076 第七部・部族〈行商人〉
◆接触経緯
本報告は、辺境部族〈ミツバ〉の調査任務に従事していた指揮官タカクラ率いる傭兵部隊が、〈大樹の森〉を移動中に遭遇した交易集団〈行商人〉との初期接触記録である。
両者の進行方向が一致していたため、一定期間、タカクラの部隊は隊商に同行することになった。行商人たちは護衛の増加を歓迎していたが、実際には彼らが外部の武力支援を必要としている様子は見受けられなかった。
外見上は、都市圏を離れ辺境の森で暮らす原始的な集団――いわゆる〝蛮族〟に近い部族のようにも見えた。しかし彼らの装備は明らかに異質だった。傭兵たちの報告によれば、使用されていた武具や通信機器の一部は、旧文明期の地下施設で入手できる高性能な技術製品であり、その多くが〈販売所〉で高価で取引される入手困難な代物であった。
とくに注目すべきは、行商人が携行していた携帯型エネルギーシールド発生装置――型番不明――であり、〈販売所〉でも手に入れられない〈核融合電池〉により動作する小型の装置だった。輸送手段には、〈廃墟の街〉でも見られない大型多脚車両が用いられていた。
以上の点から、〈行商人〉は単なる交易集団ではなく、旧文明の技術資産を独自に運用、維持している高度な組織である可能性が高い。今後の接触においては、彼らの技術的背景および社会構造の詳細な調査が求められるだろう。
◆車両構造と移動技術
〈行商人〉が運用していた輸送車両は、〈廃墟の街〉でも目撃例のない大型多脚型車両であり、辺境域における移動技術の常識を覆す存在であった。
この車両は、全長約12メートル、全高約4メートルほどであり、最大の特徴は樹高90〜100メートル級の大樹の幹を垂直に登攀できる特殊機構を備えている点だった。脚部には〈樹皮適応型吸着パッド〉なる未知の装置が装備されていて、樹皮の凹凸や湿度に応じて微細な吸着力を調整することで、安定した登攀を可能にしていた。
構造的には、昆虫の脚部構造と軟体動物の吸盤技術を融合させた〈生体模倣技術〉に基づいていると推察されるが、旧文明期の技術であるため解析は困難だった。
車両の外装は、周囲の植生に溶け込むよう設計されていて、枝材やツル植物を用いた擬装処理が施されている。これにより、遠距離からの視認性が著しく低下し、敵対勢力や変異体からの発見を回避する効果があるとみられる。
操縦席は金属製メッシュネットで覆われ、エンジン音などの騒音に引き寄せられる大型羽虫――体長10〜15センチ――の群れから操縦者を保護する役割があるようだ。このメッシュは通気性と視認性を確保しつつ、物理的な侵入を防ぐ構造となっていて、素材には軽量高強度のチタン合金繊維が使用されていた。
車両の動力源については未確認だが、排気音や熱放射が極めて少ないことから、静穏性に優れた〈核融合バッテリー〉が搭載されている可能性がある。
◆武装体系と戦術思想
特筆すべきは、〈行商人〉の護衛として同行していた〈蟲使い〉の精鋭たちが携行していた兵器だろう。彼らが使用していたのは、〈廃墟の街〉で一般的に流通している旧式のアサルトライフルではなく、旧文明期に開発されたレーザーライフルだった。
このレーザーライフルは、充電式の高密度電池を搭載した軽量型で、取り回しに優れた設計となっている。照準補助には赤外線センサーと視覚補正用のホログラフィックサイトが組み込まれていて、夜間や濃霧下でも高い命中精度を維持できる。弾薬の補給が不要である点も、辺境域での長期運用において大きな利点となっているようだ。
彼らが旧来の火器を嫌う最大の理由は、発砲音による環境への影響だろう。〈大樹の森〉には、音に敏感な昆虫型変異体が多数生息していて、火薬式銃器の発砲音はこれらの生物を誘引する危険性が高い。レーザー兵器は発射音が極めて小さく、熱放射も限定的であるため、変異体の感知を回避しやすいとされている。
また護衛の中には近代的なコンパウンドボウを好んで使用する者たちも確認された。これは静音性に優れ、かつ矢に毒素を仕込むことで、対人だけでなく、対生物戦闘において高い汎用性を発揮する。弓術は〈蟲使い〉の伝統的な戦術体系の一部であり、彼らは風や地形に合わせて矢の軌道を精密に制御する技術を有していた。
◆偵察・索敵技術
〈蟲使い〉たちが偵察に用いていたのは、旧式の無人偵察機ではなく、体長30〜40センチほどのトンボ型変異体だった。これらの生物は〈赤トンボ〉と呼称され、赤と黒の斑模様が特徴的だった。羽音をほとんど立てずに飛行することが可能で、索敵任務において極めて高いステルス性を発揮していた。
〈赤トンボ〉の複眼は広角視野を持ち、広い視界を確保できるため、敵性生物の接近を事前に察知する能力に優れている。さらに、視覚、聴覚、空間感知などの感覚情報は、〈感覚共有装置〉を介して〈蟲使い〉にリアルタイムで伝達される。しかし〈赤トンボ〉との感覚共有は難しく、一部の〈蟲使い〉だけが使役できる昆虫のようだ。
このような昆虫型偵察体の運用は、従来のドローンに比べて生態系との同化性が高く、周囲の環境に溶け込むことで発見率を大幅に低下させる効果がある。機械的故障のリスクが少なという利点はあるが、季節や天候に左右される生き物でもあるため、運用の難しい昆虫でもあるようだ。
〈蟲使い〉たちは、これらの変異体を単なる道具ではなく、ある種の仲間意識を持ち、偵察任務においては高度な信頼関係が構築されているようだ。
◆経済活動と交易文化
〈大樹の森〉に点在する部族集落との交易を担う商人たちは、先祖代々受け継がれてきた地図を所有している。これらの地図には集落の位置、通行可能な経路、危険地帯、季節ごとの気候変動などが詳細に記されていて、単なる道具ではなく〝生きた知識〟として扱われている。
地図の複製や公開は厳しく禁じられていて、外部の者に見せることは重大な禁忌とされているようだ。これは、交易ルートの独占による利益保護だけでなく、部族との信頼関係を守るためでもある。変異体の襲撃や他部族からの攻撃で地図を紛失した商人は信用を失い、交易圏から追放されることもあるという。
交易物資の多くは、旧文明期の地下施設にある〈販売所〉で入手できるモノになっている。食料、医薬品、衣類、工具など、生活に必要な物資が中心であり、これらは部族との交換によって森に流通することになる。
取引には電子貨幣が使われるが、主な方法は物々交換であり、貴重な鉱物や旧文明の資材や電子機器が好まれている。このことからも、一部の商人は単なる物資の運搬者ではなく、〈資源回収業者〉としての役割も担っていることが分かる。
各部族から商品の容器や包装材、廃棄された機械部品などを収集、分類し、施設で指定された〈リサイクルボックス〉に投入することで、電子貨幣を得ることができる。このシステムは〈施設管理AI〉によって管理、運用されていて、商人たちはそれを巧みに利用している。
◆今後の調査
〈行商人〉は、〈大樹の森〉における部族間の交易および情報流通を担う、高度に洗練された〝武装集団〟である。彼らは単なる物資の運搬者ではなく、技術、文化、生態適応において極めて高い知識と経験を有していて、その活動は森の社会構造を維持する上で不可欠な役割を果たしている。
今後も〈大樹の森〉で活動を続けていくためにも、〈行商人〉が使用する地図について調べる必要があるだろう。それは単なる地理情報にとどまらず、季節変動、危険生物の出没傾向、交易可能な集落など、多層的な情報が織り込まれている可能性がある。地図を解析することで、〈大樹の森〉の構造や各部族の理解が進むだろう。
そして〈蟲使い〉による昆虫型変異体の運用技術は、索敵、戦闘、環境調査など多方面への応用が期待される。〈行商人〉がこの技術をどのように活用しているのか、また、どのように入手しているのかを調査することで、〈蟲使い〉の秘密に迫る手がかりが得られるかもしれない。
これらの調査は、単なる知的好奇心を満たすものではなく、〈大樹の森〉における持続可能な拠点構築に貢献する重要な取り組みとなる。〈行商人〉との接触は稀ではあるが、可能な限り丁寧かつ継続的な観察と記録が求められる。




