番外編3
魔王、洗濯機と戦う
豊は作業場にいる。
結衣はバイトに出ている。
昼間の静かな家に、魔王は一匹だった。
スマホで調べ物をしていたのだが、どうにも集中できない。
理由は単純だった。
ごぽん、ごぽん。
「……」
さっきから、家のどこかで妙な音がしている。
規則的で、低く、くぐもった音。
魔族領でも聞いたことのない類のそれに、魔王の耳がぴくりと動いた。
(……何だ)
作業場から聞こえる精米機の音ではない。
もっと近い。
小さな足を動かし、魔王は音のする方へと歩き出した。
廊下。
突き当たりの扉。
ごぽん、ごぽん、ごぽん。
(……ここか)
扉の隙間から覗き込むと、そこにあったのは――
白くて四角い、見慣れない物体だった。
丸い窓のようなものが前面についていて、その中で何かがぐるぐると回っている。
(……魔道具、か?)
魔王はじりじりと近づいた。
丸い窓に顔を近づけてみると、中では布のようなものが渦を巻いている。
(水を使う魔道具……衣類に関係している?
いや、それにしてはこの音は――)
そこまで考えた、その瞬間だった。
ガタタタタタタ!!
「なっ――!?」
白い物体が、突然激しく揺れ始めた。
床を叩くような振動。
唸るような駆動音。
部屋全体に響き渡る、ガタガタガタ、という轟音。
魔王は飛び退き、本能的に臨戦態勢を取った。
(ば、爆発するのか!?)
赤い瞳が、素早く状況を分析する。
煙は出ていない。
炎もない。
だが、この振動、この音――尋常ではない。
(豊を呼ぶべきか……)
作業場は遠い。
(……いや)
魔王は、自らの前足を見た。
魔力は、ほとんど残っていない。
結界魔術を張るには、圧倒的に足りない。
(ならば――)
次の瞬間、魔王は動いた。
扉を勢いよく閉める。
そして、両手両足を踏ん張り、全体重をかけて扉を押さえた。
(この体を盾にするしかない!
せめて被害を最小限に――!)
ガタタタタタタ!!
「くっ……!」
振動が、小さな体に直接伝わってくる。
押さえているのに、じりじりと扉が揺れる。
(この魔力量でどうにかなる相手ではないが……
せめて時間を稼ぐ……!)
ガタタタタタ。
ガタタタタタ。
「くっ……くぅ……!」
そこへ。
「……何してんだ?」
作業場から出てきた豊が、廊下で仁王立ちする魔王を見て、ぽかんと口を開けた。
「豊! 丁度良い、加勢しろ!
この魔道具が今にも爆発する――」
「爆発?」
「早く! 結界が張れないこの体では長くは――」
「いや、あの」
豊が眉をひそめる。
「それ、洗濯機だけど」
「洗濯――」
その時、玄関の扉が開く音がした。
「ただいまー。……あれ、どうしたの?」
バイトから帰った結衣が、廊下の光景を見て首を傾げた。
扉に体当たりしている魔王と、困り顔の豊。
「結衣! 豊! 早く逃げるのだ!
この魔道具が――」
「え、何から?」
その瞬間。
ぴー、ぴー、ぴー。
間の抜けた電子音が、静かに三回鳴った。
振動が、嘘のようにぴたりと止まる。
沈黙。
魔王は扉から手を離し、ゆっくりと振り返った。
「……」
「……」
「……脱水、終わったね」
結衣が、努めて平静な声で言った。
魔王は何も言わなかった。
ただ、静まり返った洗濯機を、じっと見つめていた。
「……魔道具、ではなかったのか」
「魔道具じゃないよ」
「……爆発も、しないのか」
「しないよ」
長い沈黙。
「……そうか」
魔王は小さく咳払いをして、すたすたと廊下を歩き出した。
「……知らなかっただけだ」
「うん」
「……断じて、怯えたわけではない」
「うん」
「……この件は、忘れろ」
豊と結衣は顔を見合わせた。
それから。
同時に吹き出した。
「笑うな!!」




