隣の昼休み
昼休み。
教室の一番後ろ、2列目の隅では、白河ユウリの席を中心に女子たちが机を寄せ合っていた。
パンの袋を開ける子、タッパーからおかずを突っつく子、スマホで動画を流す子――。
楽しげな笑い声が、静かな昼の空気に広がっていく。
「ねえユウリちゃんって、どんな人がタイプ?」
不意に、モブ女子のひとりが振ってきた。
恋バナ定番の流れ。会話の流れとしては自然だが、ユウリは一瞬だけ箸の動きを止めた。
……いや、好みったってな。
私、元・男なんだけどな。
「どんな人がタイプ?」って聞かれても、困るんだが。
ていうか、前世で恋愛なんて縁なかったし。
人にときめいたことなんて、一度もなかったと思う。
……そんな私に“タイプ”って聞かれてもな。
でも、黙ってたらそれはそれで不自然だ。
一言も発さず笑ってるだけじゃ、「高嶺の花」演出が過ぎて浮く。
だったら、無難に返しておくほうがラクだよな。
「……んー、ガツガツ来る人は、ちょっと」
「わかる~! 一方的に話してくるやつって、ほんとしんどいよね」
橘めいがすかさず食いついてきた。ノリは軽いが、拾い方は上手い。
「じゃあ、顔は? イケメンとか好き?」
「顔は、あまり気にしないかな。落ち着いた感じの人のほうが、話しやすいし」
「へえー、意外。白河さんって、モデル系の彼氏とか普通にいそうなのに」
「てか本人がヒロイン顔すぎて、もう映画のキャストじゃんってレベルだよね」
そう言って橘が笑うと、周囲も「それなー」と声を揃えた。
ユウリは薄く微笑みながら、お弁当の蓋を静かに閉じる。
しいて言うなら――
ガツガツ来ないやつ。空気読めないのは論外。
あと、見た目だけで近づいてくるやつも信用できない。
落ち着いてて、必要なときだけ喋るくらいが、ちょうどいい。
……たぶん、そんな感じ。
私が返すと、彼女たちは勝手に「意外~」とか言いながら、盛り上がって、納得していった。
いや、美形に生まれると、何言っても勝手に良いように解釈されるんだな。
……ちょっと怖いわ、これ。
***
教室の前方、窓際のあたりでは、体育で少しだけ打ち解けた男子たちが、パンや弁当を広げながら盛り上がっていた。
「いやでも白河さん、マジでヤバくね?」
「何がって……おっぱいだろ。Fは確実、いやG?」
「形も神。制服の上からでも分かる完成度。俺、今朝ちょっと拝んだわ」
「“勝者の乳”って感じだよな」
「佐藤、お前うしろの席だよな? 見放題ってやつじゃね?」
「うわ、うらやま死刑」
ナオキはパンをかじりながら、苦笑い。
「どう反応すればいいんだよ」みたいな顔で黙っていた。
一方その頃、後方の女子島では──
「ちょっと、今の聞こえたよね……」
「“見放題”って。口に出すなよもう……」
「白河さん、大丈夫? 顔、引いてない?」
「てか言ってこようか? あれ完全アウトでしょ」
「ぶん殴ってくる?」
わいわいと騒ぎ始める女子たちに、ユウリは静かにお茶を置いて、
ほんの少しだけ微笑んだ。
「……ありがと。でも大丈夫、よくあることだから」
「いやでもさぁ……」
「怒ったら負け、ってやつ。ああいうのはスルーが一番効くよ」
「さすが……出た、白河さんの“大人対応”」
「それで全部乗り切れるの、ずるいんだよなあ」
「“勝者の乳”って言われて平気なの、たぶん日本で白河さんだけだよ」
女子たちが笑ってくれるのを横目に、ユウリはまた一口お茶を飲んだ。
……別にショックでもなんでもない。
男子のテンプレ会話なんて、前世で聞き飽きるほど聞いてきたし。
おっぱいがどうとか、見放題だとか、寿命が延びたとか。
内容のクオリティ、あの頃と変わってなくて逆に安心するレベル。
まあ、無害なバカ話ってことだ。
相手にしたら負け。無視してりゃ勝手に飽きる。
……にしても、“勝者の乳”って。
何だそのセンス。グラビア雑誌かよ。
……あ、でもアイツは笑ってなかったな。
ちょっとだけ、マシ。
***
午後の授業。
教室はほどよく気だるい空気に包まれ、生徒たちは半分寝かけながら板書を写していた。
教師がプリントの束を持って前に立つ。
「じゃあこれ、後ろに回してくれー」
「……あ、はい」
ナオキは無意識に体を起こし、自分の分を抜き取る。
そのまま、いつもの流れで後ろの席へ手を伸ばし――
ふと、振り返る。
ちょうど視線の先に、白河ユウリがいた。
そして、そのすぐ下。
制服のシャツ越しでもわかる、明らかに“規格外”の膨らみが、真正面に。
――あ。
一瞬で、昼休みに聞いたバカトークが脳内リプレイされた。
「FとかGじゃね?」「見放題うらやま死刑」
「“勝者の乳”だよな」
うわ、うわ、うわ、やめろ思い出すな!
慌てて目を逸らす。目線を上げる。
――目が合った。
白河ユウリは、何の感情も浮かばない表情で、こちらを見ていた。
驚きも怒りも、笑いもなく。静かに、まっすぐに。
ナオキの背筋が凍る。
……終わった。
いやちがっ、違う、違うんだ今のは事故なんだ!
見ようと思って見たんじゃなくて、その……事故!反射!
顔から火が出そうなまま、ナオキは震える手でプリントを差し出し、無言で前を向いた。
白河ユウリは、何も言わずにそれを受け取った。
――放課後まで、なんとなく視線を合わせられなかった。