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星に願いを  作者: 唐上遼
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行く末について


 それ、本気で言っているの?


 ああ、本気だ。


 本当に、どうしちゃったの?


 どうもしてないよ、ずっと考えてたことなんだ。


 仕事は?


 辞める


 それで、どうするの?


 しばらくは貯金で食いつなぐ


 そのあとは?


 それはその時考える


 大きいため息が聞こえた。

 わかってた反応だ。それなのに、心が暗くなる。

 

 どうして?


 死んでるみたいに生きたくないんだよ

 これ以上はもう限界なんだ


 どうして!?


 君は泣いている。

 俺だってもう泣きそうだった。


 どうしてもっと早く話してくれなかったの?


 話してるじゃないか、今


 そういうことじゃない!


 お互いに一歩も動けないまま、相手を見る。

 それはもう、知ってる誰かを見る目じゃなかった。


 もういくつだと思ってるの?

 もう普通は子供がいて、もっと出世して、家を持ってたっておかしくない

 でもあなたがそれを望まなかったから、私はずっと耐えてきた

 その私に対していま言う言葉がそれなの?

 

 わかってる


 わかってない!


 わかってるんだよそんなことは!

 でも普通ってなんだ?こんな風に毎日耐えるだけが普通なのか?

 ただただ耐えて、大事な時間を失った実感に押しつぶされていくのが普通なのか?


 それが生きるってことよ


 違う!


 耐えなくちゃいけないことなんていっぱいあるわ!

 でも、生活を続けていけば幸せだって生まれるでしょ!?

 普通に結婚して、普通に家を買って、普通に子供を育てることの何が不満なの!?

 生きることは生活を続けていくってことでしょ!?


 何もやりたいことをせずにただ耐えるのか!?

 それじゃあ生きていない!死んでいるのと同じだ!

 生活がただ続くだけなんて耐えられない!

 死んだっていいからやりたいことをやりたいんだよ!


 いいかげんにしてよ!


 息が詰まる。

 声が抑えられず、熱いものが胸にあるのに、涙が耐え切れずに流れた。

 君はもうとっくに涙でぐしゃぐしゃだった。 


 私と生きてくれないの?

 

 俺と死んでくれないのか?

 

 


 うまくいくわけない、それが今わかった。

 君はそう言って部屋を出た。

 わかってたことだった。

 だが、わかってただけで、対策をいつも打てるわけじゃない。

 俺は一人になった部屋に立ち尽くした。

 背中を焼く感覚が止まらなくて、吐き気がして、もう死んでしまったような気がした。




 君がいなくなった部屋で一人で過ごした。

 自分が思った以上に何もできない人間だと分かった。

 しばらくは休息が必要だった。

 すべてを片付けて、今は束の間の自由だった。




 それから3か月、思った以上に弱っていた体を労り、ろくに生きていないように生活した。

 過去に書いた小説を手直しして、賞に送ってみたが音沙汰はなかった。

 思い付きで書いた短編を有名な投稿サイト「小説家になっちゃおう!」に投稿してみたが、話題にはならなかった。

 毎日マイページからアクセス解析し、見てくれた人の数に一喜一憂した。

 毎日見てくれている人がいると思って心の支えにしていたが、実は自分がチェックしていたのがカウントされていただけだと気付いたときには、しばらく枕を涙で濡らすことになった。

 仕事を辞め、働く気力もないというのに、俺の書いた小説は全然人に読んでもらえていないようだった。

 君が出て行ったのも納得せざるを得ない。

 これは、今の現状は、ただの緩やかな自殺だった。


 俺は死にたかったのか?

 ただ働きたくなかったのか?


 ただ働きたくないだけの不純な動機で書いた文章に人の心が動かされるわけがない。


 俺は生きるのが怖くて死にたいと願い、君は死ぬのが怖くて生きたいと願う。

 ただそれだけだったのか?


 違う

 ただ死にたかったわけじゃない

 ただ投げ出したかったわけじゃない


 俺は何がしたかった?


 貯金を食いつぶすだけの怠惰な生活に、体は慣れて地面と癒着する。




 いつの間にか眠りに落ち、真夜中に目を覚ます。

 今が何時かもわからない。

 時計は音がうるさくて外してしまった。

 携帯電話の電源はもう3日は前から切れたまま。

 手を伸ばす。

 指先に当たるものがあった。手繰り寄せてみると、それは一冊の本だった。

 昔俺が書いたものだ。

 ライトを付けて、改めて読んでみる。



 過去の俺も、死にたがっていた。



 どうしてそんなに死にたいの?



 自分のことが嫌いだった。

 嫌いで、嫌いで、生きているのが苦痛だった。

 なぜそんなに自分のことが嫌いなのか、自問自答を繰り返して、答えにたどり着いた。

 俺は俺を嫌う人間に迎合することで、許してもらおうとしたのだ。

 ちっぽけで、惨めで、くだらない。

 他人から醜いと罵られたことがあった。

 俺はそういう人間の悪意に立ち向かうのではなく、そういう人間と同じ立ち位置に立つことで、許してもらおうとした。

 あなた方が嫌いな人間のことを、私も嫌いですよと迎合することで、それ以上の非難を避けようとした。

 そういう自分のあまりの弱さに、情けなさに気付いたとき、致命的に自分が嫌いになった。

 自分を嫌うことで敵から逃げた自分の弱さを到底受け入れることはできなかった。


 死にたいと思う一方で、死んでしまうのはただ敵の言うことを聞くだけとも感じた。

 相手の言うとおりに死ぬことで、結局誰かに許しを乞うているだけ。

 自分に死ねと言ってくるような相手に気を遣って、自分を傷付ける。

 それは結局立ち向かわずに逃げるだけに思えた。


 どうしてそんなに自分に厳しいの?


 話を聞いてたか?自分に厳しくないから嫌いなんだよ


 自分に甘い人はそんな考え方しない


 俺は逃げたんだよ

 立ち向かわなかったんだ


 立ち向かって死んじゃったほうが正しかった?


 少なくとも今よりは生きていたさ


 経緯はどうあれ、あなたは今生きている

 弱い自分が嫌なら、今から強くなればいいじゃない



 どうして文章を書きたいと思った?

 どうしてこの道で生きていきたいと願った?


 言いたかった言葉が、いつも胸の中で疼いていた。

 言えなかった言葉で、頭の中がぐしゃぐしゃになっていた。

 

 誰かに伝えようとしても、うまく伝えられない。

 伝えたい言葉は、簡単に形にはならない。


 何を伝えたかった?



 誰にも伝えられず、誰にも理解されず、忘れてしまうことが嫌だった。

 自分の感情を、自分の思ったことを、なくしてしまうのが嫌だった。

 生きていれば、忘れてしまう。

 生きていくために、忘れることは必要なのだと思う。

 実感も、感触も、感情も、記憶も、薄まっていく。

 自分の中にあった熱を、なくしてしまう。

 それがどうしても嫌だった。

 形に残したかった。

 失いたくなかった。

 自分自身を失いたくなかった。


 自分とは何か


 一つ思い出すことがある。

 ある人のことを好きになった。

 でも俺は自分が嫌いで、嫌いな奴が好きな相手に近付くことが許せなかった。

 相手の幸せを願うほど、自分はその相手のそばにいるべきではないと思った。

 どうして俺は俺として生まれてきてしまったのか、ただ苦しむためだけに生きているのか、もうとっとと誰かに自分を殺してほしかった。

 血反吐を吐くほど苦しんで、呻いて、苦しんだ末に、俺はその人から離れた。

 それから、十数年が経って、その人のことを偶然聞いた。

 その人が俺に対して、理由が分からないけれど、嫌われてしまって悲しかったと言っていたと知った。

 その時の心境をずっと忘れられない。

 俺のやったことにはいったい何の意味があったのか。



 どうして開き直らないの?


 どうしてって?


 ただ後ろ向きで、人生を呪って何の意味があるの?


 意味って?


 あなたはいったい何がしたいの?



 ただつらくて、つらくて、文章を書いた。

 それが何の意味があるかなんてわからなくて、でも、文章を書かなくては生きられない気がした。

 この苦しみの根底にどうにかして近付きたかった


 俺はあの人の幸せを願っていた。

 ずっと願っていた。

 誰もわかってくれなくても、俺はずっと願っていた。

 何度も何度も書き直して、俺は自分の感じていたことを表そうとした。

 何度も何度も、書き続けることで、自分の思っていたことを形にしようとした。

 そうしなければ、俺はあの人のことをただ嫌っていたことになってしまう。

 あれほど苦しんで、死にたいとさえ思って、泣き叫んだことがなかったことになってしまう。

 俺は、俺だけは知っている。

 今更あの頃のことが変わるわけじゃない。

 でも俺だけにしか、それは書くことができない。


 書けば書くほど、それが事実とはかけ離れたように感じる。

 自分のことをいいように書きすぎてしまうように感じる。

 虚飾なく、偽りなく、物を書くことがこんなに難しいなんて思っていなかった。

 自分しか読む人間がいないものなのに、書けば嘘に感じる。

 何度も何度も書き直して、ようやく少しずつ真実に近付いた気がした。

 どこまで書いても、それはフィクションに過ぎない。

 でも、それは俺にとっては何度も何度も検めた末の事実だった。

 あの時感じた心の形だった。


 過去の失恋から形作った恥ずかしい造形物。

 どうしてそんなものを俺は君に見せようと思ったのだろう。

 俺はもしかしたら君に俺を知ってほしかったのかもしれない。

 外見より、言動より、そこに書いてあることが何より俺を表現しているように思えた。

 それをもし受け入れてもらえるのだとしたら、俺は君に受け入れてもらえるように思ったのかもしれない。


 君は泣いていた。

 その姿を見て、俺も何故か涙が流れた。

 誰にも理解してもらえなかった自分の苦しみが、その瞬間報われたように感じた。


 あの時の感動が、あの時君に救われたことが、理由だった。

 そうだ俺は、君に救われたことが忘れられなくて、小説を書き続けている。



 もう一度、文章を書く。

 物語を書く。

 それはフィクションに過ぎない。

 だが、その形を作った感情は、記憶は、衝動は、何よりも事実に近い。

 俺という人間が感じたものの姿にもっとも近い。

 俺が伝えたいことの形に最も近い。

 君に届けたい感情に、最も近い。




*******



 人がたくさんいる場所に出るのも、ずいぶん久しぶりだ。

 身だしなみを整え、姿勢に気を遣い、行儀よく座る。

 らしくないほど緊張する。

 時間が来て、ずいぶん懐かしく感じるくらいしっかりと着飾った君が対面に座る。

 咳払いをして、できる限り自然に声を出す。


 よぉ


 ええ


 何か飲む?


 いらない。それで?


 ああ、小説を、書いた


 読んだわ


 そうか


 それで?


 ああ、どうかなって


 泣いたわ


 君の目は潤んでいた。

 俺の視線を受けて、目を伏せた。

 人前だっていうのに、俺も泣き出しそうだった。



 ・・貯金がそろそろ尽きそうなんだ。だから、また働こうと思う。


 そう

 前のところを辞めなければ、もっと楽だったのにね


 いいんだ。

 辞めたから、あの話を書けた


 そうね、そうかもね


 これからも、俺は小説を書くよ

 ずっと書き続ける


 うん


 君に、よかったら最初に読んでほしい


 うん


 いい小説を書きたい

 それを読んでくれる人が少しでも救われてくれたら、少しでも喜んでくれたら、すごくうれしい

 報われるように思う


 うん


 書いて分かったよ

 俺は死にたくなんてなかったんだ

 本当はずっと、誇らしく生きていきたかったんだ


 うん


 自分にはそれができるって信じてみるよ


 ・・うん


 君は相変わらず泣いている。

 いつも、いつも泣いている。

 でも今日はその涙が温かく見えた。


 人生には形に残したいと思うものがある。

 もっともっと君の表情が見たいと思った。

 もっと君のそばで、一緒に歩き続けたいと思った。

 自分には、この人生には、まだまだ書かなくてはならない素晴らしいことがたくさんある。

 そう思ったとき、周囲に広がる何気ない景色が、何気ない会話が、とても大切なもののように、色付いた気がした。



 

 



 


 

 


 






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