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末法の世 1-1 挿絵あり

 挿絵(By みてみん)

 1570年の9月の初め、摂津(大阪)堂島の東の外れにある茶屋でお菊はいつものように義姉のさちに店を任されて切り盛りをしていた。

「菊ちゃん、もう一杯」

「猪串ももう2本頼むわ」

「はい」

 お菊は手慣れた手付きで客に酒を注ぐと今度は焼台の下の炭火の火力を団扇で仰ぎ焼き猪串の焼き上がりの塩梅を調整していた。

「ワシの娘にこんだけ黙々と働く菊ちゃん見ていつもわがままばかり言うな、見習えって説教したいわ」

 少し小太りの川太郎が酔いながら言うと

「それでも娘さんが可愛いから言えんのやろ?ワシらが菊ちゃんを贔屓してるみたいなもんやな。ところでさっちゃんどうした?」

 細いが筋肉質の山兵衛が返したのである。

「さち姉は仕入れに行ってるよ。留守番は大丈夫だよ。あ、焼きあがった。どうぞ」

 お菊が焼きあがった焼き猪串を提供しながら軽く返すと

「偉い返しやな!感心やね!じゃあもう一杯!」

 川太郎はそう言うと酒を飲み干し

「お前の飼い主は偉いな!お前もな!」

 山兵衛も焼き猪串を食らいながらお菊が飼っている店の看板猫の虎の頭を撫でまわした。虎は迷惑そうな顔をしたが客の対応には慣れており大人しくしていたが。


 その時である。

「ん?なんだ?」

「どこの兵だ?」

 東から軍がこちらに向かって進んで来るのに気付いたのである。


「お菊ちゃん!分からんから店を閉めた方がええよ!」

 茶屋の隣の野菜屋の旦那がお菊に声を掛けた。

「え?でも!どうしよう」

 お菊もどうしたら良いか分からず戸惑ったのである。

「菊ちゃん!心配無用や」

「ここは顕如様の息の掛かってるとこや!みんな静かに通るだけや!元三好兵を舐めてもろうては困るな!はん!」

 川太郎と山兵衛は酔っていたのもあり勢い良く言ったのである。ただ川太郎と山兵衛が三好兵だったのは事実であるが。また摂津は三好氏の所領であったが実は一番力を持っていたのは石山本願寺の顕如である。顕如に敵対する勢力は皆無であった。

 顕如は石山本願寺を拠点とする浄土真宗の宗主である。顕如の住む石山本願寺はお菊の住む堂島の川を挟んで向こうにあった。石垣を備え周辺を門前町や坊に囲まれた城のような巨大寺院である。摂津だけでなく畿内には浄土真宗を信じる門徒が多数いた。お菊もその一人である。

「ところでよ。どこの兵かな?」

「そやな。あの紋は松永久秀公ちゃうか?」

「あの久秀公?ほんまに三好を裏切ったんかいな。となるとお目当てはこの先の三好三人衆の野田福島城か」

 川太郎と山兵衛はぞろぞろと茶屋の前を通る兵を見ながら小声で言った。この道の先の終点に三好三人衆の野田福島城がある。

「しかし意外と礼儀正しい連中やな」

「松永兵は昔はかなり下衆げすやったけどな。誰か目付がいるんかいな?」

 この時代だが特に足軽や傭兵だがどさくさに狼藉など乱暴を働く輩も多かったがこの兵たちは大人しくきちんと隊列を組んで粛々と進んでいた。

 隊列がしばらく続いた後、大将格と思われる馬に乗った男たちが現れたのである。

「久秀公や!」

「大当たり!おごれや!」

 川太郎と山兵衛は小声で軽口を叩いていた。

 松永久秀は初老の男であるががしゃきっとしていた。その周りには久秀と違う家紋の若い武将を筆頭とした男たちも居た。

「誰やろ?」

「若いな。あれが目付か?」

 川太郎と山兵衛も知らない武将のようだった。

 

 さちとお菊の茶屋は川を渡ってすぐの町の入口にあった。久秀はここで進軍を止めると

「全軍!この町で乱暴狼藉を働いたらすぐに打ち首や!織田信長様の命じゃ!」

 久秀は通る大声で命を出したのである。

「これでええかな?京都所司代殿?」

 久秀はすぐに横に居た若い武将に声をかけたのである。

「結構です。久秀殿」

 若い武将は冷静に返したのである。

 久秀とこの若い武将の会話を聞いて町の住人は恐る恐る顔を出したのである。


「将軍様(足利義昭)を担いだ織田信長公が尾張(愛知)からはるばるここまで来たとはな」

「しかしあの若さで信長公からのお目付けねぇ」

 川太郎と山兵衛の会話が耳に入ったのか

「おい。おぬしらこんな時にも酒盛りなんてなかなかええ度胸やな」

 久秀は店で酒盛りを続ける川太郎と山兵衛に嫌味とも誉め言葉とも言える声を掛けると

「ワシら(三好)長慶様に若い頃はお世話になったんや!」

「昔のあなた様と同じでっせ!」

 川太郎と山兵衛がにやにやしながら返すと

「ふふっ」

 若い武将はくすりと笑ったが

「フン!」

 久秀は不愉快そうに返したのである。

 久秀だが若い頃は畿内の実力者の三好長慶に長く仕えたのである。今はその後を継いだ三好三人衆とは敵対しているがそれだけである。


 若い武将は水色の桔梗の家紋の入った赤い派手な甲冑に紫の陣羽織を羽織っていた。お菊は虎を抱きながらぽかんと様子を見ていた。


 この世は室町幕府が治めていたが応仁の乱(1467年)から始まった長きに渡る諸将たちの終わりなき戦いで室町幕府は力を失っていた。室町幕府将軍足利義昭を気に入らない三好三人衆は義昭を京から追い出すも義昭を担いだ尾張の織田信長が大軍を率いて京に進出し各地で三好三人衆を撃破したのである。そのまま義昭の命と言う形で摂津まで進出した信長は三好三人衆を瀬戸内海の向こうの彼らの拠点の四国阿波(徳島)に追い払おうとしていたのである。

 さちとお菊の茶店のある堂島の南端には三好三人衆の軍が籠る野田福島城がありそれの排除のため織田信長の命で久秀らはここにやって来たのである。


 松永久秀は野田福島城の東側に間を取って陣を展開した。織田信長も今回出陣しており四天王寺に入城。足利義昭も奉公衆の細川藤孝や信長寄りの公家衆と野田福島城の北の島にある三好方の浦江城を攻め落としてそのまま入城したのである。三好三人衆が8千程度に対して信長側は総勢3万近くを展開し戦力は信長が圧倒的優勢であったが野田福島城は南北は川、西は海、街道に面する東側にも堀があり攻め難くさすがの信長もすぐには攻撃しなかったのである。


 さちとお菊の茶店のある堂島の町は信長配下の久秀らが陣取ったおかげで久秀の兵の買い出しなどで賑わったのである。

 ある日、若武者が突如やって来たのである。この日はさちが居たので彼女が対応しお菊は手伝いに回ったのである。

「あら!いらっしゃい!お初かしら?」

 さちが軽く挨拶すると

「そうだな。一見いちげんさんはダメかい?」

 若武者も軽く返したのである。

「全然!歓迎だよ!ご注文は?」

「そうだな。名物と聞いた猪の串焼きとやらと酒をもらおうかな?」

「あいよ!お菊!若旦那にお酒入れてあげて!」

「お嬢さん。ここは長いのかい?」

「そうだね。あの子の父親と母親の代からやってるよ!」

 さちは店の奥で酒の用意をしているお菊を見ながら返した。

「へぇ。あの子のお父上、お母上は?」

「三好と畠山の戦で死んじゃってあたしが店を継いであの子と一緒に健気に生きてるさ!」

 さちは相変わらず軽い口調で言ったが

「そうか。嫌な事を聞いてしまって申し訳ない」

 若武者はさちに生真面目に返したのである。

「乱世だからね。仕方なしさ」

 さちは焼き猪串を焼きながら淡々と返した。

 焼き猪串と酒が出されると若武者はそれを頬張りながら言った。

「俺たちは出来れば野田福島城を戦わずに落としたい」

「海川堀に挟まれて落とし難いもんね!分かる!」

 さちが返すと若武者は店の奥の弓掛に掛けられていた薙刀に感付きそれを見た後さちの正体に気付いたように

「この門前町を取り仕切る一番偉いお坊さんと話をしたいんだが」

「光福寺の頑強様だよ!会ってくれないんかい?」

 若武者はふっと笑うと

「三好を裏切った久秀公とは話したくないとさ」

 さちは頑強の塩対応を聞いて思わず笑ってしまった。

「お嬢さんならその頑強僧正との間を取り繕ってくれるかなと思ってさ。戦をしたくないって悪くないだろ?」

 弓掛の薙刀を再度遠目に見ながら若武者が言うと

「分かったよ。やってみるよ。ところであなたのお名前は?」

「溝尾庄兵衛茂朝だ。主君は明智十兵衛光秀で義昭様の奉公衆さ。信長公にもお仕えしてる。だから信長公からの目付として今回は久秀公と行動してるのさ」

「あ~!明智様って久秀殿の横にいた良い男だね!分かった!へぇ、あの若さで目付ってすごいね」

「ふっ。頼む、お嬢さん。お名前は?」

「さちだよ。お話がうまく行ったら米くらい後でおくれよ」

「もちろん送るさ」

「よし!お任せだね!」

「頼む。さち殿」

 溝尾茂朝は食事を終えると陣に戻って行ったのである。



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