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間話 魔王の独白

執務室は静まり返っていた。

 魔力灯の規則正しい明滅、書類の山、完璧に制御された結界。

 すべてが、いつも通りだ。


 ノクスは最後の書面に署名し、ペンを置いた。

 思考を一区切りさせ、ソファへ身を預ける。


 ――その瞬間。


 世界が、ずれた。


「……?」


 言葉にするより先に、足元が淡く光る。

 床に浮かび上がったのは、見覚えのない魔法陣。


 否。

 見覚えがないのではない。


 この城に“存在してはならない”術式だ。


 反射的に立ち上がろうとして、身体が動かない。

 筋肉でも、魔力でもない。

 存在そのものを固定されている感覚。


「馬鹿な……」


 干渉不可の城。

 外界からの侵入、観測、接触――そのすべてを拒むはずの場所だ。

 人間は論外。同格の魔族でさえ不可能。


 だが、魔法陣は応えるように輝きを増し――次の瞬間、ノクスは理解する。


「……吸われているな」


 魔力が、抜かれていく。

 無秩序な収奪ではない。目的を持った、選別された搾取。


 苛立ちより先に、冷静な分析が浮かぶ。


(……外側、か)


 この世界の理屈の内側ではない。

 それだけは、はっきりしていた。


 視界が歪み、城の輪郭が遠ざかる。

 結界が、まるで意味を失ったかのように剥がれていく。


(血……?)


 一瞬、そんな感覚が走る。

 自身に流れる何か――個ではなく、連なりを掴まれたような。


 だが、考察はそこまでだった。


 次の瞬間、ノクスは暗闇へ投げ出される。

 上下も、距離も、時間も曖昧な虚無。

 身体は重く、魔力はほとんど残っていない。


(このままでは……消えるな)


 死そのものに恐怖はない。

 だが、理由も分からず終わるのは、性に合わない。


 ――その時。


 ふわりと、匂いがした。

 温かく、穏やかで、どこか懐かしい、穀物の香り。


(……何だ)


 手に触れる器。立ち上る湯気。

 竜種であるノクスにとって、この程度の熱は問題にならない。


 半ば無意識のまま、口へ運ぶ。


「…………」


 ――美味い。


 それだけでは終わらなかった。


 喉を通った瞬間、枯渇していた魔力が、確かに微かに戻る。


(回復……? いや……)


 理由は分からない。

 だが、身体が理解している。


 これは、今の自分に必要なものだ。


 そこで、違和感に気づく。


(……小さいな)


 手も、足も、視界も。

 魔力低下に耐えきれず、肉体が幼体へと変じたのだろう。


 不本意だが――合理的ではある。


 闇の底でそう結論づけた、その時。


 閉ざされていたはずの空間に、ふいに“割れ目”が生じた。

 暗闇を裂くように、一本の光。


「……今度は、どこだ」


 小さな粒の、最後のひとつを口に放り込んだ、その瞬間。


 身体ごと引き寄せられ、上下も、前後も、意味を失う。

 落ちる感覚――否、放り出されるというほうが近い。


 そして。


 一気に、視界が開けた。


 見たこともない素材に囲まれた空間。

 鼻をくすぐる、先ほどと同じ穀物の匂い。


 その正面で、

 呆然とこちらを見つめている――人間の女。


(……ほう)


 そう認識したところで、

 初めて“世界が切り替わった”ことを、ノクスは理解した。



 稲宮兄妹と関わろうと思ったのは、最初は魔力を回復するための“コメ”とやらを手に入れるためだった。

 勝手に人のものを食べてしまったのは気が引けるし、何より――何かしら働いていないと落ち着かない。


 携帯、テレビ、パソコン……


 ありがたいことに情報を調べるのは簡単で、

 わからない“漢字”とやらも、小さな箱――スマホとやらを操作すれば、ふりがなのついた情報が即座に表示される。


(……何だこれは)


 知識を得るために、対価も、儀式も、契約もいらない。

 指先ひとつで、世界の記録に触れられる。


 ここは、なんと贅沢な世界なのだろうか。


 ……ここが自分の世界ではないことは理解していた。

 過去、この“地球”の事例を遡って調べても、魔族やエルフ、ドワーフなどの文字は一言も出てこない。


 それどころか、ここは人間しかいない世界のようだった。


 代わりにあるのは“人種”と言われる、地域や言語、見た目が多少違うくらいの区分だけ。

 人間だけの世界ということに、心底驚いた。


 魔術を使えない代わりに発達した技術は、自分の世界では遠く及ばないほどに進化している。

 ありとあらゆる人間の営みや思想、それに基づく経済の動向を細かく分析できる。


 けれど、どんなに分析しても、実際に体験してみないと分からないことは山ほどある。


 特に感じたのは、人情や信頼という、目に見えない部分がごく身近に山ほど存在しているということだ。

 分析では、日本という国は特にそれが強い。


 それは歴史的な背景から来るものだったり、島国という独特の地形から来るものだったり、

 そうすることが生きていく上で社会的に合理的だった部分もあるのだろう。


 魔族領を治めるノクスからすれば、契約という確固たる取り決めが全てだし、

 それがあるからこそ異種族間の諍いを収めてきた部分もある。


 しかし、それは逆に互いに縛りを与えるのと同じで、何より膨大な事務作業が待っている。


(……もし元の世界に戻れるなら、そこは改善する余地もあるかもしれない)


 そして――何よりも感動したのは、米という穀物の美味しさだ。

 魔力回復のために結衣に持ちかけた話だが、どれを食べても美味い。


 味が特別濃いわけではないのに、美味しいと感じられるのは“うまみ”があるからなのだろう。


 最近、結衣のこちらを見る眼差しが「食いしん坊な魔王」という位置付けにされている気がしてならないが――仕方あるまい。


 色々な情報を集めていく中で、人情や信頼以外にもしっかりと契約というものが存在することを知った。

 豊に相談すれば二つ返事で協力してくれることになった。


 まずは雇用契約を結ばなくてはならない。


 結衣がいない午前中に、豊にこっそり連れてこられたのは箱型の何か。

 履歴書を書きたいと言ったら、ここに連れてこられたが……


「……っ豊、動くな。指定された位置からズレる」


「分かってる!……っ!……体がいてぇ」


 小さい機械にガタイの大きい男が、自らの体が映り込まないように縮こまり、手だけで魔王を持ち上げるのは、かなりの至難の業だった。


 上下に動かせる椅子は固定されていて、椅子と壁の間に大の大人がしゃがみ込んでいるのだから、それは確かに体も痛くなるだろう。


 けれど、豊には我慢してもらうしかない。

 雇用契約を結ぶために。


 何とか撮れた写真を使って、豊に見てもらいながら履歴書を書いていく。


(……この履歴書とは案外便利なものかもしれない。魔族領にも、是非取り入れたい……)



 結衣との面接も無事に終わり、晴れて契約を結ぶ形になった。


 これまでに溜まった魔力を解放し、本来の人型の姿へと戻れば、

 結衣は突然のことに呆然となっている。


 けれど、ずっとこの姿を保てるほど魔力はない。

 だから、魔術式を急いで結衣の手の甲に施したのだが……



「結衣、何を怒っている?」


「……別に!怒ってないし!」


 突然顔を真っ赤にしたり、急に怒り出したりと、

 やはりまだまだ分からないことは多そうだ。


(……業務内容に、“結衣を癒す”ことは、想定以上に重要かもしれない)


 ――この家にいる限り、私はもう、ただの客ではいられないのだから。

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