この身体、想像以上に……ヤバい
放課後、昇降口で
「白河さん、バイバイ。また明日~!」
「うん。またね」
そう返した自分の声が、ちょっとだけ他人事に聞こえた。
下校時間の昇降口。靴を履き替える女子たちに囲まれて、自然と手を振っていた。
今日一日だけで、俺はすっかり“白河ユウリ”としてクラスに馴染んだらしい。
(……いや、馴染んだっていうか、完全に“そういう存在”として扱われてるだけだな)
話しかけられる。頼られる。ちょっとしたことで褒められる。
全部この顔と雰囲気が勝手に作り出してくれてるだけ。
内心おっさんな中身は、なんならまだ実感すら追いついてないのに。
「…………」
ふと、足音が聞こえる。
誰にも声をかけられず、誰にも声をかけることなく、
横をすり抜けていった男子生徒がいた。
前の席に座っていた、佐藤ナオキ――前世の俺だ。
少しだけ猫背で、カバンを抱えて、俯き気味のまま昇降口の外へと歩いていった。
俺は、とっさに声をかけようとは思わなかった。
(……うん、今日はまだ、いいや)
あいつの人生に割り込むのは、明日から。
“白河ユウリ”というキャラが固まって、俺の気持ちにも余裕ができてから。
無理して近づいても、こっちが空回りするのが目に見えてる。
それに――
いまの“俺”には、あいつの背中が、ちょっとだけまぶしく見えた。
大して目立ちもせず、誰かに必要とされるわけでもなく、でもちゃんと、今日という一日をこなして、帰っていく姿。
俺は……あんなふうに、生きてたっけな。
(……ちょっと、違うかも)
前世の俺は、きっと同じような日々を、何年も続けてたんだろう。
そして、気づいたら終わっていた。
ただそれだけの話。
でもそれが、何となく、今はすごく“惜しい”って思えてきた。
俺は昇降口の外をしばらく見つめてから、小さく息をついた。
カギを回す音が、やけに静かに響いた。
白河ユウリ――この身体の自宅。駅から徒歩7分、築浅ワンルームの1K。
よくある学生向け物件だけど、玄関も床も水回りも、やたらときれいだ。
生活感が、まるでない。
(……いや、生活感がないというか、“昨日からここに住み始めた”って感じだな)
冷蔵庫はほぼ空。スリッパも新品。
カーテンのひだに折りジワすらある。
本当に、昨日この世界に“落とされた”みたいだ。
制服を脱ぎ、ハンガーにかける。
そして、シャツを脱ぎ、中学を出たばかりとは思えないサイズ感の胸を支えていた下着を、そっと外す。
(……ああ……)
鏡の前に立つとまさに圧巻である。
肌→白い。腰→くびれてる。胸→爆乳。顔→アイドル級。全てが整っていて……えげつないとしか言いようがなかった。
胸、腰、脚。どこをとっても“男の理想”を詰め込んだようなプロポーション。
まるに美の見本みたいな身体が、そこにいる。
それが、白河ユウリ。俺だった。
いや、俺“じゃない”んだけど、でも“俺”でもある。
その奇妙な境界線が、目の前の鏡に現実として映ってる。
(……これ、マジで、俺なのか)
自分で言うのもなんだけど、ちょっと見惚れた。
いやいやいや、違う。落ち着け。
いくら可愛いからといって自分に惚れてしまってはそれはもうナルシストではないか。
(……ちょっとだけ写真撮ってもいいかな?)
──と思ったけど、スマホに手を伸ばしかけたが、悩んだ末やめた。
それはダメだろう。もしも誰かにスマホを拾われたらどうするんだ。
うん。理性、ギリギリ残ってる。今のところは。
……もう一度鏡を見て、ふぅ、とため息をつく。
こんな身体を持って転生させる神がいるなら、一言くらい相談してほしかった。
いや、でも――
「これは反則級だわ」
こんな超絶美少女が確定ヒロインとか、前の俺……ちょっと羨ましいぞ?
……いや、俺なんだけどね!?
チャポン……
肩まで湯に沈めると、ようやく思考が落ち着いてきた。
(……ふぅ)
今日一日、濃すぎた。
転生して、高校に通って、自己紹介して――
で、前世の俺が、普通にクラスにいた。
情報量が多すぎるっていうか、現実感がまだついてこないっていうか。
それでも、妙にうまくやれてる自分がいるのは……
やっぱこの身体のチート補正、なんだろうか。
(ていうか、白河ユウリ、スペック高すぎるだろ)
成績優秀(入試トップらしい)、見た目は“学年一の美少女”。
たぶん、下手なことしなければ、三年間ずっと“そういう扱い”を受け続ける。
もらい事故みたいな転生だったはずなのに、
気づけば前世より、ずっと“勝ち組”に片足突っ込んでる。
けど――
それがなんだって話だ。
こっちがどれだけチートでも、前の俺が幸せになるとは限らない。
あいつは、きっとこの先も静かに過ごして、
何も変わらず、ゲームばっかりして、男友達とだけつるみ、女っ気のない高校の三年間を終える。
そしてそれは大学、社会人となってもズルズルと続き、そして死を迎える。
(現に俺がそうだったもんな)
勇気を出して誰かに告白するなんてこともなく、流されるままにダラダラと過ごす日々。
それはそれで結構楽な生き方だってことはわかってる。
でも、それだけじゃ――
「もったいないって、思っちゃうんだよな」
佐藤ナオキ。
元・俺。
でも今は、もう俺じゃない。
俺にとって、どうしても放っておけない誰か。
湯船に沈めた手を見つめる。
女の子の手。白くて細くて、爪まできれいに整ってる。
この手で、“あの俺ではない俺の人生”を、ちょっとだけ変えてみたくなったんだ。
シャワーを終えて髪を乾かし、制服とは違う部屋着――
パーカーとショートパンツ姿になって、ベッドに寝転ぶ。
白河ユウリのスマホは新品同様で、SNSの通知はひとつもない。
連絡先もスカスカで、メッセージ履歴なんて当然ゼロ。
まるで、本当に“昨日この世界に生まれた”みたいな空白。
(……ホントに、俺だけが“急に始まった”んだな)
前世の延長でも、ユウリの人生の続きでもない。
ここから始まるのは、完全に“新しい人生”。
でも、だからこそ――
できることもある気がする。
天井をぼーっと見上げながら、
自然と頭に浮かぶのは、昼間、前の席に座っていたあの背中だった。
誰に注目されるでもなく、静かに一日を終えた、
かつての“俺”。
(……さて)
目を閉じながら、苦笑する。
前はダラダラ生きて終わったけど……
今回はちょっとだけ、本気でやってみるとしますか……!