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第11話 魔王、名を明かす

 (炊飯器から出てきた魔王と面接したら、急にイケメンになって契約されたんだが)


 結衣は一度、小さく深呼吸してから居ずまいを正した。

 そして、テーブルの上に置かれた「職務経歴書」に視線を落とす。


 ――そこには、この世界の常識を軽々と踏み越えた、

 あまりにも物騒で、あまりにも輝かしい経歴が、堂々と並んでいた。


「……では、面接を始めます」


 自分で言い出したくせに、少しだけ喉が渇く。


「えーと……まずは経歴の確認から。前職は……」


 指でなぞりながら、読み上げる。


「『魔界統一、および諸侯の制圧・統治』で、間違いないですか?」


「左様」


 魔王は短い腕をぴんと伸ばし、胸を張った。


「混沌とした魔界を、法と兵站――すなわちロジスティクスをもって平定した。特に冬期における十万の軍勢の食糧確保、および分配においては、過去千年の歴史を見渡しても類を見ない成功を収めたと自負している」


「……じゅ、十万」


 結衣のペン先が、止まる。


(十万……うちの常連さん、百人もいないんだけど)


「えーと……では、次。特技の欄ですね。

 『広域殲滅魔法』と……『効率的な税制の構築』?」


「広域殲滅魔法は、この世界では使い道が限られるだろう」


 少し残念そうに言ってから、すぐに続ける。


「だが応用は可能だ。掃除、害虫駆除、在庫処分――」


「在庫処分に殲滅使わないで!」


 即座にツッコミを入れると、魔王は咳払いを一つ。


「……冗談だ。だが税制は重要だぞ」


「税制……?」


「これは貴様の店の価格設定に通ずる。

 客から搾り取るのではない。客が“納得して、喜んで支払いたくなる”体系を作るのだ」


 小さな体で、妙に説得力のあることを言う。


「心理的満足度の高い価格構造――すなわち、信頼だ」


「……米屋で、そこまで考えてる人、あんまりいないと思う」


「だからこそ、勝てる」


 きっぱりと言い切られて、結衣は言葉を失った。


 ――次だ。

 一番、触れたくない欄。


「……自己PR」


 読み上げた瞬間、結衣は思わず天を仰いだ。


「『前職では、私の指示一つで数多の都市が陥落しました。その決断力と実行力を、貴殿の米屋の在庫管理および新規顧客開拓に捧げます。なお、残業代は不要ですが、賞与として週に一度の特上アイスクリームを要求します』」


「……あのね」


「何だ」


「うち、従業員は私とお兄ちゃんの二人だけなんだけど」


「把握している」


「都市を陥落させるレベルの決断力で、在庫のコシヒカリをどうするつもり?」


 少し意地悪に聞くと、魔王はむしろ満足そうに笑った。


「在庫とは、眠っている兵力だ」


「兵力……」


「それを適切な場所に配置し、回転させ、腐らせぬ。規模の大小は関係ない。本質は同じだ」


 赤い瞳が、まっすぐ結衣を見据える。


「私は『勝てる戦』しかしない」


 そして、ほんの一瞬、声が低くなる。


「……結衣。私は本気で、この店を、この地域の覇者にしようと思っている」


 冗談みたいな言葉。

 でも、履歴書に並ぶ文字には、一点の曇りもない。


 魔王は、本気だった。


 この小さな米屋の未来を、かつての帝国の興亡と同じ重さで背負おうとしている。


「……最後」


 結衣は、少しだけ声を落とした。


「志望動機。

 『この地で出会った最初の民が、あまりに無防備であったため。放っておけば滅びる運命にあるその城(店)を、わが名において守護するため』」


 読み終えたあと、しばらく沈黙が落ちる。


「……これ、ちょっと大げさじゃない?」


「事実だ」


 即答だった。


「無防備で、誠実で、踏み躙られやすい。だが、だからこそ守る価値がある」


 その言葉に、結衣の胸が、静かに鳴った。


 魔王は背筋を伸ばす。


「正式な条件のもとで、結衣と並び立ちたい」


 ――それは、雇用の話であり、

 その先にある“契約”への、はっきりとした意思表示だった。



「……結衣」


 名前を呼ばれて、肩がわずかに揺れる。

 落ち着いた声。手のひらに乗るほど小さな体から発せられているとは信じられないほど、その響きは深く、部屋の隅々まで満ちていく。


「一つ、確認しておきたい」


「う、うん……」


 意を決して顔を上げると、真紅の瞳と目が合った。

 逸らせない。逃がさない。

 見られている、というより――魂の重さを測られているような感覚に、結衣はめまいを覚えた。


「私は、お前の選択に口を出す。その代わり、結果からは逃げない」


 一言一言が、断罪の鐘のように静かに落ちてくる。


「それは、軽い関係ではない」


 そう言って、魔王はテーブルの上をトテ、と一歩だけ進み、身を乗り出した。

 距離が縮まっただけ。触れてはいない。それなのに、物理的な圧に押されたかのように、呼吸が浅くなる。


 結衣の身体は金縛りにあったように動かなかった。


「だから、私は曖昧な立場を取らない」


 赤い瞳が、書類の上に置かれた結衣の手を見る。

 そして、また吸い込まれるような赤と目が合う。


「結衣が首を縦に振るなら、私はこの店を背負う」


 一拍。


「――お前自身もだ」


「……え?」


 声が、思ったより高くなった。


「勘違いするな。私情ではない」


 即座に言われる。

 だが、その距離、その視線、その有無を言わせぬ王の覇気で言われれば――。


「城とは、場所だけでは成立しない。人がいて、日々があって、初めて守る理由が生まれる」


 魔王は、静かに言った。


「私は、それを理解した上で、ここにいる」


 沈黙。

 心臓の音だけが、やけに大きい。


(雇用の話、だよね。ちゃんと、仕事の話なのに)


 なのに、まるで一生を捧げる誓いを立てさせられているような、そんな錯覚に陥る。


「……それって」


 言葉を選ぶ前に、口が動いた。


「覚悟、いるやつ?」


「左様」


 迷いのない返事。

 ふわふわの耳が揺れる可愛らしい姿と、その冷徹なまでの誠実さが、結衣をさらに混乱させる。


「互いの覚悟を、形にする。それが、契約というものだろう?」


 結衣は、思った。


(……なんで、こんなに緊張してるんだろう)


 相手は、小さくて、ふわふわしていて、癒し系のはずなのに。

 それなのに、目の前の魔王から視線を外せない。

 胸の奥が、理由もなくざわついている。


「……わかった。そこまで言うなら」


 結衣は、震える手を膝の上でぎゅっと握りしめた。

 この「覚悟」が何を指すのか、正直、今の結衣には完全には理解できていない。

 けれど、この赤い瞳から目を逸らしてはいけないことだけは、本能で分かっていた。


「……採用、だよ。よろしく、魔王様」


 結衣が小さく頷いた、その瞬間。

 魔王の口角が、これまで見たこともないほど深く、不敵に吊り上がった。


「――よろしい。契約は成った」


 次の瞬間、瞬き一つで魔王の姿がかき消える。


 代わりに結衣の目の前にいたのは、この世に存在するのかと思うほどに美しい、黒髪の青年だった。

 燃えるような真紅の瞳は、ここ最近では見慣れていた色なのに、まったく別物のように感じられる。

 ゆるく結ばれた黒髪の一部が顔にかかり、その隙間から覗く顔貌は、目眩を覚えるほどの色気を放っていた。


 ついさっきまでテーブルの上にちょこんと乗っていた存在が、今は見上げるしかない位置に立っている。


 ただそこにいるだけなのに、空気の密度が変わったように感じる。

 この部屋のすべてが、彼を中心に回り始めたかのようだった。


 青年は片膝をつき、結衣の左手を手に取る。

 動かし方を忘れてしまったかのように、結衣はただ見ていることしかできなかった。


 青年の唇が、手の甲のすぐ上まで近づく。

 触れてはいない。

 だが、吐息が確かに肌に触れた。


「いついかなる時も、稲宮結衣に我が力のすべてを捧げることを誓う。

 我が名は魔王ノクス。……結衣、私の名を呼べ」


「……の、くす?」


 静かな光とともに、結衣の手の甲に不思議な模様が浮かび上がった。

 じんわりと熱を持つそれは、不思議と鼓動に合わせて脈打っているように感じられる。


 ノクスの視線が結衣と絡み合う。

 息がかかるほどの距離を、改めて認識した次の瞬間――


 ポンッ


 小さな音を立てて青年の姿はかき消え、代わりに見慣れた黒い小さな体が現れた。


「……む。やはり、まだ人型でいるには魔力が足りないようだ」


 やれやれと首を振る魔王は、それでも満足そうに結衣の手の甲を見て頷いた。


「これで、正式に結衣は私の雇用主、というわけだ」


「こようぬし……〜〜っ//」


 今になって、結衣の心臓が爆音を鳴らし始める。


「どうした? 顔が赤い。……まさか、施した魔術式が体に合わなかったのか!?」


 お願いだから、ちょっとその口を閉じててよ!


 結衣の声にならない叫びが、胸の奥で弾けた。

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