋を満たしている。
……いや、正確に言えば「走る」なんて生易しいものじゃない。
テーブルの端にちょこんと座った魔王――の小さな手から繰り出されるペン先は、まるで精密機械の制御針のようだった。
乱雑に書かれていた数字や項目が、迷いなく線で切り分けられ、あるべき場所へと次々に「配置換え」されていく。
結衣は湯気の消えかけたマグカップを両手で包みながら、その様子をぼんやり眺めていた。
「……ねえ、書くの早すぎない?」
思わず口に出すと、魔王は顔も上げずに即答する。
「帳簿とは、戦場地図と同じだ。情報は簡潔で、誤解の余地があってはならん。記述の遅れは、そのまま判断の死を意味する」
そう言いながら、ぐい、と迷いのない線を引き、項目を書き換えていく。その動きに一切の淀みはない。
魔王の横には、結衣のスマホが画面をつけたまま置かれていて、メモアプリや写真に撮ったレシートが資料代わりになっていた。
「しかし……」
ふと、ペン先が止まる。
「地球の貨幣体系は、実に興味深いな」
赤い瞳が、帳簿からスマホへと移る。
「金属貨幣、紙幣までは理解できる。だが、この『電子決済』とは何だ。実体のない数字が、目に見えぬ電波と『信用』だけで流通している……」
小さく息を吐き、少しだけ眉をひそめる。
「特にこの『クレジットカード』。これは未来の労働力を前借りする契約魔法か? 使い方を誤れば、国を一つ滅ぼしかねんぞ」
「言い方が怖いって。ただのキャッシュレスだよ」
「侮るな」
即座に返される。
「物理的な重みのない金は、人の理性を容易に狂わせる。だが一方で、盗賊対策や物流の『決済スピード』としては極めて優秀だ」
ペンをくるりと回しながら、淡々と続ける。
「それから、この『ポイント還元』という概念……支払いに報酬を付与し、次なる消費を促す仕組み。実に狡猾で、見事な統治技術だ。我が国にも導入すれば、魔族たちの忠誠心――ロイヤリティを数値化して管理できるかもしれん」
「いや、ポイントカードで世界征服しようとしないで」
思わず突っ込むと、魔王はわずかに口元を緩めただけだった。
「だが、便利さと引き換えに課題も多いな」
再び視線が帳簿に戻る。
「現金、電子、掛け売り。支払い方法が多すぎるせいで、金の『出口』と『入口』が多頭龍のように絡み合っている。これが、貴様の店の帳簿が混乱している最大の原因だ」
「それ……自分でも薄々感じてた。管理しきれなくて」
私がそう言うと、魔王は一瞬だけこちらを見た。
「すべてを『いつ・いくら・どうやって受け取ったか』で整理しろ。金の形ではなく、流れ――キャッシュフローを見るのだ」
静かな声で、言葉を区切る。
「金は、止まった瞬間に腐る。貴様の店は、米という『現物』は流れているが、金の流れが淀んでいる」
最後の一文を書き終え、魔王は満足そうに小さく息を吐いた。そして、ペンを机に置く。
「よし、基礎設計は整えた。あとはこの『フォーマット』に従って入力を続けるだけだ」
「……早すぎない? まだ30分も経ってないよ?」
「国家予算に比べれば、児戯に等しい」
そう言ってから、少しだけ真面目な顔になる。
「……さて。結衣もこれからは経営者としての目を持つ必要がある。私が管理するのもいいが、結衣自身が『数字の魔力』を扱えなければ、この店は守れんぞ」
その言葉に、結衣は自然と背筋を伸ばしていた。
ただの「お手伝い」じゃ、もういられない。そんな気がして。
「……分かった。私も帳簿の付け方、ちゃんとしたい。一から教えてくれる?」
魔王は一瞬だけ考える素振りを見せてから、にやりと笑った。
「もちろんだ。……ただし、授業料は高いぞ?」
「なに?」
「あの『ココア』とやらを所望する」
結衣は思わず、吹き出した。




