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「本当にすまなかった」


 しゅん、と頭を項垂うなだれ、心なしかフルフルと震える黒い生き物――自称魔王は、誠心誠意謝っているように見える。


 これ、一体どうしたらいいんだろうか。


 よく分からない黒い生き物が突然目の前に現れて、今日の楽しみだったお米を食べられて。

 そして今はテーブルの上で正座をして、時折こちらを伺うように真紅の瞳をチラチラと向けてくる。


 不安そうにも見えるその表情は、どうにも犬や猫のような可愛さで、つい頬擦りをしてみたくなる。

 ふさふさの黒い毛を撫で回して、許してしまいそうだ。


「タダ飯はよくない。この体では出来ることは限られるが、何か私ができる仕事はないだろうか?」


「案外、律儀な性格をしてるのね」


「国家の統治者なのだ。ただの暴君では国は回らぬ」


 この小さい体で出来ること……。


 うちのマスコットキャラにでもする?

 招き猫ならぬ、招き魔王。


 うーん、いまいち良い案が思いつかない。

 どうやっても、米袋は持ち上げられそうにないしね。


「ちょっと保留させてもらっていい?」


「うむ、承知した」


 しょうがない、とりあえず夕飯はカップ麺かな。

 来月までさようなら、私の魚沼産コシヒカリ……。




 結局、カップ麺を用意する間も、魔王は「なんだそれは」と言わんばかりのキラキラした目でこちらを見ていた。


 仕方なくもうひとつ用意してやれば、目を輝かせて短い手足を使って麺を食べた。


 食べ終わった後も、あれはなんだ、これはなんだと話しているうちに、兄といつの間にか打ち解けていたようだった。

 今は兄が語り出すと止まらない「米談義」を、ふむふむと頷きながら聞いている。


(……まぁ、お米のことに関して言えば私も人のことは言えないんだけどね)




 風呂から上がり、髪を乾かしながらテーブルの上に広げられた帳簿を眺める。

 相変わらずミミズが這ったような文字は健在で、どう見ても結衣の頭の痛い問題であることに変わりはなかった。


「お兄ちゃーん、お風呂上がったよー」


「あぁ!」


 作業場で米談義をしていた兄と魔王が戻ってきて、兄は肩の上に乗っていた魔王をテーブルの上に置いた。




「こめ、というのは中々奥が深いのだな。あんなに小さな粒なのに、色や形で分けた後に、更に品質を均一にするために“ぶれんど”なるものを施すとは……」


「ただ良い米を使うだけだと単価が上がりすぎちゃうからね。お店とかで使うのは、よっぽど銘柄にこだわりがなければブレンド米の方が多いかな」


「同じような粒に見えるのに、更に品種まで多いとは……お前たちは腕の良い職人なのだな」


「そこまで褒められると、ちょっと照れるわ。どこのお米屋さんも、こだわりながらやってると思うよ?」


「むぅ……出来ることなら、我が領地でも取り扱いたい」


「ふふ、その時はご贔屓に」


 お得意先に魔王とかいたら、うちの米屋も安泰かも……なんて。


 実に惜しい、とぶつぶつ呟く魔王の視線が、テーブルの上に乱雑に広げられた帳簿へと向けられたことで止まった。




「……これは? まさか、この店の帳簿か?」


「うん、そう。よく分かったね。字、読めるの?」


 魔王と名乗るぐらいなのだから、この世界の生き物ではない。

 見た目からして地球上の生物でないことは確かだし、ましてや日本語は難しい部類の言語なのだ。


 それを、さっき現れたばかりの黒い生き物が理解出来るとは到底考えられそうもなかった。



「かんじ、とやらはまだまだ読めないが、ひらがなとカタカナは理解した。音と文字が一致すれば、読めぬことはない」


「……魔王って、かなり頭良いの?」


「何年魔王領を統治していると思っている。うめき声のような獣のような言語も飛び交う魔族領にて、共通言語で迅速な取引を可能にしたのだぞ」



 そう言って魔王は帳簿の端から端までを見渡し、小さく唸った。



「……なるほど。これは単なる記帳の乱れではないな。数字が繋がっていない。原価率、回転率、在庫評価、すべてが分断されている」


「……え?」


「仕入れと販売のタイムラグが考慮されておらぬ。月次で在庫を締めていない上に、銘柄別の粗利管理もされておらぬな。これでは損益分岐点が見えぬ」


「……え??」


「さらに、業務米と小売米を同一勘定で処理しているのは致命的だ。価格弾力性が違う市場を混ぜれば、戦略は必ず歪む。これは会計の問題であると同時に、経営戦略の欠如だな」




 魔王の言葉は止まらない。

 小さな体で帳簿の上を歩きながら、真紅の瞳が数字を追っていく。



「ブレンド設計も感覚頼りだ。歩留まり、ロス率、炊飯後の評価まで数値化されていない。品質が良いのに“価値”として提示できていないのは、実にもったいない」



「ちょ、ちょっと待って!!」


 結衣は思わず声を上げた。



「ごめん、えっと……今の話、たぶん全部、私には分からない」



 魔王はぴたりと動きを止め、きょとんとこちらを見た。



「……む?」



「原価率とか回転率とか、なんかすごくヤバそうなのは分かるけど、つまり、うちのお店はどうなってるの?」




 数秒の沈黙。

 やがて魔王は小さく咳払いをした。




「……すまぬ。少々、癖が出た」


 そう言って、帳簿の一ページをぺち、と指で叩く。


「簡単に言おう」



 結衣の目を見る。



「お前たちは、良い米を、ちゃんと扱っている。

 だが、どれだけ儲かって、どこで損をしているのかが、自分たちでも分かっていない」


「……あ」


「どの米が、どれくらいの利益を生んでいるか。どの取引が店を支えていて、どれが足を引っ張っているか。それが数字として整理されていないのだ」



 魔王は帳簿を指でなぞりながら続ける。



「だから、不安になる。忙しいのに、楽にならぬ。頑張っているのに、先が見えぬ」


 結衣は言葉を失った。


「だがな」


 魔王は、ふっと笑ったように見えた。



「これは“ダメな店”の帳簿ではない。伸びしろしかない帳簿だ」



「……伸びしろ?」



「そうだ。やることは多いが、順番に直せばいい」



 指を一本立てる。



「まず、帳簿を“読める形”にする。

 次に、儲かる米と支える米を分ける。

 そして、お前たちが無理をせず続けられる形を作る」



 小さな体で胸を張る。



「素材も、人も、技術も揃っている。足りぬのは、整理された戦略だけだ」



 結衣は思わず呟いた。



「……それ、魔王の仕事なの?」



「本来は国の行く末を量るために使う目だ」



 真紅の瞳が、まっすぐこちらを射抜く。



「だが、タダ飯はよくないと言っただろう?」


 一拍置いて、静かに宣言する。


「私がやろう。この店を立て直す」



 そして、当然のように続けた。




「まずは――“今日から一週間分”、お前たちの店の流れを見る」

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