第1話 魔王、米を食べる
(炊飯器から魔王が出てきて、私の魚沼産コシヒカリを全部食べたんだが)
玄関を開けた瞬間、鼻腔をくすぐる甘い香りに、思わず頬が緩んだ。
炊きたてのお米の匂い。
それも、ただのお米じゃない。
(もうすぐ……!)
財布を置く間も惜しくて、しゃもじを手に取った——その瞬間だった。
まるで目の前で閃光弾が炸裂したみたいな光が、キッチンいっぱいに溢れた。
「——ッ!?」
反射的に目を瞑る。
光が収まって、恐る恐る目を開ける。
炊飯器の蓋が、いつの間にか開いていた。
白い湯気が、ゆらゆらと立ち昇っている。
でも。
そこにあるはずの、白銀に輝くお米が——ない。
代わりに。
炊飯器の縁にちょこんと腰を下ろしていたのは、体長十五センチほどの、見たことのない生き物だった。
全身を覆う、ふかふかの漆黒の毛。
小さな角。
宝石みたいに赤い瞳。
モゴモゴと動く口には——
お米。
それも。
私が月に一度、何より楽しみにしている。
魚沼産コシヒカリ。
「……お前」
その手のひらにある、輝く白い粒を確認した瞬間。
全身の血が、沸騰した気がした。
「私の魚沼産コシヒカリ食べたのかーーー!?」
次の瞬間には、両手でその生き物を掴み、前後に思い切り揺すっていた。
「うおっ! お、おちつけ!」
「落ち着いていられるかーー!! 月に一回の唯一の楽しみを奪われて、怒らないわけないでしょ!!」
「ま、待て! 話せば——」
ドタドタと廊下を走る音がして、寝ぼけ眼の兄が飛び出してきた。
「結衣!? どうした、何があった!?」
「今いちばん邪魔」
一喝すると、兄——豊はすっと口を閉じた。
偉いぞお兄ちゃん。
⸻
こうして始まった事情聴取は、居間のこたつテーブルを挟んで行われた。
黒い生き物は、なぜか正座していた。
腕を組んだ私の隣で、兄は深く頷いている。
何に納得しているのか、一切不明。
(落ち着くのよ、稲宮結衣。何がどうなってるか、順番に整理するだけ)
「つまり?」
淡々と事実を並べる。
「あなたは異世界の魔族。しかも魔王。気づいたら魔力が弱まって小さくなってて、外にも出られなくて、目の前にあった良い匂いの白い物体を食べたら美味しくて、全部食べた」
黒い生き物は、正座したまま小さく肩を震わせた。
「……その通りだ……です」
「そりゃそうだ。うちの米は美味しいからな!」
「お兄ちゃん今黙ってて」
兄は再び口を閉じた。
本当に偉い。
客観的に見て、異様な光景だとは思う。
しゃもじ片手に仁王立ちの私。
炊飯器の横で正座して説教を受ける自称魔王。
謎の納得顔でこくこく頷く兄。
……この家で一番まともなのは私だけなのだろうか。
誰かツッコんで。
⸻
(なんで今日、こんなことに……)
思わず脳裏を過るのは、今日一日の出来事だ。
バイト先のスーパーでは相変わらず、自分の倍以上生きているベテランのおばちゃんたちの間で板挟みになって、こちらの言うことは右から左。
帰ってきたら、兄の手料理が待ち構えていて——
外が焦げて中が生の、謎の目玉焼きを胃に流し込んだ。
しかも今日、帳簿を見直していて、とんでもない事実が発覚した。
父の代からのお得意さんに、ずっとタダで米を渡し続けていたらしいのだ。
しかも、一人じゃなく、何人も。
(お父さん……っ)
数ヶ月前に亡くなった父の顔が浮かぶ。
笑いながら「すまんすまん」と言っている光景が目に浮かんで——思わず拳を握った。
義理や人情は大事にしたい。
でも。
今は令和だ。
物価だって上がっている。
米屋だけでは生活が成り立たなくて、私は大学を中退して帰ってきたのに。
だから。
今夜の魚沼産コシヒカリは、特別なご褒美だったのだ。
バイトの給料が入った時にしか買えない、月に一度きりの楽しみ。
炊き立ての、もっちりした甘さを想像しながら、わくわくして帰ってきた。
それを。
「……美味しかった?」
独り言のように呟く。
正座していた黒い生き物が、ぴくりと顔を上げた。
「……あれは、何だ」
静かな声だったが、どこか確かな動揺を帯びていた。
「穀物と見えたが……我が知るいかなる穀物とも違う。あの柔らかさ、甘み、口の中に広がるあの香り——言葉にしようとすると、どうにも追いつかぬ」
真紅の瞳が、遠くを見るような色をした。
「我が世界には、ない。断言できる。あのようなものは、ない」
一拍。
「だから……つい、止まれなかった」
なんだろう、この気持ち。
怒りが八割。
少しだけ誇らしいが二割。
うちの米を褒められたら、米屋の娘としては素直に嬉しい。
悔しいけど。
⸻
「それで」
私は改めて、自称魔王と向き合った。
「あなた、これからどうするつもり?」
魔力が弱まっている、と言っていた。
外にも出られない、と。
つまりこの小さな生き物は——
しばらく、うちから出られない。
「……本当に、すまなかった」
自称魔王は静かに言った。
赤い瞳が、まっすぐこちらを見る。
「お前の大切なものを、奪った。それは事実だ」
じっと、こちらを見つめてくる。
不安そうにも見えるその表情は、どうにも犬や猫のような可愛さで——
思わず頬擦りしてしまいそうになるのを、私はなんとか堪えた。
(……とりあえず、今夜の夕飯どうしよう)
来月までさようなら、私の魚沼産コシヒカリ。
※本作品はフィクションです。
登場する人物・団体・出来事はすべて架空のものです。
令和という時代の中で、お米業界をはじめとする第一次産業に携わる方々の想いと努力に、感謝と応援を込めて綴っています。
読後に、いつもの一膳のごはんが少しだけ特別に感じられたなら幸いです。
※本作は一部、生成AIの補助を用いて執筆しています。
物語やキャラクターは作者自身が大切に作っています。




