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不死の子供たち・設定集  作者: パウロ・ハタナカ
第七部・大樹の森

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059 第七部・大樹の森


■大樹の森


 かつて富士山の裾野に広がっていた森林地帯は、大量破壊兵器の使用による劇的な生態系の変化を経て、文明崩壊後には異常進化と遺伝的偏向の波にさらされ、圧倒的な生命密度を誇る異種環境へと変貌を遂げた。


 現地で〈大樹の森〉と通称されるこの地は、人類の記憶において〝死〟と〝畏怖〟の象徴として語られてきたが、調査団の観測によれば、それは同時に〝生命〟の象徴でもあった。


 森の大地を覆うのは、平均樹高が百メートルを超える針葉種を中心とした巨木群であり、そのほとんどは既存の分類体系に該当しない未記載種である。各巨木の周囲には独自のミクロ生態圏が形成されていて、同一の森の中に複数の並行生態系が混在していることが確認されている。以下に例として、調査隊が記録した環境特性を挙げる。


- 巨大節足変異体

 全長三十センチを超える昆虫群および、人間に匹敵する体長を持つ甲虫型変異体が多数確認された。いずれも高度な外骨格構造と適応的な変異を備え、特定の樹液を摂取することで活動性が強化される傾向が見られる。


- 捕食性飛翔獣

 高密度な羽毛構造を持つ巨鳥が確認されていて、昆虫変異体を主な餌としている。翼には色彩だけでなく質感を変化させる特殊な擬態を可能にする構造が認められ、捕食だけでなく求愛行動に使用されていると推察されている。


- 樹皮分泌物と昆虫の関係

 大樹の樹皮には亀裂が多く形成されていて、そこから滲出する樹液に多数の昆虫が群がる様子が観察された。樹液には昆虫を引きつける未知の化学物質が含まれていて、生物間の選択的共生関係に寄与している可能性がある。


- 地表性軟体群体

 直径十二メートルを超える巨木の根元では、菌類や粘膜組織を有する多細胞軟体生物が密集していて、堆積した腐植質を介した栄養循環構造を形成していることが確認された。


 極めて特異なのは、〈大樹の森〉が〝ひとつの森〟として一元的に定義できない点である。観測者が視線を移すたびに異なる生態系の断片が見られ、森全体が無数の生命層によって織り成された〝変化し続ける存在〟であることを印象づける。この多様性こそが、〈森の民〉と呼ばれる民族集団にとって、森そのものを神格化する動機となったと推定される。


 総じて、本地域は生命の躍動に満ちあふれた〝生の楽園〟であると同時に、極限的な生存競争によって無数の命を呑み込む〝死の森〟でもあることが確認できた。我々調査団は、〈傭兵組合〉の支援のもと、森の調査を継続することにした。


◆樹液


 調査対象区画にて採取された樹液試料は、外観上、くすんだ紫色または深紅色の液体であり、揮発性の高い芳香に加えて、腐敗した土壌に由来するとみられる苦味を帯びた臭気を放っていた。採取現場は、黒土層に没した旧文明の遺構の付近であり、土壌中からはナノ複合金属片や有機燃焼残渣が確認されたものの、既知の放射性物質は一切検出されなかった。


◆起源と機能の推定


〈大樹の森〉の誕生には、文明崩壊末期に投入された化学兵器、あるいは環境改変兵器が関与していたという未確認情報が複数存在する。旧文明の施設に残された断片的な記録によれば、本地域は局所的な大量破壊兵器の投下により、数十年にわたってあらゆる生物が生存できない高汚染環境と化すことが予測されていた。こうした極限状況を打破すべく、人類は環境修復林業計画の一環として、汚染耐性および解毒機能を強化した遺伝子改良樹木を導入したとされる。


 便宜上、〝浄化樹〟と呼称される大樹の多くは、地下深層に染み込んだ化学物質や重金属、放射性物質を吸引、代謝し、それを一種の排出物として、樹皮の裂孔から滲出させていると考えられる。現在、確認されている大樹は、この過程に適応した樹木の末裔であり、樹液とはすなわち、大地に封じられた〝過去の毒素〟を内包する体液であると推測される。


◆生物への影響と注意事項


 採取試料の化学分析により、人類に対する急性細胞毒性および神経伝達阻害作用が確認された。液体の直接摂取または経皮吸収によって中枢神経系に不可逆的損傷を与える可能性が高く、人類居住圏〈鳥籠〉における加工、精製、接触は厳重に制限されるべきである。


 一方で、現地生物種の一部、とくに昆虫型変異体や変異節足類、さらには地表性菌類群の中には、この樹液を栄養源あるいは行動刺激源として積極的に利用している節がある。進化の過程で代謝機構や神経網に、特異な耐毒構造が備わっている可能性が高い。


◆環境適応型変異種における代謝機構


 体表からの受動吸収によって樹液を取り込み、体内酵素により分解、発酵させる工程を経て、発熱性および蛍光性を有する排出物を生成することが確認された。この排出物は、周囲の温度や微環境に影響を及ぼすことで、縄張り形成や捕食者の忌避に利用されていると考えられる。


 腸管に相当する構造には、樹液中の毒性物質を代謝する共生微生物群――共生細菌が高密度に存在していて、これが軟体種における浄化、適応能力の根幹を成している可能性が高い。これらの細菌は、高温かつ高毒性の環境にも耐性を持つことが確認されている。


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 ――今日、数か月にわたって共に調査を続けてきたフジカワとの相棒関係は、唐突に終わりを迎えることとなった。彼は優れた傭兵であり、機知に富む戦略家でもあった。しかし――だからこそ、この森では生き延びることができなかったのかもしれない。〈大樹の森〉では、〈廃虚の街〉で培われた経験は、まったくといっていいほど役に立たなかった。


・覚え書き


 奇妙な話だが、これら変異種の樹液処理能力には、〝自然の摂理〟というよりも〝機能的設計〟に近い印象を受ける。かつて人類が生み出した植生による環境修復システムが森全体に波及し、そこに生息する生物までもが毒を〝食らい〟、毒によって〝進化する〟という新たな生物圏を築いたのだとすれば、〈大樹の森〉は単なる浄化装置ではなく、〝生態的意志〟を持つシステムそのものなのかもしれない。


〈大樹の森〉とは、絶え間なく〝過去の毒〟を体内に取り込み、それを生命の流れへと還元し続ける存在でもある。樹液とは、その過程における〝血液〟にあたり、〈森の民〉がそれを〝森が流す涙〟と呼び、儀式に用いているのも偶然ではないのかもしれない。我々調査員にとっても、この樹液の粘性と色彩、そして沈黙のうちに秘められた歴史は、文明の終焉と再生を象徴する記憶の一部と見なすことができる。

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