074 第七部・人型変異体
■初期観察〈人型変異体〉
調査報告:ケリィ・カルヴァー
所属:傭兵組合〈情報局〉
◆接触経緯
本報告は、〈大樹の森〉中央部に位置する特異領域〈聖域〉周辺にて確認された人型変異体に関する初期接触記録である。
〈大樹の森〉の生態調査を行っていた調査部隊が、突如として消息を絶った。これを受けて派遣された捜索部隊も、姿の見えない敵による強襲を受け、壊滅的な被害を被った。数名の生存者が辛うじて脱出に成功したが、敵の正体は依然として不明のままであった。
三度目の捜索に際しては、脅威となる存在が光学迷彩技術を使用している可能性を考慮し、〈技術組合〉より提供された高性能探査ドローンを実戦投入。探査ドローンは可視光、赤外線、動体センサーを搭載し、広域スキャンによる探索が行われた。
映像では敵の姿を捉えることはできなかったが、周囲の熱源反応から複数の人型個体の存在が検出された。これらの個体は、周囲の景色と巧妙に同化するような擬装を行っていて、視覚的には完全に捉えることができなかったが、偶然にもドローンの記録映像の一部に、背景との微妙な歪みとしてその輪郭が映り込んでいた。
該当個体は、身長約二メートル前後、直立二足歩行を行う人型であり、光学迷彩による視覚遮断を用いていたと推定される。動きは極めて俊敏で、周囲の地形を利用した潜伏、奇襲行動に長けている。現時点では、脅威の所属、目的、知性水準は不明であり、〈豹人〉とは異なる亜人種族である可能性が高い。
この初期観察は、〈聖域〉周辺における未知の生物の存在を示唆するものであり、今後の調査においては、さらなる探査技術の強化と、安全圏からの観察手法の確立が急務になる。
◆生物学的形態と分類
それは人型の骨格を有する異様な変異体だった。基本的に直立二足歩行を行い、その骨格構造は人類に著しく近似している。関節の可動域も極めて人間的であり、動作の滑らかさにおいても高い類似性を示していた。
体表には白色の短毛が密生し、柔らかな光沢を帯びたそれは、どこか〈豹人〉に似た印象すら抱かせる。胸部および腹部の皮膚は広く露出していて、肌色は淡い桜色で表皮はきめ細かく、外傷や寄生虫の痕跡は一切確認されていない。
衣類を一切身に着けていないため、肉体的な特徴が露わとなっていて、結果として人間の女性に酷似した身体構造を持つことが判明した。全体的な体型や曲線美、四肢のバランスは人間の美の基準に照らしても異様なまでに整っている。
顔立ちも整っていて、人間の女性を思わせる美貌を備えているが、眼には瞼がなく、顔の大部分を漆黒の複眼が占めていた。その視覚機構により、広範な視野角を有し、戦闘時における動体追跡能力が極めて高いことが判明している。
頭部には、絹のように細く滑らかな黒髪が生え揃っていて、その隙間から櫛状の長い触角が二本突き出ている。この触角は、空気中の化学物質、振動、電場的変化などを感知する高感度受容器であると推定されているが、その機能の詳細については現在も調査中である。
背中には白く繊細な翅が確認されていて、構造的には蚕蛾の翅に類似している。飛翔能力は限定的であり、高速飛行には適さず滑空や跳躍の補助として機能していると思われるが、こちらも現在調査が進行中であり詳しい特性は未解明のままである。
◆行動特性と生態的適応
幸運にも、高度な熱光学迷彩の使用は確認されていない。そのため、赤外線および音響探査によって体温や動体反応の検出が可能となっていた。この手法により、部族の間で〈聖域〉と呼ばれる地域の周囲に、複数の個体が存在していることが観測された。
彼女たち――人型変異体は基本的に非敵対的であり、こちらから攻撃を加えない限り、先制的に襲い掛かってくることはない。ただし、〈聖域〉とされる領域に一歩でも足を踏み入れた場合には、武器の有無にかかわらず、即座に攻撃を受ける危険性がある。
同一領域に複数の個体が存在しているにもかかわらず、群れとしての行動は見られず、個体間には一定の距離が保たれている。行動パターンとしては、〈聖域〉の外縁を旋回するように巡回する傾向が確認されている。
触角による化学物質の感知、複眼による広角視野の確保、さらに翅による空気振動の認識など、複合的な感覚器官を備えていると推測される。これらの器官が相互に連携することで、高い空間認識能力を発揮している可能性が高いが、詳細なメカニズムについては、現在も調査と観察が進行中である。
◆生息域と聖域構造
人型変異体は、〈死者の像〉と呼ばれる木製彫刻が林立する区画で多数確認されている。これらの像は柱状構造を有し、〈森の民〉により祖霊の墓標として崇められているが、その製作意図や起源については明らかになっていない。風化と菌類による侵食が進んでいて、自然と同化しつつあるかのような印象すら与える。
〈聖域〉周辺の地形は極めて侵入困難な構造を持つ。地面一帯には複雑に絡み合った根系が張り巡らされ、地衣類や胞子霧が濃密に発生し、視界を著しく阻害する。物理的な障害だけでなく、気候は極端に不安定であり、温度、湿度が短時間のうちに激しく変動することが観測されている。自然環境そのものが侵入者を拒絶するかのようである。
〈聖域〉内に足を踏み入れた瞬間、変異体は即座に反応する。滑空と跳躍を組み合わせた高速接近を行ったのち、極めて高い精度をもって攻撃を仕掛ける様子が確認されている。これらの防衛行動は、生態的、あるいは感覚的な領域防衛本能に基づくものと推定されているが、その攻撃性は〈聖域〉への侵入に対する厳格な排除行動のようにも見える。
◆文化的・宗教的関連性
人型変異体に対する文化的認識は、部族ごとに著しく異なっている。〈森の民〉の一部は、これらの個体を〝聖域の守り手〟あるいは〝御使い〟と呼び、精霊の化身として崇拝の対象としている。
このような信仰体系においては、変異体は女神や自然そのものとの仲介者とみなされ、〈死者の像〉との関係性も特別視されている。像の周囲には供物が捧げられ、一定周期で祈りと儀式が行われていて、〈聖域〉への接近には厳密な儀礼と浄化の手順が伴う。
一方、他の部族ではこれらの変異体を強く忌避し、〝穢れ〟あるいは〝禁忌の化身〟として扱っている。〈聖域〉は触れてはならない場所とされ、その領域に足を踏み入れることは災厄を招く行為とみなされている。〈聖域〉周辺に設置された呪符や祭具は、侵入を防ぐための文化的象徴として機能している。
このように、人型変異体に対する宗教的、文化的理解は部族間で大きく分化していて、統一された解釈や信仰の方法論は存在しない。その存在は、信仰の中心であると同時に、恐怖の象徴ともなり得る――まさに、森の深奥に潜む不可侵の存在そのものである。
◆調査の継続
人型変異体は外見上、蚕蛾と人間の混血種を思わせる姿をしているが、その実体については未だ多くの謎に包まれている。昆虫型変異体と人類の融合によって生まれた、高度な環境適応能力を備えた存在という可能性は否定できず、組合内では〈聖域〉の防衛を担う非人間知性体として評価する動きもある。
この存在は、〈大樹の森〉における宗教的象徴と生物学的防衛機構の交差点に位置し、文化、自然環境、生物の複合領域にまたがる重要な研究対象である。その振る舞いや形態は、単なる生物を超えた意味合いを帯びていて、地域社会において神話的象徴として強い影響を及ぼしていることが示唆される。
今後の調査では、以下の項目に焦点を当てる必要がある。変異体の感覚器官に関する生理学的研究――触角、複眼、翅などの特異な感覚受容機構を中心に、環境認識能力と行動パターンとの関連性を明らかにすることが求められる。
そして〈森の民〉との信仰的関係性の記録と分析。部族間の文化的認識の相違、儀礼体系の構造、神話との関連性を調査し、変異体が地域文化に果たす役割を記録し解釈する必要がある。これらの分野を横断的に検証することで、当該変異体の全体像および、その存在が持つ複雑な意味合いに迫ることができるだろう。




