第13話 魔王、職場に潜入する
(――ロッカーの中で待機中)
ノクスが「職場を視察する」と言い出してから、三日目。
「絶対に却下!」
「何故だ。今のままではお前自身のためにもならないだろう」
「まぁまぁ、二人とも落ち着けって」
スーパーの現状を把握するために、実際の現場を見たいと言い出したノクス。
けれど、結衣は絶対に反対だった。
こんな無駄に色気を振りまく美形が片田舎のスーパーに出没すれば、噂好きなパートのおばさんたちは結衣を問い詰めるに決まっている。
もちろん、結衣に優しくしてくれる人もいるけれど、癖の強い人だって何人もいるのだ。
絶対に後から面倒な事になるに違いない。
現場を見たいノクス、それを阻止したい私。
そしてそれを宥める兄、という構図が、ここ数日続いている。
「結衣も分かってるんだろ? ノクスは結衣が心配なんだよ。だよな?」
「……う、うむ」
いや、仕事中毒気味のノクスのことだ。
絶対に現状改革をとか叫び出すに決まってる、と結衣は思った。
最初に言い淀んでいるのが何よりの証拠だ。
「ノクスも、ずっとその人型じゃいられないんだろ?」
「そうよ、人前でちんまりした姿に戻ったら、なんて説明するのよ」
「……ちんまり、じゃない。あれは魔力量に体が合理的を求めた結果だ」
形勢は不利だと悟ったのか、不服そうな表情のノクス。
「以上、これでこの話はおしまい!」
パン、と手を叩いて強制的に話を遮った結衣は気づかなかった。
ノクスの瞳の奥に宿る、静かな決意の光を。
⸻
「今日も遅いのか?」
「今日はお昼までだよ」
いつものように玄関まで見送りにきたノクス。
確認をするようにこちらを見る。
いつもだったら人型の姿で見送りにくるノクスは、珍しく小さい姿のままだった。
けれど、結衣はこちらの方が見慣れてしまっているし、見た目の可愛さから本当はずっとこっちの姿でもいいのに、なんて考えてしまうほど、日常の中にノクスの存在が溶け込んでいる。
「あ、しまった。携帯忘れた」
いつも入れているはずのポケットに携帯がないことに気づいた結衣は、履こうとした靴から足を取り出して居間に向かう。
戻ってきた時には、小さなノクスはいなくなっていた。
(今日のノクス、ちょっと変だった……?
昨日、強く言い過ぎたかな……)
明日は久々のバイトのない日。
自分の働く場所に連れ出すのは難しいけれど、気分転換に外に連れ出してあげるのもいいかもしれない……。
考えてみれば、豊と結衣の配達についてくるぐらいで、外に出ることはほとんどないノクス。
ずっと家の中じゃストレスが溜まるに決まっている。
仕事用のバッグを肩にかけ、誰もいない玄関を後にする。
いつもなら、後ろから聞こえてくるはずの
『気をつけるのだぞ』というお節介な小言がない。
たったそれだけのことが、まるで家の明かりを消し忘れた時のような、妙な落ち着かなさを私の中に残した。
そのせいなのか、やけに体が重く感じる。
……いや、気分の問題ではなかった。
物理的に重かったのだと分かったのは、バイト先の更衣室で着替えようとバッグの中を開けた時だった。
キュルン、とした可愛らしい目と結衣の視線が絡み合う。
「……〜〜っ⁉︎」
思わず叫びそうになる自分の口を押さえる。
突然のことにパニックになっているせいか、結衣の心臓はバクバクと音を鳴らす。
「落ち着け」
「ちょ、な、なんで⁉︎」
思わず後ろを振り返ってあたりを見渡すが、タイミングの良いことに他のパートさんはまだ来ていない。
「お、落ち着いていられるわけないでしょ⁉︎
何で着いてきたの!」
「昨日のまま引き下がる私と思うなよ?」
「ちょ、今そんな自信たっぷりに言われても……‼︎」
えっへん、と言わんばかりに胸を張るノクス。
可愛くもあり憎たらしくもある。
その時、ドアの向こうから談笑する声が聞こえてくる。
他のパートさんたちがやってくる!
「いい⁉︎ 絶対にこの中で大人しくしててよ‼︎」
「おい、ゆ……」
制服を引っ掴み、バタン、とロッカーの扉を閉めたタイミングで更衣室の扉が開かれた。
「あ、おはようございます」
「結衣ちゃんは毎回一番に来ててえらいね〜」
「お、おはようございます……は、早起きは得意で……」
若いのにたいしたもんだと笑うおばさん達は、結衣の様子に気づくこともなく自分のロッカーを開ける。
「そういえば、聞いたわよ? またこの前急にシフト入れられたんでしょう?」
「もう、断ればいいのに」
「大体、店長が甘い態度取るから、こういう事になるのよね〜」
「そうよ。この前急に休んだ中井さん、体調悪いって休んだのに、次の日なんかピンピンしてたもんね」
「一言、昨日はすみませんでした、って言ってくれれば、こっちもまだ気分が収まるのにね‼︎」
「でも、全然反省してないのに、ただ謝ればいいって思ってる渡瀬さんみたいなタイプも嫌じゃない?」
「そうそう‼︎ 今月何回休んだっけ……もう5回くらいは休んでない?」
「本当に、そういう人達のツケがこっちに回ってくるのは我慢ならないわよね!」
(やめて、そんなことより今は私のロッカーに注目しないで!
お願いだから早く更衣室を出ていって!)
結衣は心の中で祈りながら、必死に『いつもの自分』を演じた。
背後にあるロッカーの隙間から、ノクスの赤い瞳がじっとおばさんたちを観察しているような気がして、生きた心地がしなかった。
日頃の愚痴で盛り上がるおばさん達は着替えが終わると、
「結衣ちゃん、今日も頑張ろうね」
と声をかけて更衣室を出ていった。
何とか気づかれずにやり過ごせたと思った瞬間、結衣の肩から力が抜ける。
閉じていた自分のロッカーを開ければ、悪びれた様子のないノクスの姿。
「言われた通り、大人しくしていたぞ」
がしり、と音が響いたような気がしたのは、気のせいではないかもしれない。
いつもならふわふわな頭を触って、その柔らかな毛並みを楽しむ余裕は、今の結衣にはない。
「ゆ、結衣……?」
「段々と力が強く……いたた!」
ここ数ヶ月、米屋の作業や配達で鍛えられた筋力は並大抵のものではない。
そこら辺の、ひ弱な男子より強い自信が結衣にはある。
ノクスの小さな頭を掴んだ結衣は、余す事なくその力をノクスにふるう。
「いい? 私が戻ってくるまで、絶対に動かないこと。
返事は、はいかYESしか受付ない」
「それはどちらも同じ意味……っ いたたたた‼︎
分かった、分かったから‼︎」
ようやく力を緩めると、ノクスは耳をぺたんと伏せて恨めしそうにこちらを見上げてきた。
ちょっとだけ涙目になったノクスには、帰ってからたっぷりお説教だ。




