2-8
「……今後、お前たちはどうするつもりだ」
静かな部屋に、ノクスの声が淡々と響く。
結衣から見るノクスは、いつもより明らかに威圧感がある。背筋が伸び、声も低い。
——ちょっと魔王っぽい。いや、本当に魔王なのだけれど。
キリは即答した。
「帰る方法を探す」
「当然だな」
ノクスは頷く。
「だが——」
視線が細くなる。
「今、自分たちの置かれている環境を知らねば、その道筋は立てられぬぞ」
沈黙。
アイルがぱっと顔を上げた。
「え、外行くの?」
結衣も一拍遅れて反応する。
「え、外行くの? 本気で?」
二人の視線が、揃って耳へ向いた。
尖った、どう見ても異世界仕様の耳に。
「耳どうするの。帽子あったかな……」
「帽子! いいね! 僕、黄色いのがいい!」
アイルが嬉しそうに声を弾ませる。
「色は目立つ。却下だ」
キリが静かに言う。
「えー!」
「騒ぐな。まずは衣服だ」
ノクスが腕を組んだまま告げる。
結衣は、はっとして二人を見た。
子供の体格。だが、服は異世界風。
ノクスは豊の服を借りているから問題ないが、この二人と同じくらいの子供服は家にない。このまま外に出れば、間違いなく浮く。
「ちょっと待ってて!」
ばたばたと押し入れへ向かい、ごそごそと段ボールの奥を漁る。
引っ張り出されてきたのは、小さな服の山だった。
「昔、私が着てたやつ。まだ残ってた……」
「わあ!」
アイルが目を輝かせる。
キリは無言で布地に触れた。
「……繊維が細かい」
「貸与だ。破損した場合は弁償だぞ」
「ノクス!」
アイルが振り返る。
「結衣ちゃん、これどうやって着るの?」
キリはすでにシャツを逆に持っていた。
「……袖が三つある」
「それ首!」
結衣の悲鳴が部屋に響く。
ノクスは深くため息をついた。
「……先が思いやられるな」
だが、ほんのわずかに口元が緩んでいた。
⸻
夕方前の商店街。
人の声、呼び込み、信号音、BGM、車のエンジン音。
ざわざわとした音と光が、初めて外の世界に出た二人の視界を占拠していく。
「ねえ見て! 色が動いてる!」
アイルが大型ビジョンを指差してきゃっきゃと騒ぐ。
「なんで人間は光らせるの好きなの?」
「ちょ、走らないで!」
まるでやんちゃな子供を追いかける母親のようだ、と結衣は思いながら後を追う。
結衣のフードの中で、ノクスは静かに状況を観察していた。
視覚刺激の過多に対する初期反応——異世界から来た者なら当然だろう。
最初こそ小さな姿に驚いていた二人だが、外の刺激にすぐ意識を奪われている。
一方、キリは最初こそ無言だったが、やがて足を止めた。
コスメのポスター。
モデルの視線、色の配置、フォント。
巨大な広告看板を見上げたまま、しばらく動かない。
「キリ?」
アイルが戻ってくる。
「……情報量が、異常だ」
キリは低く呟く。
「え?」
結衣が首を傾げる。
「一枚の板で、視線を止める設計になっている。色で感情を誘導して、文字は最小限。空白が多い。——なのに、伝わる」
「だよね」
アイルが笑う。
「さっきまで欲しくなかったのに、ちょっと欲しくなる」
キリが小さく息を呑んだ。
「……そういうことか」
フードの奥から、静かな声が落ちてくる。
「面白いと思わないか」
キリが振り向く。
「何がだ」
「この世界は、魔法で人を動かしているのではない」
一拍。
「設計で動かしている」
キリの瞳がわずかに揺れた。
ノクスは畳みかけない。
ゆっくりと続ける。
「お前は今、『なぜ欲しくなるのか』を解析し始めている。……もっと見てみたくはないか。この世界の”欲しい”の構造を」
信号が青に変わる。
人の流れが動く。
街が動く。
キリの喉がわずかに動いた。
アイルはすでに屋台の匂いに吸い寄せられている。
キリは視線を上げる。
大型ビジョン、雑誌ラック、ガラス越しの商品配置——。
⸻
自動ドアの前で、アイルが立ち止まった。
「え、なにこれ。結衣ちゃん、扉が勝手に開いた!」
ウィン、と軽い音を立ててガラス戸が滑る。
「魔法陣も詠唱もないのに! たのしー!」
「ちょ、アイル!走らないで!」
後を追う結衣のフードの中で、ノクスが小さくため息をついた。
落ち着きのないエルフだ。
一方キリは、一歩遅れて店内に入ったところで足を止めた。
「……妙だな」
「なにが?」
「落ち着かない。だが、不快ではない」
棚の端に並ぶ色とりどりの菓子を、キリはじっと見つめる。
「背の低い者が最初に見る位置に、派手な色が置かれている」
アイルがポテトチップスを手に取る。
「あ、これキラキラしてる!」
「……ほらな」
「え、たまたまじゃないの?」
結衣がぽかんとする。
「偶然にしては整いすぎている」
キリは首を振り、視線を床へ落とす。
「通路が狭い」
「うん?」
「すれ違うには少し近い距離だ。近づけば、視界に入る商品が増える」
「……あ」
キリは棚を軽く叩いた。
「この配置は偶然ではない」
「なにそれ?」
アイルが振り向く。
キリは静かに言った。
「ここは、小さな街だ」
フードの中でノクスは黙って聞いていた。
来て数時間で、そこまで読むか。
⸻
「でもさ」
アイルがくるっと回る。
「この箱の中、全部”欲しい”って気持ちを作るためにあるんでしょ?」
感性と構造。両輪だ、とノクスは思った。
「この世界を、もっと知りたくはないか?」
キリの目が揺れる。
「手伝ってくれれば、魔力回復の手立てを示す。命の危険を伴うものではない」
キリは静かに言った。
「……内容を聞いてから判断する」
フードの中で、ノクスは深く笑みをこぼした。
落ちたな。




