第二話「契約の刻印」
石の扉が開いた先には、闇が広がっていた。
だがその闇は、ただの暗闇ではなかった。
天井も壁も床も存在しない──いや、存在はしているのに、すべてが“空”のように透けている。
まるで夜空を逆さに飲み込んだような、星のない宇宙。
三兄弟は、そこに立っていた。
そして、それぞれの前に“それ”は現れた。
◆ ◆ ◆
ラウルの前に現れたのは、漆黒の甲冑を纏った巨人だった。
赤い焔のような眼光が、兜の奥から燃えている。地を踏むたびに、世界が震えた。
「……ベルゼルグか?」
『我が名を口にするか。人の子にしては、覚悟があるようだ』
低く響く声。存在そのものが、災厄のようだった。
ラウルは、剣を抜かない。ただ、そのまま相手の目を真っ直ぐ見た。
「力が欲しい。守りたいものがある。奪うためじゃない。……ただ、失わないために」
『その覚悟、見せてみよ』
次の瞬間、ベルゼルグは黒剣を抜き、ラウルに斬りかかってきた。
斬撃ではない。試練だった。
炎の中で、剣が交わる。
悪魔王と少年の戦いは、ほんの数合──
『……よい。気に入った。名を刻め、ラウル。汝の魂に我が刻印を授けよう』
その言葉とともに、ラウルの胸に紅の紋章が浮かび上がった。
中心に炎を象る十字。力強く、揺るぎない意志の証。
◆ ◆ ◆
ミカエルの前に立つのは、透き通るような白翼の存在だった。
性別すら曖昧なその姿は、見る者によって違う像を結ぶという。
『理を重んじ、秩序を求むる子よ。我が声は聞こえるか』
「……はい。貴方が、天使王ルーメイル……?」
『その名は風のようなもの。我は始まりの守護者。汝の問いに答え、願いに応えよう』
「願いなんて……あるかな。僕はただ、誰かが傷つく世界を、少しでも変えられたらと思ってる」
『それは、最も難しい契約だ。だが、最も美しい意志でもある』
ルーメイルの翼が広がる。そこに刻まれた光の文字が、空間に溶けていく。
ミカエルの身体が光に包まれ、額に光輪の印が浮かぶ。
それは、蒼金の紋章。円環と羽根を象る、叡智と加護の証。
◆ ◆ ◆
フィーネの前にいたのは、何とも言えぬ存在だった。
人の姿も、獣の姿も持たず──風が吹き、木々が囁き、水が笑った。
「君が……シルヴァーナ、なの?」
『問いではなく、踊ろう。お前は呼んだ、心で。言葉ではない、音で』
精霊王は、形を持たないまま、フィーネのまわりを舞った。
花が咲き、草が揺れ、蝶が飛び、羽音が風を奏でる。
「……うん、たぶん分かる。契約っていうより、友達になるって感じ?」
『それでいい。それがいい。ならば、お前に刻もう』
足元から木の根が伸び、フィーネの腕に絡みつく。だが痛みはない。
代わりに、翠緑の紋章が浮かび上がった。葉と風を象る、共鳴と自由の証。
◆ ◆ ◆
次の瞬間、空間が裂け、現実へと引き戻されるように三兄弟は地面に膝をついた。
石の扉の前──遺跡の入り口。そこには、確かに刻まれていた。
三人の身体に浮かぶ、それぞれの契約の刻印が。
「……夢、じゃないんだな」
ラウルが呟く。
「うん……たぶん、世界で一番とんでもない三人組になったよ、俺たち」
フィーネが笑った。
ミカエルは、ただ手を見つめていた。
「この力を……どう使うかは、僕たち次第ってことだね」
こうして、三兄弟は“契約者”となった。
世界の理の頂点と契り、名もなき貴族の子らは、運命の渦に足を踏み入れる。
まだ何者でもない少年たちは、しかし──
確かに、“何か”になろうとしていた。