118 第八部・防衛拠点〈部族〉
◆防壁
百メートルを優に超える樹木が聳える〈大樹の森〉の奥深く――タカクラたちは〈蟲使い〉の案内で、急ピッチで建設が進められている防衛拠点に到着した。
拠点の周囲では、無数の機械人形が物資の運搬作業に従事していた。その多くは建設専用ユニットであり、多関節の腕を滑らかに動かしながら資材を正確に配置していく。頭上では建設用ドローンが飛び交い、鬱蒼と植物が生い茂る樹海に奇妙な建設現場を浮かび上がらせていた。
各部族から派遣された戦士たちの拠点となっている構造物は、〈データベース〉の〈ライブラリ〉でしか見たことのないような、中世の砦を思わせる構造になっていた。
拠点の周囲では、弓や槍、旧式のアサルトライフルを手にした〈蟲使い〉たちが、黒蟻や見慣れない昆虫の変異体を従えて警戒にあたっていた。彼らの動きには無駄がなく、変異体との連携も見事だったが、ただならない緊張感が漂っているように感じられた。
六十メートルほどの高さを誇る防壁は、旧文明の建設人形によって構築されたものだった。その無機質な構造のあちこちには、部族の手による装飾が施されていて、機能性と象徴性が奇妙に混在していた。
その防壁のあちこちに監視所が設置されていたが、そこへ向かう昇降機の多くは、植物の蔓と滑車を利用した木製のものだった。旧文明の装置を備えた昇降機が不足しているのかもしれないが、戦士たちが独自の判断で用意するほど、状況は切迫しているようにも見えた。
防壁の随所に、部族ごとの文化や特色が色濃くあらわれていた。ある一角では、〈スィダチ〉の戦士たちが設置したと思われる装飾が見られた。
色彩豊かな染料で染められた壁面には、乾燥させた薬草が束ねられ風に揺れていた。その香りは、脅威になる昆虫を遠ざける効果があるとされ、同時に霊的な結界としての意味も持っていた。骨で編まれた幾何学模様の飾りは、彼らの呪術的な信仰を象徴していた。
別の区画では、〈カムロ〉と呼ばれる部族の戦士たちによる装飾が見られた。彼らは狩猟で得た巨大な獣の頭骨を防壁に吊り下げ、戦の守護としていた。骨には赤い染料が塗られ、部族を象徴する模様が刻まれていた。
さらに別の場所では、〈アマハラ〉と呼ばれる湿地帯の部族の装飾があった。彼らは水辺の植物を編み込んだ繊細な飾りを壁面に吊るしていた。装飾には、湿地の精霊を象った小さな彫像が添えられていて、風が吹くたびに微かな音を奏でていた。
それらの装飾に込められた文化的背景は、信仰だけでは語りきれないものがあると感じられた。それは森と共に生きる者たちの記憶であり、祈りであり、誇りでもあった。
◆拠点
この拠点では、戦闘用の機械人形は珍しい存在ではなかった。巡回任務に就く機械人形の多くは、ただの自律兵器ではなく、部族民たちにとって〝森の精霊が宿った機械〟として扱われていた。
機体の外装を補強するように植物の蔓が巻かれ、骨の装飾が施されているものもあった。まるで、機械そのものが森の守護者として存在しているかのようだった。排他的な部族民が、こうした機械に理解を示していることにタカクラは驚きを隠せなかった。
しかし拠点に派遣されていた〈蟲使い〉の多くは、傭兵として〈廃墟の街〉でも活動していた者たちだった。荒廃した都市で、商人たちの護衛として変異体との戦闘を生き延びた者もいた。だからなのだろう、言葉に部族民独自の訛りはあっても、普通に会話することができた。
タカクラとアンナ、そして試作機〈プロト〉の到着に対して、彼らは警戒しているようだった。しかし、それ以上に重要な任務があるのだろう。騒ぎ立てることはなかった。彼らの意識は、つねに樹海の奥――〈混沌の領域〉に向けられていた。
どうやら、樹海を監視するという任務は、タカクラが想像していた以上に過酷なものだったようだ。森の奥からやってくる脅威は、森のあちこちで見られる変異体とは異なる存在であり、これまでにない恐るべき存在だった。戦士たちは、その脅威に対抗するために日々命を削っていた。
タカクラたちは、そのまま拠点内の部屋へと通された。その空間は、部族の施設とは思えないほど近代的な造りになっていた。〈廃墟の街〉で見られる荒廃した建物とは比べ物にならないほど洗練されていた。
白い建材で構成された滑らかな壁面は、汚れひとつなく、空調も完璧に管理されていた。床には、リノリウムを思わせる柔らかな素材が敷かれ、足音すら吸収されるようだった。照明は間接的に設置され、空間全体が落ち着いた光に包まれていた。壁面に埋め込まれた端末からは、必要な情報が静かに表示されていた。
〈大樹の森〉の奥地――その最深部に、これほど整った環境が存在することに、タカクラは戸惑ってしまう。
◆状況説明
その部屋は、ブリーフィングルームとして機能しているのだろう。数十人を同時に収容できるほどの広さがあり、壁面は白い合成パネルで覆われ、天井には環境制御ユニットが埋め込まれていた。
そこに集まっていたのは、各部族から派遣された戦士たちだった。彼らはそれぞれの装備と装飾を身にまとい、無言で席に着いていた。タカクラとアンナも、指定された席に腰を下ろす。すでに、樹海からやってくる脅威を排除するという任務については説明を受けていた。ここでは、さらに踏み込んだ情報が開示されるようだった。
〈蟲使い〉の男性が壁に備えられた端末を操作すると、室内の照明が落ち、中央に設置されたホログラム投影機が起動した。直後、空間に立体的な映像が浮かび上がる。
かつて青木ヶ原樹海と呼ばれていた地域の地形が、精密な地図として表示され、次第に異変の記録へと切り替わっていく。その過程で地形は大きく変化し、地図の大部分が失われてしまう。
映像は、〝空間の歪み〟としか表現できない奇妙なパターンを示していた。空間に突如出現する亀裂、空間のねじれ、そしてそこから這い出てくる異形の生物。映像は、実際の記録とシミュレーションを組み合わせたものらしく、異形の動きは本物と見まがうほどの迫力だった。
多脚の生物、浮遊する肉塊、知性を持つ人型の昆虫――それらが樹海の奥からあらわれ、〈シールド発生装置〉が設置された森の境界まで接近してくる。
各部族の戦士たちは、息を呑んで映像を見つめていた。この立体映像は、彼らに状況を正確に伝えるために用意されたものだったのだろう。言葉だけでは伝わらない恐怖を――いつか部族に降りかかるかもしれない災難を、映像が補っていた。
戦士たちの多くは、自らの部族を守る者たちであり、家族に対する責任を背負っていた。その心理を巧みに利用することで、この拠点で戦士たちが果たすべき役割の意味を理解させているのだろう。
その映像のそこかしこに、奇妙な存在が紛れ込んでいた。製作者の趣味だろうか。二頭身にデフォルメされた白蜘蛛と、人型のカイコを思わせる生物が、説明の合間にマスコットのように登場していた。
情報補助用の視覚記号か、あるいは旧文明の教育プログラムの名残か……意味は分からなかったが、タカクラはあまり気にせず映像に集中することにした。




