066 第七部・蟲使い〈感覚共有装置〉
■〈蟲使い〉
『〈大樹の森〉を探索していた部隊は、原住民〈蟲使い〉から突発的な襲撃を受けた。予期しない攻撃により傭兵部隊は甚大な被害を被ったが、最終的には数名の〈蟲使い〉の捕縛および殺害に成功した』
◆昆虫制御装置〈感覚共有装置〉に関する調査報告書
調査:ホンダ・ミチル〈技術解析班班長〉
所属:技術組合〈分析解析局〉
本報告書は、〈大樹の森〉を主な行動圏とする先住民族〈森の民〉の戦士階級、通称〈蟲使い〉が使用していた特異な生体デバイス、仮称〈昆虫制御装置〉についての観察および解析結果をまとめたものである。
この装置は高度な神経接続技術に基づき、人間の大脳皮質の特定部位に直接移植される構造となっている。移植後、使用者は昆虫型変異体との間で、視覚、聴覚、空間認知といった感覚情報のリアルタイム共有が可能となる。これにより〈蟲使い〉は、変異体の広範な行動範囲や高感度の感覚器官を利用して、索敵、監視、戦術支援などを実行する。
本装置の根幹技術は、シナプス同期化プロトコルと呼ばれる神経信号の調整メカニズムに基づいていて、人間と昆虫の間における境界面の非対称性を克服するために設計されていると思われる。
◆装置構造と技術的所見
・生体接合構造
本装置の移植は、一部の例外を除き、前頭骨直上の皮下領域に施されている。外部にはツノ状の突起構造体が突出していて、これは未解明の複合素材――高誘電率セラミックと有機導電性ポリマーからなる混成体によって形成されていると考えられる。これらの素材は、神経信号の増幅および干渉の防止を目的とした機能性材料であると推定される。
頭蓋貫通部にはナノスケールの電極群が配置されていて、視神経束を経由して、後頭葉および側頭葉領域に対して直接接続が行われている。これにより、変異体からの感覚入力――視覚、聴覚、空間情報などが脳に伝達されるだけでなく、〈蟲使い〉の意思や指令を逆方向に返す双方向通信が可能と考えられる。
この通信には、〈データベース〉を介した神経インパルスの符号化技術と、可逆性信号伝達などの高度なインターフェース処理が関与している可能性がある。
・センサー群とデータプロトコル
ツノ状の外部構造体には、ナノスケールの微細センサー群が密集して配置されていて、大気中の粒子成分、周囲温度、さらにフェロモン様の揮発性有機分子の検知機能を備えている。これらのセンサーデータは、昆虫型変異体との行動や感覚の同期、ならびに周辺環境とのリアルタイムな情報統合を支援していると推測される。
装置内部には生体統合型プロセッサが実装されていて、通信には高次暗号化を施された自律型データプロトコルが使用されている。このプロトコルには、他の〈蟲使い〉との間で限定的な感覚共有、指令伝達を行うための同期インターフェースが含まれている痕跡が認められた。
特筆すべきは、装置に組み込まれている生体認証ID登録機構である。これは対象者の細胞配列情報および神経応答パターンに基づく個体認証システムであり、移植後にこれらの照合結果が不一致と判定された場合、装置は即座にロックアウトされ、すべての機能が停止する。
認証プロセスは〈データベース〉を介して実行されるため、装置の鹵獲、転用は実質的に不可能であることが確認された。
◆民俗的使用実態と移植プロトコル
本装置の移植は、〈森の民〉の戦士階級の中でも特定の儀礼段階を経た者にのみ認められている。対象者は伝統的な戦闘訓練および神経適合性を測る試験を通過した後、厳格な儀礼を伴う移植儀式に参加する。これらの試験では、精神的耐性と神経伝達応答の安定性が評価されると思われる。
移植が行われる施設は、旧文明に由来する高度な医療技術を備えた場所と推定されているが、その正確な位置は〈森の民〉の族長階級によって厳重に秘匿されていて、外部からのアクセスは一切確認されていない。
儀式の過程で移植者には幻覚作用を持つ植物性化合物が投与される。これは森の女神〈母なる貝〉との精神的交信のためと説明されているが、実際には記憶形成の混濁を引き起こすことで、移植処理および施設の情報を意識的に秘匿する目的があると推察される。
この薬物の影響により、移植後の記憶回復は不可能となり、施設の秘匿性は極めて高度に維持されている。一部の〈蟲使い〉からの情報提供により、鳥籠〈スィダチ〉の地下に施設が存在することが確認されているが、これは複数存在する施設のうちのひとつとされている。
◆〈技術組合〉による解析と課題
〈蟲使い〉の遺体から回収された〈昆虫制御装置〉は、〈技術組合〉の研究施設にて詳細な解析が試みられた。しかし内部ログの取得には至らず、ID登録および排他制御システムによって、外部からの起動およびデータアクセスは一切許可されなかった。
これは、装置が特定の生体情報と不可逆的に紐付けられていて、所有者以外の介入を自律的に排除するという設計思想に基づいているためだと考えられる。
材料分析の結果、既知の有機半導体および導電性チタン合金に加え、構造および反応特性の両面で未解明の量子活性粒子群が一部に含まれていることが判明した。これらの粒子は外部の量子場と連動している可能性があり、通常の解析機器ではその結合様式を特定できず、構造再現や機能模倣には未だ至っていない。
現段階における装置の運用手段はただひとつ――〈森の民〉に伝承される儀礼プロトコルを厳密に踏襲し、移植施設にて認証パラメータを合法的に取得することのみであると推察される。これにより、儀礼の秘匿性と文化的排他性が、技術的セキュリティとしても機能することになる。
なお、装置のアンテナ部は高い耐干渉性を備えた複合素材で構成されていて、トンボ型変異体との近距離通信においては、視覚伝達系を凌駕する反応速度が確認された。これは神経への直接リンクによるリアルタイム飛行制御を可能にするものであり、〈蟲使い〉の戦術的運用能力を飛躍的に高めている可能性がある。
◆考察と今後の方針
本装置は、旧文明において発展した生物制御技術、神経統合インターフェース、局所環境情報の運用システムが複合的に融合された成果物であると考えられる。その機能は、従来の拡張現実技術を遥かに超越していて、人間の認知空間そのものを昆虫型変異体の感覚ネットワークへと統合する〈感覚支配型インターフェース〉として位置づけられる。
この構造は、旧文明が到達した生物工学と機械知能領域との境界を曖昧にするほど高度な技術であり、情報処理、通信、認知制御が一体化された設計思想を体現する技術的証拠であると考えられる。
今後、〈技術組合〉は以下の複合的アプローチを通じて、装置の理解および応用可能性を探る方針である。まず、組合に所属する〈蟲使い〉との協力的接触による実地データの取得、〈森の民〉が継承する儀礼的訓練過程の構造的再現、そして旧文明の移植施設の所在情報に関する地質、遺構調査が実施される予定である。
これらのアプローチが成功すれば、装置の軍事、情報、医療用途における発展的応用が可能になると見込まれている。




