030 番外編・変異体〈苗床〉
■変異体
◆「苗床」に関する研究報告書
調査日:██年█月█日
報告者:█████████
場所:███工場 ████第三研究室
・外見的特徴と構造
調査対象〈苗床〉は、通常の〈人擬き〉とは一線を画す変異体だ。薄暗い廃墟に佇むその姿は、時間の歪みに囚われ、異常進化の過程を封じ込められたかのような印象を与える。体躯全体が不規則に肥大化し、原形を留めぬほどに変異していた。
頭部より放射状に伸びた無数の指状突起は、崩落した天井の隙間に向かって伸び、ゆっくりと蠢いている。それはまるで樹木の枝が光を求めるような動きだ。指の質感は奇妙な二面性を持ち、外側は硬質化し骨の延長のような構造になっているが、内側は未だ柔軟性を保持し、粘膜に覆われている。
解析の結果、爪は異常に硬化し、鋭利な角質層を形成していて、生体防御の役割を担っている可能性が示唆された。
腹部には、厚い皮膚が垂れ下がり、その表面には苔のような緑色の繁殖体が群生している。この組織が外部環境に適応した結果発生したものか、あるいは未知の寄生生物による共生現象なのかは未解明である。しかし注意深く解析を行ったところ、この苔状の組織は苗床の体液と相互作用していて、何らかの栄養交換が行われている可能性が浮上した。
下半身には骨質化した脚と、異常に発達した複数の関節を持つ腕が伸び、床に深く食い込むように張り付いている。これらの根が肥大化した〈苗床〉の体勢を維持する要因となっていると考えられる。
床面との接触部分からは微細な管状の組織が伸びていて、雨水や土壌から必要な栄養素を吸収している可能性がある。これが〈苗床〉の生命維持機構の一部であるならば、従来の生物学的原則を超越した存在といえよう。
・捕食形態と生命維持機構
〈苗床〉がどのように生命活動を維持しているのかは、調査開始時点では最大の謎であった。通常の生物であれば、移動や摂食行動を伴うはずだが、この異形の存在は完全にその場へ根付いていて、一切の移動を行っていない。しかし、体表の一部を切開し、内部構造を詳細に分析した結果、その答えが徐々に明らかになった。
ブヨブヨとした皮膚の奥に隠れていた無数の腕の付け根には、蛭の吸盤に酷似した器官が密集していた。これらの吸盤の縁には小さく鋭利な歯がびっしりと並び、まるで肉を削ぎ取るための刃のような構造を持っていた。さらに観察を続けたところ、この器官が〈苗床〉の主要な摂食機構であることが判明した。
腕を触手のように伸ばすと、吸盤の内部に存在する口状器官がゆっくりと開閉し、小動物や昆虫などの生命体を捕食する様子が確認された。捕らえた獲物を吸盤の縁で細かく削ぎながら、ゆっくり吸収する仕組みになっている。この異常な形態が、〈苗床〉が地面に根付いた状態でも生命活動を維持できる理由であると推測される。
つまり〈苗床〉は、動物的な捕食行動と植物的な栄養吸収の双方を併せ持つ異形の生態系へと変異しているのかもしれない。この摂食機構の解明は、〈苗床〉の驚異的な生命力の一端を明らかにしたが、依然としてその再生能力や繁殖機構には未知の部分が多い。今後さらなる調査が必要だ。
・内部組織の異常性
対象の腹部を切開すると、粘り気のある黄土色の体液が滲み出した。その質感は樹液に酷似しており、重く粘着性が強い。光を当てると微細な繊維が混じっていることが確認され、単なる体液ではなく、何らかの細胞再生機構に関与している可能性が浮上した。
成分分析の結果、この液体には通常の血液とは異なる再生促進物質が多く含まれていることが判明。これが〈苗床〉の異常な生命力の根源となっていると推測される。
さらに。内部組織を慎重に剥ぐと、脂肪層の奥に埋もれるように存在する小型の心臓が確認された。通常の人型生物に比べ、極端に縮小しているが、鼓動は規則的かつ異常に力強い。周囲を覆う膜は半透明で、内側には微細な血管が網のように広がっていた。
奇妙なことに、この心臓は単独で機能しているわけではなく、周囲の細胞組織と密接に繋がりながら、複数の異なるリズムで脈動している。まるで身体全体がひとつの巨大な循環系の一部として動作しているかのようである。
脳下垂体に関しても異常が確認された。解剖によれば、通常のサイズを大きく逸脱した肥大化が見られ、この器官が成長ホルモンの過剰分泌を引き起こしている可能性が高い。
加えて、下垂体周辺の組織は通常の生物とは異なり、異様に活発な細胞分裂を繰り返している。これは、〈苗床〉が不老不死のような特性を持つ要因であると推測される。さらに深部を調査した結果、この異常成長の要因として、細胞修復を絶えず促す未知の物質が関与していることが示唆された。
このように〈苗床〉は、単なる変異体ではなく、生物学的限界を逸脱した存在へと変貌している。研究をさらに進め、再生機構やその維持方法を解明することが急務である。今後の解析によって、その異常な生命活動の更なる秘密が明らかになることを期待する。
・苗床の生物的意義と危険性
〈苗床〉と呼称されるこの変異体は、未知の変異ウイルスと旧文明の不死の薬が交錯した結果、生じた異形生物だと推測できた。その存在は、既存の生態学の枠組みでは説明不可能な特性を多数保持していて、その異常性は単なる肉体的変異に留まらない。
まず、細胞修復機構について注目すべき点がある。〈苗床〉は、組織が損傷を受けても急速に再生する能力を持ち、その再生速度は通常の〈人擬き〉の範囲を大きく逸脱している。解析の結果、体液中に高度な細胞再生を促す未知の因子が確認され、これが持続的な成長と変異を引き起こす要因となっていると推測される。
この特性を考慮すると、〈苗床〉は時間と共に形態をさらに変化させていく可能性が高く、その進化の方向性については完全に予測不能である。
また、この生物は既存の生態系に対して、深刻な影響を及ぼす危険性を持つ。〈苗床〉が環境に与える影響については、すでに複数の事例が報告されていて、その周囲には通常の動植物が生息しなくなる傾向が確認されている。微細な管状組織を通じて周囲の養分を吸収する機構があるため、生存圏の範囲内に存在する資源を枯渇させる可能性があるのだ。
〈苗床〉が単独の個体として存在するのか、繁殖を行うのかは未解明であり、もしその生態系が拡大するものであれば、新たな脅威をもたらすことは避けられない。
以上の点から、〈苗床〉の存在は極めて危険なものとなり得ると判断する。現在の調査では、その生態の全容を解明するには至っておらず、とくに繁殖機構の有無や影響範囲については速やかな解析を行う必要がある。この生物が環境へどのような長期的影響を及ぼすのか、そして今後どのような変異を遂げていくのか、さらなる研究が求められる。
・注釈
この報告書は、機密に指定された調査報告書を基に作成されたものであり、その内容が必ずしも正確であるとは限らない。




