2-7
結衣の叫びに、部屋を満たしていた奇妙な緊張がふっと冷めた。
ノクスは腕を組み直すと、長身の体を少しだけ折り曲げ、結衣と視線を合わせる。
「……すまない、結衣。懐かしい不快な記憶が蘇ってしまってな。順を追って説明しよう」
ノクスはキリとアイルを指差した。
「この者たちはエルフだ。この世界の住人ではない。本来であれば、今の私と同じくらいの背丈と知能を持っている——だがこの世界には、彼らを維持するのに必要な魔力が決定的に足りない。だから身体がリソースを絞った結果、その姿になっている」
「エネルギー不足、なの……?」
「そうだ。そして——」
ノクスは炊飯器へ視線を向ける。
「貴殿が炊飯器のボタンを押した瞬間、指先から莫大な、しかも極めて純度の高い魔力が流れ出た。それが引き金になって、彼らがこの場所に引き寄せられた可能性が高い」
(あ、そういえば米ってどうなってるの⁉)
結衣は慌てて炊飯器の蓋を開けた。嫌な予感がした。ゆっくり開ける。
――空だった。
入れたはずの米が、一粒もない。
「どうやら今回は、この米の魔力を糧に呼び出されたらしいな」
「……また魚沼産食べられないの?」
結衣の声が、絶望に震えた。
何が悲しくて、高級米を対価に異世界の住人を呼び出さねばならないのか。
そしてどうした、我が家の炊飯器。君はいつから異世界召喚の魔導具にジョブチェンジしたんだ。普通に米を炊いてくれ、美味しく炊ければそれでいいんだ。
結衣はがっくりと項垂れながら、無言でいつもの米をボウルに入れ、ジャリジャリと洗い始める。
現実逃避ではない。そうしなければ、自分たちのご飯がないからだ。
(……もういい。あそこにいる「尖った耳の非日常」については、一旦考えないことにしよう。とりあえず今は、このお米を美味しく炊く。それだけだ……)
無心で米を研ぐ結衣の背後で、ノクスが困ったように眉を寄せた。
⸻
なんともいえない微妙な空気の中、金髪の男の子だけがずっとニコニコしているのが唯一の癒しだった。
さっきの呼び方から察するに、金髪の子がアイルで、銀髪の警戒心剥き出しな子がキリなのだろう。
どっと疲れの出た結衣は、それ以上話す気にもなれず、テレビのボタンをぽちりと押した。
反応はそれぞれで、アイルは目を輝かせて無邪気に興奮し、キリは突然響いた音に驚いて一瞬で後ずさる。アイルの反応は、うちに来た頃のノクスに少し似ているかもしれない。
やがてテレビに夢中になった二人を放っておいて、結衣は味噌汁の準備を始めた。
テレビに夢中な子供という点だけ見れば、まあ、平和ではある。
⸻
「結衣、大丈夫か」
覗き込むように見てくるノクスは、顔にかかる垂れた髪が色気を倍増させているけれど、そんなことをスルーできるほど結衣の心は凪いでいた。
「うん、ちょっと色々追いついてない感じ」
ははは、と笑う結衣を気遣うように、ノクスがさらに顔を近づけてくる。
「体内魔力の流れが少し乱れているな。他に、不調な部分はないか」
「体内魔力……ってか、私って魔力あるの?」
「あぁ。他の人間は持っていないが、結衣たち兄妹に関しては非常に純度が高い」
「その魔力とやらで米って売れませんかね」
「……それは難しいだろう」
律儀に返してくれてありがとう、ノクス。
⸻
「はい、どうぞ」
コトリ、とお皿をテーブルに置くと、不思議そうな表情が一名、警戒する表情が一名。
白くつやつやとしたおにぎりを前に、アイルはじっくりと観察を始めた。鼻先を近づけて匂いを嗅いだり、味噌汁の椀の中を覗き込んだりしている。
「「いただきます」」
結衣とノクスがいつも通りに手を合わせると、アイルは首を傾げながらも同じように手づかみでおにぎりを口に入れた。
瞬間、目がぱっと輝く。
「美味しいっ!」
「……っ!」
思わず結衣が心の中で呟いてしまうほど、アイルはニコニコとおにぎりを頬張る。
一方のキリは言葉にこそ出さないものの、目を爛々と輝かせながら黙々と食べ続けていた。どうやら口には合ったらしい。
ノクスはもちろん、いつも通り謎の色気を振り撒きながら食べている。……おにぎり食べるのに色気を振り撒く人、初めて見た。
⸻
つけっぱなしのテレビから、軽快な音楽と共に新商品スイーツのCMが流れてきた。
鮮やかな赤、跳ねるクリーム、きらきらと光るソース。
アイルが身を乗り出すように画面を見つめる。
「ねぇ、結衣ちゃん」
「うん?」
「この世界って、どうやって”色を動かしてるの”?どんな魔法?」
「魔法じゃないよ。テレビだよ」
「てれび?」
アイルは首を傾げたまま画面を指差す。
「だって、箱の中に世界が入ってるよ?」
キリが低く呟く。
「映像記録媒体の再生だろう。だが……魔力反応は感じない」
「さっきまでさ、ぼく、その甘いやつ欲しくなかったのに」
アイルが続ける。
「なんか、ちょっと欲しくなった」
「それがCMだよ」
結衣が思わず笑う。
「宣伝。“欲しい”って思ってもらうための映像」
アイルは静かに瞬きをした。
「魔力も使ってないのに、人の気持ちを動かすの?」
「視覚情報と音響だ」
キリが腕を組む。
「色彩、表情、テンポ。意図的に設計された刺激だな」
⸻
ノクスは黙って画面を見ていた。
赤い背景、弾む音楽、女優の笑顔。
商品そのものではなく、感情を設計している。
焦燥、高揚、共感——それだけで「欲しい」が生まれる。
ノクスの視線が、ゆっくりと双子へ移る。
感覚で違和感を拾う者と、それを理論で翻訳する者。しかも、無自覚に。
赤い瞳がわずかに細まった。
⸻
ノクスはゆっくりと立ち上がった。
「結衣」
「ん?」
「この者たちを、少しの間、私に預けてくれないか」
結衣の手が止まる。
「……は?」
アイルが振り向く。キリの眉がぴくりと動く。
「やってみたいことがある」
「やってみたいことって……」
「実験だ」
キリが即座に言う。
「断る」
アイルが楽しそうに言う。
「なにそれ、面白そう!」
ノクスは気にせず続けた。
「売上を上げるには、商品だけでは足りん。感情の設計が必要だ」
視線が双子へ向く。
「この世界の”欲しい”の仕組みを、解体する」
そして結衣を見る。
「お前の職場でな」
一瞬の沈黙。
「……スーパーで?」
「そうだ」
「……また視察じゃないよね?」
「違う」
ほんのわずか、口角が上がる。
「攻めだ」
キリが目を細める。
「……俺たちに何をさせるつもりだ」
「感覚を貸せ」
ノクスは即答する。
アイルへ。
「お前の”なんか変”というやつだ」
「ぼくの?」
「そうだ」
キリに視線を移す。
「そしてお前は、それを言語化しろ」
一拍置いて、静かに言い切る。
「私が構造に落とす」
沈黙。テレビの明るい音が、妙に浮いて聞こえる。
⸻
「守るだけでは限界がある」
誰に向けた言葉でもなく、しかしはっきりと。
「作り替える」
そして最後に、少しだけ柔らいだ声で。
「預けてくれるか」




