096 第八部・無人工場〈機械人形〉
◆無人工場〈機械人形〉
かつて富士山の裾野に広がっていた樹海は、大量破壊兵器の使用と〈混沌の領域〉による浸食を経て、劇的な生態系の変化を遂げていた。
かつて保たれていた自然の均衡は崩れ、現在では汚染によって遺伝子変異を起こした植物群、高濃度の胞子を放つ菌類、超自然的に発生した〝空間の歪み〟に由来する異形の生物を含む変異体が共存する魔境へと変貌していた。
かつて栄華を誇った都市群は、繰り返される災害と地殻変動、そして植物の侵食によって地中に埋もれ、地表からはその痕跡すら確認できなくなっていた。現在、この地域一帯は〈大樹の森〉と呼ばれ、廃品回収者たちの間では〝生きた迷宮〟として知られている。
その森の奥深くで、旧文明期に建造された〝無人工場〟が発見された。建物の外壁は厚く繁茂した蔦と苔に覆われていたが、旧文明の特殊な素材――耐候性に優れ、自己修復機能を備えた多層構造の壁面パネルによって保護されていたため、経年劣化や腐食はほとんど見られなかった。
工場内部には、今も稼働を続ける自律型製造ラインが存在し、機械人形の生産は途絶えることなく続いていたという。
◆工場内部
製造システムだけでなく、工場内の環境をリアルタイムで管理していたのは、旧文明期に普及していた旧世代型の人工知能であり、膨大な情報が絶え間なく処理されていた。制御中枢には量子演算機が組み込まれていて、外部からの指令が途絶えた現在でも、自己判断によって機械人形の生産は継続されていた。
この量子演算機は、従来のコンピュータでは不可能だった並列処理を可能にし、機体ごとの構造設計、人格アルゴリズムの最適化、素材選定までを瞬時に行っていた。
演算機は〈大樹の森〉の環境データ――気温、湿度、放射線量、瘴気濃度などを常時モニタリングし、生産仕様を動的に調整していたが、あまりにも高度なシステムなため、それを理解できる部族民はいなかった。
製造ラインは、無数の多関節ロボットアームと、磁気浮上によって駆動する搬送レールによって構成されていた。部品は静音設計のレール上を滑るように移動し、各工程ではアームが精密な動作で組み立てや接合を行う。マニピュレーターには触覚センサーと微細振動制御機構が搭載され、ナノ単位での調整が可能になっていた。
工場内の騒音は最小限に抑えられていて、稼働音はほとんど聞こえない。代わりに、機械の動作に伴う微かな振動と、演算機が処理を行う際に発する低周波の共鳴音が、空間に静かに響いていた。
◆機械人形
製造される機械人形の骨格には、旧文明期に開発された特殊合金が使用されている。この合金は、極限環境下でも形状を維持できる高い耐久性と、高度な応力分散構造を併せ持つ。
骨格の形成にはナノ積層技術が用いられ、微細な金属粒子が高密度レーザーによって瞬時に焼結され、分子レベルで結合された強靭かつしなやかな構造体が生成されていた。
外装には、自己修復機能を備えた合成皮膜が施されている。この皮膜は、損傷箇所に埋め込まれた微細センサーが破損を検知すると、内部の修復ナノマテリアルが活性化し、損傷部位を再構築する役割を担っている。しかし、民生用として普及している技術なので、軍用規格の製品には及ばない。
頭部の中枢には、〈神経模倣チップ〉が埋め込まれている。このチップは、旧文明期に人間の脳波パターンを解析して構築された〝人工意識〟の断片を記録した簡易的なシステムであり、個体ごとに異なる〝性格〟を与えることが可能となっている。
人格の選定は、工場の量子演算機が膨大な人格データを参照しながら最適化しているとされる。しかし、その選定基準は不明瞭であり、時折〝異常個体〟が生まれることもある。彼らは通常の機械人形とは異なる行動を示し、記録されていない言語を発し、あたかも記憶があるかのように振る舞うことがある。
工場の管理システムは、それらの個体を〝設計誤差〟として処分していたが、稀に見逃されることもあった。
◆探索
〈蟲使い〉の精鋭によって構成された部族の戦士たちは、複雑に絡み合う蔦と胞子霧をかき分けながら、旧文明の無人工場への潜入に成功した。施設内の照明はほとんど機能しておらず、ほぼ完全な暗闇に包まれていた。わずかに視認できたのは、作業用ドロイドが発するセンサーの光と、彼らの移動に伴う微かな機械音だけだった。
機械人形の多くは視覚に頼らず、熱感知や音波探査など複数のセンサーを組み合わせて空間を把握しているようだった。その動きは有機的で、まるで生物のように障害物を避けながら滑るように進んでいたという。
しかし、戦士たちが侵入できたのは、主に見学者向けに設計された外縁の区画であり、工場の中枢――量子演算機が格納された制御室や機械人形の製造ラインには近づくことすらできなかった。隔壁は旧文明の生体認証で厳重に封鎖され、〈技術組合〉の暗号解読班や技術をもってしても解析不能とされていた。
戦士たちは、工場の一部が今も稼働していること、そしてその活動が外部からの命令なしに継続されていることを確認した。しかし、肝心の生産目的や人工知能の意図については、何ひとつ掴むことができなかった。
◆倉庫〈ナノスキン〉
工場地下には、広大な保管区画が広がっている。そこには、工場で製造された膨大な数の部品と機械人形が静かに並べられていた。金属製の棚が幾重にも連なり、棚の表面や格納された機体には、保存処理として施された〈ナノスキン〉の薄膜が淡く輝いているのが確認できた。
〈ナノスキン〉は、旧文明によって開発された高機能保護膜であり、微細な自己修復ナノ粒子が構造表面に均一に配置されている。この膜は、酸化や腐食、微生物による分解を防ぐだけでなく、外部からの放射線や化学汚染にも高い耐性を持つ。さらに、温度変化に応じて分子構造を再編成することで、長期保存中の物理的劣化を抑制する機能も備えている。
保管されている機械人形の多くは、製造から数十年が経過しているにも拘わらず、まるで時間の流れから隔絶されたかのように、その姿を完璧に保っていた。表面には傷ひとつなく、関節部の潤滑材も劣化の兆候を見せていない。
倉庫内には環境制御ユニットも設置されていて、保管物の状態は分単位で記録、調整されていた。搬送用のドローンが定期的に棚間を巡回し、異常の兆候があれば即座に修復処理を行うようプログラムされていた。
◆路線
この工場が、何の目的で今も機械人形を作り続けているのか――それを知る者は、もはや存在しない。けれど、地下に敷設された旧文明期の路線網が今も活用されていることから、製造された機体や部品の多くは、〈廃虚の街〉に点在する各施設へと搬送されていることが推測できた。
路線網は、自律型搬送車両の運行を前提に構築されていて、定期的に工場の地下プラットフォームへと接続されていた。搬送車両は磁気浮上式のレールを走行し、指定された〈販売所〉や保管倉庫へと製品を届けている。
それらの車両には、配送ルートや積載内容を管理する独立した演算ユニットが搭載されていて、外部との通信が途絶えた現在でも、各施設に残された人工知能の指示に従って運行を続けていた。
目的を失った生産設備と配送システム――それは、確かに旧文明の残響だったのかもしれない。かつての秩序が崩壊した世界で、機械だけが忠実に人間の〝文化〟を模倣し、維持し続けていたという事実は、皮肉と呼ぶべきものだったのかもしれない。




