070 第七部・大樹の森〈部族〉
■〈大樹の森〉における部族社会の構造、生活形態、信仰体系に関する記録
調査:ケリィ・カルヴァー
所属:傭兵組合〈情報局〉
◆生活形態と環境適応
〈大樹の森〉における部族社会は、かつて栄えた旧文明の遺構を生活基盤として、再構築した半自律的な共同体である。彼らは、自然環境への適応力、旧技術の再利用、そして独自の信仰体系という三つの柱を中心に、独立した文化圏を形成している。
調査によれば複数の部族が地下に広がる旧文明の施設を拠点としていて、今なお稼働している人工知能による物資供給システムが利用されている。部族はこのシステムを神聖視し、〈鉄の精霊〉として崇める傾向がある。物資の供給は儀式的な操作によって行われ、部族の巫女や族長がその役割を担っていると思われる。
〈大樹の森〉は、巨大な樹木が密集する亜熱帯の生態系であり、樹冠層は地上から六十から八十メートルに達する。各部族は、この垂直構造を活かし、樹上居住を基本とする生活様式を築いている。これは、かつて実在したとされる南米の先住民族〈ヤノマミ族〉の生活文化に類似している。
◆生活形態と施設利用
〈大樹の森〉に存在する部族の多くは、地中に埋もれていた旧文明の施設を発掘、再利用することで、生活インフラを確保している。これらの施設は、かつて都市型自動供給システムの一部として機能していたもので、現在では部族の生存を支える中心的な施設となっている。
◆施設の構造と機能
鳥籠内の施設の多くには〈販売所〉があり、部族はそれらを巧みに活用している。代表的な装置が〈自動販売端末〉であり、食料、衣類、医薬品などを電子貨幣で購入可能になっている。端末は音声認識とエアジェスチャを備えた空間パネルによる操作に対応していて、機械学習により部族の言語も理解できる。
それらの物資の多くは、〈大樹の森〉に存在するであろう未確認の〈無人工場〉内で製造されている。一部には再生資材を用いた簡易衣類や昆虫由来の素材を用いた食品の加工も行われていて、部族は封鎖された施設を〈女神の工房〉と呼び、大規模な儀式によって祝福している。
また、水処理装置も確認されていて、地下水や雨水を浄化し飲料水として供給していることが確認された。巫女による〈水の祈り〉によって儀式が行われているため、施設の存在は公にされているが、無人工場と同様、封鎖されていて内部に入ることはできない。
◆リサイクル設備と電子貨幣の発行
施設内には〈リサイクルボックス〉が設置されていて、部族は〈大樹の森〉に点在する旧文明の遺構から発掘した電子機器、金属部品、貴重な資材などを投入することで、施設管理AIから電子貨幣を発行してもらうことができる。
この仕組みにより、多くの部族では物資の購入が可能となっていて、森の資源と旧文明の物資を活用した持続的な生活体系を築いている。
◆スカベンジ文化と精霊的儀式
〈大樹の森〉の初期移住者たちは、森に散乱する廃棄物や遺物を回収することで生活を維持していた。この文化は現在でも一部の部族で〈命拾いの儀〉として宗教的な意味を持っている。
その儀式では若者が森に入り、旧文明の遺物を発見、回収することで成人の証とされる。儀式の成果物は施設内に存在する〈リサイクルボックス〉に奉納され、電子貨幣の発行を〈女神の恩寵〉として受け取ることで完了する。現在では商人階級も存在し、部族間での交易や物々交換が盛んに行われているが、遺物回収の精神は文化的に根強く残っている。
◆交易と経済圏
〈大樹の森〉における経済活動は、部族間の物々交換と施設管理AIによる電子貨幣の発行という二重の通貨体系によって支えられている。これにより、部族社会は単なる自給自足を超えた広域経済圏を形成している。
電子貨幣は施設管理AIが発行している。〈リサイクルボックス〉への電子機器や遺物などの資材投入で得られる。それらの電子貨幣は〈自動販売端末〉での物資購入、施設利用に使われる。この通貨体系は旧文明由来の技術的信仰と結びついている。
物々交換は、主に部族や商人間での直接取引によって行われている。食料や薬草、工芸品や昆虫の情報などが取引されている。価値基準が部族ごとに異なり、儀式的意味を持つ場合もある。
電子貨幣を重視する部族は、施設との接続性や技術継承を優先する傾向があり、物々交換を重視する部族は、自然との共生や儀式的価値を重んじることが確認された。
◆商人階級の形成と役割
近年、〈大樹の森〉に点在する部族間を移動する交易商人の数が増加していて、彼らは物資の流通だけでなく、情報の伝達にも重要な役割を果たしていることが確認された。商人は旧文明の地図や情報端末を保持していて、鳥籠間の経路や危険地帯を把握している。
それらの商人階級は、部族の外縁に位置する〝中立者〟として尊重されるが、同時に情報操作や価格操作による権力争いの火種にもなっている。
商人は両方の通貨体系に精通していて、交換レートを調整することで利益を得ている。この二重経済体系は、部族間の文化的摩擦や価値観の衝突を生むこともある。実際のところ、商人の介入によって部族間の同盟や対立が生まれ、〈大樹の森〉の勢力は流動的になっている。
◆辺境部族と戦闘文化
〈大樹の森〉の奥地には、他部族との接触を拒絶する未接触部族が点在している。彼らは、森に点在する各鳥籠とは異なる文化体系を持ち、独自の軍事組織と戦闘文化を築いている。
これらの部族は、交易や情報共有を拒み、自給自足と略奪によって生活を維持しているとみられる。部族は〝異邦人〟を脅威とみなし、他部族や商人、〈廃墟の街〉への略奪遠征を定期的に実施している。それらの戦士は階級制で構成され、戦闘部隊に独自の技能を持つ〈蟲使い〉がいることも確認されている。
◆戦闘昆虫の使役
辺境部族の最大の特徴は、攻撃性の高い昆虫の変異体を使役する戦闘技術である。戦闘や略奪は単なる生存手段ではなく、儀礼的意味を持つ場合もある。戦果は女神の〈供物〉として捧げられ、戦士は〈女神の牙〉として称えられる。
また戦闘は〈浄化の儀〉としても位置づけられ、敵の血を流すことで森の精霊〈御使い〉を鎮めると信じられている。戦士は戦闘前に〈蟲の祝福〉を受け、昆虫の体液を身体に塗布することで霊的な加護を得ている。戦闘後には〈供物の儀〉が行われ、戦果となる武器や資材、捕虜などが部族の祭壇に捧げられる。
◆信仰体系と神格構造
〈大樹の森〉における信仰体系は、部族ごとに異なる神格を中心に構築されていて、多神教が一般的である。部族が信仰する神々は自然、昆虫、旧文明の遺物、そして人工知能に至るまで多岐にわたり、信仰はしばしば儀礼、政治、戦闘文化と密接に結びついている。
◆昆虫信仰
一部の辺境部族は、象ほどの巨体を持つ昆虫型変異体を神格化し、〈踏みしめる精霊〉として崇拝している。部族の神殿は、その変異体が脱皮した巨大な殻を素材として構築され、殻の内側には儀式用の祭具が飾られている。
その儀式では、他部族から捕らえた奴隷が生け贄として捧げられ、精霊の前で血を流すことで女神の怒りを鎮めることができると信じられている。精霊とされる昆虫は部族の守護者であり、部族間の戦時には〈精霊の足〉として戦場に投入される事例も確認されている。
◆〈母なる貝〉信仰
〈母なる貝〉は〈大樹の森〉において、もっとも信仰されている存在であり、辺境の部族にも知れ渡っている。
調査により、部族の多くが〈聖域〉に存在する巨大な貝殻状構造体を〈母なる貝〉として信仰していることが分かった。この未知の構造体は旧文明の遺物とされ、内部には専用端末〈鉄の精霊〉が設置されている。
精霊によって祝福された巫女は、部族の儀式を通じて端末に接続し、女神からの応答を〝神託〟として受け取ることになっている。この神託は言語や映像として脳内に直接受信するようだが、その信託を受けることのできる巫女は限られていて、〈聴く者〉として部族内で特別視され、政治的決定にも関与することが確認された。
◆神格の多様性と宗教的融合
〈大樹の森〉の信仰体系は極めて多様であり、部族ごとに神の形態、性質、儀礼が異なる。一部部族では、施設管理AIを〈機械精霊〉として神格化し、旧文明の技術を霊的存在とみなす信仰も存在しているようだ。
◆今後の調査方針
〈大樹の森〉における部族社会は、旧文明の残滓を再構築しながら、自然環境、昆虫型変異体、人工知能との共生を通じて、極めて独自性の高い文化圏を形成している。
この社会では、信仰と技術、戦闘と交易、孤立と連携といった、相反する要素が複雑に絡み合い、文明崩壊後の人類の適応力、創造性、精神性が顕著に表れている。部族は、過去の遺産を単に模倣するのではなく、それを再解釈し、新たな価値体系として昇華している。
今後の調査では、各部族の儀礼体系、人工知能との交信記録、戦闘昆虫の育成技術、ならびに信仰と政治構造の関係性について、さらなる調査が求められる。




