099 第八部・侵食帯〈灰の裂け目〉
■地域:侵食帯
集落:灰の裂け目〈AshRift〉
◆宿場〈裂け目亭〉
〈裂け目亭〉は、宿場兼酒場として機能していて、廃墟と森の境界〈侵食帯〉を越えて活動する探索者たち――通称〈Ashwalker〉が集う拠点でもある。〈大樹の森〉で活動する傭兵やスカベンジャーたちは、この施設を情報交換や仲間探し、契約交渉の場として利用している。
また、〈大樹の森〉からやってくる行商人たちの宿泊所としても知られていて、交易品の受け渡しや、護衛の雇用、物資の補充などが行われる。荒くれ者が集う場所ではあるが、時には信頼や絆が芽生えることもあり、探索者同士の連携が生まれる場でもある。
施設の大部分は地下に構築されていて、旧文明の廃墟を再利用した構造となっている。地上には大規模な宿泊施設が設けられていて、短期滞在者向けに貨物用コンテナを改造した寝床が割り当てられている。
大量のコンテナは倒壊しない程度に積み上げられていて、足場や渡り廊下で連結されている。最低限の安全対策として監視カメラと自動攻撃タレットによる警備が施されている。
地下には、長期滞在者向けの個室が用意されていて、遮音、空調、浴場などが整備された快適な空間が提供される。ただし、利用には相応の電子貨幣が必要であり、滞在者の信頼度や利用履歴によって割り当てられる部屋が変化する。
施設の周辺には、多脚車両の駐車場や充電ステーションが併設されていて、常に騒がしい雰囲気が漂っている。しかし騒音やトラブルに対しては、武装した宿泊客や自動防衛システムが即座に対応するため、利用者は安心して休息を取ることができる。
調理場では、〈大樹の森〉で採取された食材や、合成食品が提供されている。旧文明のレシピを再現する調理ドロイドも稼働していて、昆虫を使った栄養価の高い料理も提供されている。
ただし、調理ドロイドは故障しているのか、『ふたつで充分ですよ』以外の言葉を発しようとしないため、注文にはある種の〝慣れ〟と〝根気〟が求められる。
◆工房〈鉄根〉
工房は、傭兵や廃品回収者たちが武器や装備の修理、補修を行うために利用する重要な施設になっている。既知の技術で製造された火器から、旧文明の技術で組み込まれた電子機器や義肢まで、あらゆる装備品に対応できる熟練の職人たちが集まっている。
職人の多くは、傭兵たちと同様〈組合〉などの組織に属さない独立系の技術者で構成されているが、例外的に〈技術組合〉だけは、専門職を派遣して工房の技術力を支えている。彼らは、情報解析技術者〈データスミス〉や、人体改造技術者〈バイオエンジニア〉といった高度な専門知識を持つ人材で構成されている。
情報解析技術者〈データスミス〉は、旧文明期の〈データベース〉内に構築された分散型情報網〈デッドネット〉にアクセスし、スカベンジャーたちが回収した遺物のデータを復元、解析する役割を担っている。
破損した記録媒体や暗号化された端末から情報を抽出し、装備の設計図や製造履歴、さらには旧文明の研究ログなどを再構築することもできる。
人体改造技術者〈バイオエンジニア〉は、〈軍用サイバーウェア〉、〈サイバネティクス〉、〈インプラント〉などの高度な生体融合技術を扱う専門家になっている。彼らは、肉体に義肢や強化器官を適合させるだけでなく、神経接続の調整や生体電位の安定化など、精密な調整を行う。
〈鉄根〉の名で知られた工房は、単なる修理施設ではなく、〈アッシュリフト〉において技術と知識の集積地であり、探索者たちの生存と戦力を支える拠点として機能している。ここで施された改造や修復が、探索の成否を左右することも少なくない。
◆交易所・市場〈マーケット〉
市場は、クレジットによる取引に加え、物々交換も可能な自由市場として機能している。旧文明の遺物から、〈大樹の森〉で狩猟された昆虫の変異体などの生物資源まで、多種多様な品が並び、スカベンジャーや傭兵、行商人たちが日々集う交易の中心地となっている。
取り引きされる品目は、旧文明の装置や電子部品、変異体の外骨格や肉、希少な薬草、森の深部に生息する生物の素材など多岐にわたる。これらの資源は、旧文明の施設に設置された〈リサイクルボックス〉を通じてクレジットへの換金が可能であり、とくに純度や希少性の高い素材は高額で取引される。
市場では、素材の鑑定や分析を行う〈テックスキャナー〉を所持する〈技術組合〉の〈データスミス〉も常駐していて、探索者たちは彼らの助言をもとに取引を行うことが多い。
市場の構造は、基本的に雑多な露店の集合体だが、旧文明期の商業施設を再利用した店舗も存在する。崩れかけた建物の内部には店が並び、通路には仮設照明と多数の監視カメラが設置されている。治安維持のため、店主たちが雇った傭兵や警備用の機械人形が巡回していて、略奪や詐欺行為は即座に排除される。
市場の近くには〈沈黙の祠〉と呼ばれる施設がある。これは旧文明の宗教施設を再利用したもので、廃墟や〈大樹の森〉で発見された神像のようなガラクタや部族の神々を象った木像が無造作に祀られている。祠は特定の宗派に属さず、信仰を持たない者たちにとっても、静かに心を落ち着ける場所として機能している。
探索の前に祈る者もいれば、取引の後に感謝を捧げる者もいて、荒廃した世界における数少ない〝精神の避難所〟として機能している。
◆診療所〈Death Line〉
探索者たちは、〈大樹の森〉から負傷して戻ってくることが多く、診療所は彼らの命を繋ぐ重要な施設となっている。ここでは〈大樹の森〉で採取された薬草や、旧文明期の医療機器を活用した応急処置や治療が行われている。
設備は簡素ながら、止血剤や鎮痛剤、再生促進剤などが常備されていて、重症者には自動診断装置や旧式の簡易手術ユニットが使用されることもある。
医師の多くは、かつて〈医療組合〉に所属していた治療士〈メディック〉たちで構成されている。基本的な外科処置や感染症対策に長けていて、現場での応急対応に熟練しているが、高度な医療行為には対処できないと思われている。
実際のところ、上級医師〈ドクター〉に相当する技術と経験を持つ者も複数駐在していて、重症を負った探索者にとっても頼れる場所になっている。
また〈技術組合〉の〈バイオエンジニア〉も常駐していて、義肢の調整や神経接続の修復、さらには旧文明の医療AIを活用した高度な診断にも対応できる体制が整っている。彼らは〈サイバーウェア〉の調整や適合処置にも精通していて、サイボーグたちにとって欠かせない存在となっている。
診療所の利用には高額なクレジットが必要であり、治療費は法外とされることもある。しかし、命に代えられるものはなく、負傷者の多くは診療所を〝死線を彷徨う者たちの避難所〟と呼び、迷うことなくその扉を叩く。
◆宇宙観測所〈裂け目の耳・Ear of the Rift〉
旧文明期に利用されていた直径百八十メートルのパラボラアンテナの残骸を再利用して設置された観測施設であり、〈大樹の森〉を探索する者たちに向けて、汚染状況や簡易地形データを提供している。
施設は、かつての通信インフラを改造したもので、気象センサー、放射線検知器、空気成分分析装置などが稼働していて、森の異変や変異体の群れの出現兆候をリアルタイムで監視している。
観測所で働くのは、〈技術組合〉から派遣された〈データスミス〉や、かつて組合に所属していた職人〈メカニック・エンジニア〉などで構成されていて、彼らは森の深部で発生する異常気象、瘴気の濃度変化、変異体の移動パターンなどを解析し、必要に応じて警報を発信している。
警報は、探索者の情報端末や多脚車両の通信ユニットに直接送信される仕組みとなっていて、現地での即応性を高めている。
施設の主な収入源は、警報の発信契約、探索隊が作成した地形データ、敵対的部族の行動記録、遺物に関する噂や発見報告などの情報になっている。これらのデータは〈裂け目の耳〉によって精査、編集されたうえで高額で売買されている。
情報の正確性と鮮度が生死を分けるこの世界では、情報に対する対価を惜しむ者は新参者か、命知らずのどちらかになっている。一部の探索者は、ここで得た情報をもとに独自のルートを開拓し、他者に先んじて遺物を回収することで名を上げている。




