056 第六部・地下区画
◆地下区画
調査隊によって発見された地下空間は、かつて大量輸送機能や都市資源の循環を担っていたとされる地下鉄道、雨水排水路、旧型の廃棄物搬送トンネルなどが幾重にも重なった多層構造の区画だった。
地表における建造物群の崩壊は地下にも深刻な被害を及ぼしていて、当該区域の大部分は、瓦礫による閉塞、汚染水による浸水、地盤沈下などによって通行不能となっている。
浸水域に蓄積された液体は、強アルカリ性または重金属類を含むと推測される茶褐色の汚染水であり、接触した物質を化学的に蝕む腐食性を持つ。また、一部の浸水区画では、地下特有の生物発光にも似た反応を示す微生物の繁殖が確認されていて、淡緑色の輝きを放っている。これは、未知の適応進化が進行していることの証拠と考えられる。
興味深い点として、〈廃墟の街〉を拠点とする共同体が一時的にこの地下区域を避難用区画として用いていた痕跡が認められることだ。古びた生活物資、簡易的なろ過装置、宗教的な主張を伴う落書きなどが確認されている。
現在この区画を徘徊する存在の大半は、かつての共同体の人々が変異したと思われる〈人擬き〉であり、音による索敵行動が特徴で遭遇時の生存率は著しく低い。
地下道網の一部は、驚くべきことに現在も機能的構造を保っていて、旧文明期に設計された自動扉、照明システム、空調ダクトが断続的ながら稼働を続けている。これらの施設の多くは、いまだ中央制御権限を有するアクセスコード、もしくは遺伝認証を要するため、外部者による進入は厳しく制限されている。
しかし通電が確認されていることから――未確認ではあるものの、一部の施設では旧文明の人工知能や自動機械による施設維持活動が現在も継続している可能性が示唆される。
◆建築資材と防御機構
構造躯体の大部分は、高密度複合鋼材と未知の資材によって形成されていて、局地的な崩落や浸水にも高い耐性を示している。また、重要通路には手動による封鎖が可能な防爆隔壁が配置されていて、非常時には各層の完全な隔離が可能となっている。
地下区画の大部分では、地下熱交換器による自律的な温度制御が行われていて、冬季でも快適な気温が維持されている。また、空調シャフトの大半には逆流防止機構が設置されていて、昆虫型変異体の侵入経路が物理的に遮断されていることが確認されている。
◆人的活動、および共同体の形成
このような環境に魅かれ、一部の共同体が地下の安定区画へと移住し、小規模ながら独立的かつ自給的な生活圏〝半地下共同体〟を形成していることが確認された。観察された共同体の多くは〈傭兵組合〉または〈技術組合〉に所属していた人間を中心に構成され、アクセスルートには簡易防壁や即席のスキャンセンサーが設置されていた。
生活は照明型農耕設備――旧時代の水耕栽培棚を転用、集電式エネルギーパネル――地熱管へ接続、ならびに浄水再循環システムに依存していて、最小限ながら閉鎖環境内での継続的生活が可能となっていた。
これらの生活圏における最大の課題は、変異体の潜入リスクにある。とくに昆虫型の変異体は、劣化し破壊された空調ダクトや浸水路などからの侵入を行うため、対応が極めて困難である。
また最近の調査によれば、〈人擬き〉による共同体崩壊が確認されていて、感染兆候の段階で対応しきれなかったケースが多い。これらの感染型〈人擬き〉は極端なまでの飢えと攻撃性を備えていて、警備が一時的に破られるだけで共同体全体が壊滅する可能性がある。
◆地下区画の戦術的運用
いくつかの地下区画は、〈傭兵組合〉および〈商人組合〉によって維持管理されている。これら拠点は、地下トンネル、車両格納庫、資材集積所跡になどに設置され、交易、補給、警備という三機能を統合的に果たす戦術的生活圏として整備されている。
各拠点には、標準化された遮蔽扉――鋼鉄製の隔壁、および識別コード付き開閉装置が設置され、変異体の侵入対策として複数のスキャンセンサーが配備されている。また、傭兵部隊専用の武器メンテナンスベイや補給プラットフォームが併設されていて、護衛任務や防衛戦闘に備えた即応態勢が保持されている。
これら拠点は、〈商人組合〉が運営する隊商の宿営、物資交換の中継点として極めて重要な場所になっている。交易物品は、主に旧文明の施設で購入される食料品、薬品類、金属資源であり、人類の生活圏における自給率向上に寄与している。
それらの地下拠点の多くには、〈商人組合〉公式の市場が存在し、そこでは傭兵や技術者たちが独自に改造した装備や、変異体由来の生体素材の交換が行われている。このような流通形態は、地下社会における新たな経済秩序の形成過程と見なすことができる。
行商人のために利用される拠点では、宿泊用コンテナモジュール、取引用隔離ブース、貨物積み替えヤードなどが整備され、活動の中心となる空間のメンテナンスが継続的に行われている。ちなみに照明および換気は、地下鉄道駅から分岐した補助電源網に依存している。
◆外敵勢力による脅威と治安構造
その機能性により、これらの拠点は略奪者集団、脱走傭兵団、カルト組織などの襲撃対象となる頻度が極めて高い。統率のとれたレイダーギャングなどの武装勢力による襲撃例が多発していて、最前線の警備拠点では週単位で交戦記録が報告されている。
これに対し、各拠点には訓練を受けた傭兵が常駐し、半自律型自走砲台、旧式ドローン哨戒機、監視網と連動した高電圧フェンスなどによる多層防衛が敷かれている。また、拠点間の高速連絡手段として地下トンネルの一部が復旧利用されているとの報告もある。
これらの拠点は単なる地下避難区ではなく、廃墟世界における〝流通と武力の拠点〟であり、そこには新たな社会構造の萌芽が見える。商人が物資を、傭兵が安全を、そしてそれらを維持する者が秩序を支える。この三層構造こそが、文明崩壊後の人類社会における〝持続可能な生活〟として機能していると思われる。
このような構造体は、今後の文明再編において中核的役割を果たす可能性を孕んでいて、長期的な人材支援と資金的援助が急務である。
上層に広がる廃墟都市が文明の死を象徴するとすれば、この地下空間は、その死を受け入れた後に沈殿した〝記憶の残滓〟そのものである。そこには物理的構造だけでなく、人間の痕跡と〝生き延びたいと願う意志〟が、今なお粘り強く残存している。
今後の調査においては、崩落の進行や汚染物質の拡散傾向を考慮しつつ、これら地下区画で発生した未知の生態系と人類との関係性に焦点を絞っていく必要があるだろう。




